母親に女度で負けた話
私の母はおばちゃんという言葉がよくにあう。こどもが大好きで読み聞かせのボランティアをしている専業主婦。集団の中ではいつも大声でおどけて笑っていたがまったく楽しそうではなかった。いじめられっ子だった過去から抜け出せないのか少々卑屈な部分があったのだ。見た目は太っていて昔から丸い眼鏡をかけている。テレビでハリセンボンの近藤春菜さんが出てきた時に周りは笑ったけれど、あまりに似ていたので家族は笑えなかった。本人も似た人物がテレビで笑われているのが嫌なのか、彼女が出ると不服そうにテレビをみていた。
そんな「おばちゃん」な母が、私が20歳を迎えた時バーに連れて行ってくれた。
おばちゃん バー
バー 20歳の小娘
親子 バー
どこをとってもおかしな組み合わせである。
お店は家から40分も離れた場所にあり、入口にはオーク樽が置かれていた。大正時代の古民家を改装した店内は薄暗く、石煉瓦の壁をガラス灯が照らしていていた。10席ほどのカウンターの真ん中に母が座る。いかにも似合わないのだがその横顔はいつもの周りに遠慮する母の横顔とは違った。
「あれ、いつもの相棒と違うんだね。」
リスのような顔のハンサムなバーテンダーが母の前でおしぼりを広げた。その顔を見ておもわずギョッとする。黒いベストをクラッシックに着こなすバーテンダーは驚くほどハンサムであった。男性な顔立ちに正しく配置された黒目がちな瞳をガラス灯の光がとろりと揺らす。
「毎度あんな悪友とつるんでるわけじゃないのよ。今日は娘〜。」
「え、娘さんなんですか?」
「私に似ず美人でしょ〜?20歳になったからお酒教えてあげて」
「そうか、今日は悪い事教えにきたんですね。任せてください。」
いつもの調子でふざけているが、その話し方はしたったらずで語尾は伸びて笑い声は聞いたことがないほど艶っぽかった。図書館でも行くかのように着いてきたわましには大層居心地が悪い。腰のあたりがざわざわと落ち着かない。
そうか。
お酒を飲む前に気付いてしまった。
ここは
大人の社交場というやつだ。
何がいいかもわからずオススメを飲んだ。ロンググラスにステアされて出てきた甘いお酒は私の思っていたシェイカーで三角のグラスに注がれる宝石と違ってがっかりした。村上春樹の本でしかお酒の知識がなかったのでマティーニとウイスキーを頼んでみた。
まったく飲めなかったが、背伸びをして飲んだ。途中試験管のような小さなグラスでチェイサーが出てきた。チェイサーの飲み方もわからないのでウイスキーを飲み干した後ゴクゴク飲んでおかわりをした。
その間、母は嬉しそうに私を見ながらノンアルコールを飲んでいた。その笑顔はいつもの母だった。酔いが回るのを感じながらやっとそこで私は安心した。
正直私はもうそのバーに行きたくなかった。
緊張するような大人の社交場はとても憧れたし、緊張と安らぎを感じるのは心地よかったがいつもとは違う母の姿を見たくなかった。
二回目は差し入れを持っていった。ミスタードーナツの詰め合わせ。いつもであれば私たちのおやつになるそれがなんだか媚び諂う賄賂のように思えて気持ち悪かった。
その日も同じようにノンアルコールで楽しむ母。しかし私がウイスキー談義を進めていると気になった母も味見をすることになった。この一杯をきっかけに、私たちはリス顔にタクシーで送られることになった。
当時は母とバーテンダーは所謂そういう仲だったのかもしれない。タクシーで送られたのも初めてではないだろう。私はダシにされたのだ。と考えていた。
それ以来母が私を誘うことはなくなった。このタイミングでお店も改装に入り新店舗になったタイミングで一度行ったがそこにあのリス顔は居なかった。
私は探るように 残念だったね? と声をかけた
え?楽しかったよね?と言う母
その表情を私は読むことができなかった。
今思えば、早くに結婚した母は妻であり母であるおばちゃんな自分から素敵な場所で素敵な人といい男を見ながらグラスを傾けるいい女である自分を酔いに来たかったのだろう。
だから一緒に行くのは友人でも私でもよかった。
娘である私にそんな感覚を伝えたかったのかもしれない。
リスとの真相はよくわからなかったが、どうやらあっという間に疎遠になってしまったらしい。子どもの私には考えても分からなかったし、きっと知っても理解できなかっただろう。
きっと大人の女には女度をあげる時間が必要なのだ。
誰のためでもない自分のために、1人の女に戻る時間。常に誰かのためにあらんとする母だからこそ、自分のために背伸びする時間が結局のところ夫のためになったり子どものためになったりしていたのだと思う。
おばちゃんであり、母であり、妻である母
彼女の初めて見せるあの表情で私は大人を学んだ。20歳の記念にとても良い勉強をさせてもらったと思う。
そんな母に恋愛相談をした時にもらったアドバイス
男 と 女 は
肌で触れ合わないと
分かり合えない時がある
このおばちゃんには
まったく勝てる気がしない。
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