バラと錠剤(5/15)〜アメリカ人との交際の物語

タクが上京して 1 ヶ月ほど経ち、大学も始まったばかりの頃だった。帰国して数ヶ月しかたっていなかったので、日本に強烈な違和感を覚え ていた。敵ばかりの戦場に出向いた兵士のごとく、肩に力が入るわ、精神は血走っているわ。自然体を理想と仰ぐ青年の滑稽な諷刺画のよ う。新ゲイコンパでタカと仲良くなり、タカと飲み歩いていたある晩のこと。交友関係が広く深いタカは長電話を始めた。手持ち無沙汰になった タクは、辺りを見回した。白人二人が駅前で缶ビールを飲んでいる姿が目に入った。

「Hi!」

お酒の力を借りて、声をかけたタクは、後ろにいるタカを親指で指した。

「Can I join you guys. I am kinda bored as my friend is on the phone」

「Sure」

カナダ人ケントが応えた。ケントは白人で中肉中背。母が熱心なカトリック教徒で、ボランティアで世界中を飛び回り、父は地元の警察官だっ た。彼らは気軽で格安なステーションビアが大好き。英会話講師はシフトがばらばらなので、いつでも気軽に参加できるステーションビアは、 最適だった。タクはこれを期に彼ら西欧との交流が始まっていった。名前、出身地など、一通りの社交辞令をすませると、さっそくタクは、日 本の印象について聞いた。「Lost in translation」という映画の話になった。アメリカ人が来日し、彼らの目を通して異文化、日本の不思議を表 現した映画だ。
「あの映画の夢み心地的な感覚は共感できる。日本にいると不思議な気分になる、いつもバケーションにいるような気分だよ」
ケントはおもむろに言った。別れ際、携帯の番号を交換した。
ほどなくニュージーランド人ニックとも、「station beer」で知り合うことになる。ニックの住んでいたアパートは、タクのボロアパートから目と鼻の 先にある。英会話スクールが契約している 3DK の一室がニックに割り当てられていた。オーストラリア人ジョンもほどなく来日し、ニックのア パートに入居した。ケント、タクは各々のタイミングで、鍵が掛かっていないそのアパートの居間に勝手に上がり込み、お酒を持ち寄り、集ま るようになった。よく深夜までどんちゃん騒ぎした。時には、大学の専攻が音楽だったジョンが真夜中にサックスを弾きだしたり、時には黄昏 まで飲み明かし、お腹が好いたのでママチャリに乗り 30 分かけ焼き肉屋に行ったりした。

賑やかで近所に傍迷惑な四人の交流は、1 年ほどの形を留めつつ、崩れ去っていく。旅好きのケントが、北京に始まり、モンゴル、ロシアを 経てバルト三国まで行く壮大な旅路についた。ほどなくジョンも婚約した日本女性と同棲するために引越し、タクの近所にはニックだけが残っ た。しばらくしてニックがホイットニーと付き合うことになり、いよいよ彼とも疎遠になると覚悟していたタク。

「Hi!」

「What’s up,Taku?」

起きて間もないのだろうか、気怠そうなニックの声。

「What are you doing?」

「I'm chilling out with Whitney at home」

「Oh....I see」

「.........」

不器用な間。

「It doesn’t matter. Come and join us」
「O.K. See you soon」

「Bye」

電話を切った。
居間に入ると、ほとんど下着姿のホイットニーがソファーに座っていた。僕は 2 リットルの安焼酎をテーブルに置いた。
スカスカした感じの、ニスのような塗料が塗られている、こげ茶の木材でできたテーブルの表面には、みんなの作品が刻まれていた。ある 日、ニックが彫刻刀の一式を買ってきたのを切掛けに、気の向くままにニックが、彫りだしたのが発端だった。蛍光灯は消され、テーブルの片 隅でゆらめくキャンドルの明かり。蠟本来の香りと人工的なラベンダーの香りがまざりあい、タクの鼻をついた。外は豪雨で、雷が鳴り響いて いる。時間の感覚がゆがめられ、体内時計は麻痺していた。キャンプのためにニックのアパートに集合したが、天気が悪過ぎた。行き場を失 ったニック、ジョン、ケント、タクのモーメンタムは、机上のキャンパスに注がれていた。僕たちは、何かに取り付かれ、テーブルを睨みつけ、 彫刻刀片手に、創作活動に没頭していた。それはまるで、神聖で厳格な儀式のようだった。
そんな僕たちの思い出の結晶の上に焼酎を置いた。

「Hi!」

「Long time no see!」

ホイットニーは立ち上がり、タクにハグを求めてきた。

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