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大工、小説書いてみようかな・・・

 バンドと職を失って、うつ病時代に突入した頃の僕は、とかく人生の目標をなくして心も身体もフラフラしていました。


 にもかかわらず、現在の妻と同棲するべく実家を飛び出してしまった時期でもあるんです。うつ病持ちの無職男と一緒に住もうとする妻もすごい。


 生活費を稼ぐための仕事周辺の話は以前に書いたので、このうつ病時代に日常の方では何をしていたのか、改めてお話しさせてください。


 ずばり、小説を書こう! って、私この頃に決めました。


 ていうか、バンド時代にも考えていたことなんですけど、小説家やミュージシャンを志す人間ってメンタル的に不健全な人が多いんじゃないかな、と僕は思ってます。


 精神的に安定していて心も身体も健康であれば、日常生活の外にある表現活動は必要ない、と僕は考えているからです。ていうか、健全な人は日常の中にある些細な出来事でもちゃんと心が満たされるんですよね。


 今日は魚が上手に焼けた、掃除が早く終わった、チャーハンが美味しくできた、おとなりさんと楽しく話が出来た、推しが徹子の部屋に出た、天気が晴れだった、いい風が窓から入ってきた、こうした日常の出来事を自分の心ひとつで、豊かに幸福だと感じることが出来るのが健全な人。


 本来、人はみ~んなそれを目指すべきですよ。多分。


 だがしかしだ。問題はそっからはみ出しちゃった人。それだけじゃ足りない人。日常生活の中に自分の居場所がない人。親からの愛情が不足してる人。心の帰る場所がない人。自分が何者かわかってない人。何かが執着的に好きな人。

 

 そういうどこか不自然な人間が言い知れぬ情熱に取り憑かれて、幻想に近い理想像を追い求めて行動しちゃう。


 根源にある、とにかく愛されたい、っていう気持ちの原因に自分では気づかず、愛情欲求の手をやたら方々に伸ばしたり、やたら深く突っ込んだり。


 その行為の結果が他人の評価に依存する目標にばかり尽力してしまう人は、愛情欲求が強く神経症である可能性が高いよね。


 自分の能力に見合っていない大きな目標を掲げがちな人は、自分の生い立ちと向き合って、なぜ自分がこんなに愛に飢えているのかを考えてみた方がいいです。


 努力するなら自身の成長や心の充足を楽しむことで完結することに努力する方が人は間違いなく幸せ。


 偉そうなこと言ってすいません。だけど自分がそうだからよくわかるんです。そんなことに気づいてからなんとなく幸せになってきた実感もあります。


 もちろん、小説を書く人や音楽活動をする人、難関資格にチャレンジする人を否定しているわけじゃないですよ。


 例えば、僕の友人にJASRACが嫌いだからという理由でCDデビューを断り、40過ぎて子供が生まれた今でも働きながら音楽活動を続けている人がいます。


 彼は「デビューとかどうでもいいし関係ない。結果とかじゃなくて、楽しいからやってるだけ」と、僕に言っていました。これは素敵。


 堅い話になっちゃったけど、超絶大事なことなので書きました。次回からはいつも通りゆるい感じで書きまっす。おねしゃっす。

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