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【短編】 副作用

夜のカフェで、リサはアキラと向かい合って座っていた。

柔らかい間接照明の光が二人の顔を照らしている。テーブルの上には、コーヒーカップが二つ、そして小さなケーキの皿が並んでいる。
リサは何かを決心したように、そして用心深く辺りを見回してからゆっくりと口を開いた。
「アキラ、実は話したいことがあるの。私たちの関係について。」
アキラは驚いたように目を見開き、少し不安げな表情を浮かべた。「リサ、どうしたの?何があったの?」
リサはカップを手に取り、少しだけコーヒーを口に含んでから続けた。
「もうずっと考えていたわ。でも、これ以上隠しておけないと思って。」

アキラはさらに顔を曇らせた。「何か問題があるのか?俺が何かした?」
リサはかすかに首を振り、目を伏せた。「問題というか・・」

アキラは少し考え込むようにしてから、意を決したように頷いた。「わかった。リサ、話してくれ。何があっても、俺は君を支えるから。」

リサはもう一度深く息を吸い、彼の目をしっかりと見つめた。「私たちが初めて出会った日のことを覚えている?」

アキラは少し戸惑いながらも、記憶を手繰り寄せた。
「ああ、図書館で僕がカードを落として、リサが拾ってくれたんだ。」
リサは静かに頷いた。「そう。それで、探している本が同じだったことで何だか意気投合したのよね」
アキラは笑みを浮かべた。「初めて会ったのに、他人の気がしなかった」

リサは続けた。「その時、私は何も言わなかった。でも、今、言わなきゃいけないことがあるわ。」
アキラは真剣な表情で彼女を見つめた。「何でも言ってくれ。どんなことでも。」
リサは一瞬ためらったが、ついに口を開いた。「アキラ、私ね、私たちの過去について話したいの。あなたが覚えていないことを。」
アキラの表情が一瞬固まった。「過去?リサ、どういうことだ?」
リサは静かに言葉を続けた。「あなたが忘れていることがあるの。それは、アキラの、あなたの本当の過去。」

アキラは戸惑いの表情を浮かべたまま、リサの言葉を待っていた。「あなたが覚えていないのは、あなた自身の事なんだよ、アキラ。」
リサの言葉にアキラはさらに困惑した。「どういうことだ?俺の過去って・・?」

リサは少し間を置いてから、丁寧な口調で言った。「私たちは夫婦だったの。」
アキラは唖然としてリサを見つめた。「冗談だろ?リサ、これは何の冗談だよ?」
リサは首を横に振った。「冗談じゃないの、アキラ。あなたは、ある理由で記憶を失っているの。私も同じ理由で…でも、私は一部の記憶を取り戻すことができたの。」
アキラは自分の頭を抱えるようにして、混乱の中で言葉を探した。「何を言ってるんだ?そんなこと・・」
リサはアキラの手をそっと握りしめた。「私たちはね、図書館で会うずっと前から、共に人生を生きていたのよ。私たちは夫婦だったの、アキラ。」

リサは続ける。
「でも、ある出来事があって、記憶を消されてしまった。それでも、私たちはまた出会ってしまったの。まるで運命のように。」

アキラは言葉を失っていた。「そんなこと、信じられない…」
「でも、信じてほしいの。その『続き』を話すためにここにいることを。」

アキラはリサの言葉に混乱しながらも、失われた過去が少しずつ浮かび上がってきたのをハッキリと感じていた。
そして、アキラは静かに、確かに頷いた。
「リサ、続きを…話そう。」

二人の間に短い静寂が訪れた。その静寂は、新しい物語の始まりを告げるプロローグとも言えた。
店内の間接照明が揺らめき、二人の影を優しく包み込む。その夜、カフェの中で、二人の男女はかつて自分達が夫婦であったことを完全に思い出していた。
アキラは問う。
「一体なぜ、夫婦だった僕らは離ればなれになった上、記憶も無くしたんだ?事故かなにかに遇った?」
リサは重い口を開くように言った。
「私が勤めている職場、覚えてる?」
「・・ええと、確か・・誠和食品の開発部門だよね」
「ありがとう。覚えててくれて。私がそこで研究開発していた、あるサプリメントが事の発端なの」

アキラの中で幾つもの断片が繋がっていく。
「そうだった。あのサプリメントこそ、忌まわしい元凶だ」
リサが補足するように続ける。
「私だって、始めはそんなことになるなんて考えもしなかったのよ。会社の利益に、世の中の役に立てばいい、と信じて研究に没頭してきただけ。」

夫婦のあいだでよく起こる問題、「どちらが家事を多く負担している」とか、「自分ばかり子供の面倒をみてる」などと言った不平不満。

口に出せば口論になると分かっているから、我慢する。あるいは、我慢できずに口論となる。
このムダを解決するために研究開発されたのが、「夫婦間の不満が消えるサプリ」だ。
【Redux】(リダクス)と名付けられたこのサプリメントは、夫婦で服用することで互いへの不満が消えるというものだった。

「【Redux 】がこの国の家庭内や夫婦間のゴタゴタを解決してくれる、私たちの研究チームはそう信じてこのサプリメントの治験までこぎ着けたの。そして私はあなたと共に、治験に参加したわ」

リサの話に動揺を隠せないアキラは、恐る恐る核心に迫った。
「つまり、治験は失敗に終わった。副作用かなにかで、僕らの記憶は失われた」
「そうよ。この事故を表に出したくなかった会社は私たちに大金を掴ませて隠蔽しようとしたの。私よりも、著しく記憶のほとんどを失ったアキラを見て私は絶望したわ。二度とあの幸せな暮らしが戻らないと思ったら、もう全てがどうでもよくなったわ」

「あれからどのくらい経った?」
アキラが聴いた。
「2年よ。やっぱり諦められなくて。アキラを探したの。そしたら、案外近くにいたのね。これも運命だと思って、あの日図書館でカードを落としたあなたに話しかけたのよ」
「リサ。僕の記憶は戻ったみたいだ。もう、そんなお金なんて要らない。また二人で普通に暮らそう」


誠和食品の研究所。
「所長。アキラの副作用期間が終了したと思われます」
「そうか。君自身も副作用が出てしまって大変だったな。ご苦労様」
「いえ、これも研究の成果を世に出すためです。早速、【Redux 】の改良と次の治験の準備を進めます」
「うむ、今度はより慎重にな」
「お任せください。このサプリメントだけは絶対に商品化したいんです。自宅でのアキラ、もうほんとに神経質で細かいことにうるさくて。毎週口論になるんです。一日も早くこのサプリメントを完成させて、我が家に平和な日々を。」





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