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日常的な光景(冤罪4)

「絶対社長とできてるんだよ」「やっぱりそう思う?」

コーヒーを淹れに行った給湯室からの帰り、階上の踊り場から聞きなれた話し声がする。経理の××と最近雇ったというパートの○○だ。
私は驚いて立ち止まり、そして聞き耳を立てた。

「そうに決まってるよ、大体忙しいなら私たちに仕事振るのが当たり前じゃん?それなのにわざわざ辞めた人間をまた連れてくるなんておかしいよ」「そうだよね。復活とか、やっぱり出来てるからだよね?」

おいおいおいおい・・・ちょっと待てちょっと待てちょっと待て・・・
もしかして私のことを言っているのか?

みるみる目の前が真っ暗になる。

もちろん、私は社長と出来てなんかいない。というか、彼氏もいる。

いわゆる恋バナを他人と共有する趣味がなかったので、敢えてこいつらには言わなかったが。
このクソ女どもめ。

「いやらしい。大体社長奥さんいるでしょ?」「そうよ。わかっているくせに図々しいよね」

いやいやいやいや・・・ないないないない・・・
大体どっちが『いやらしい』だ。社長に色目使ってるのは○○、お前じゃないか。気色悪いので知らんぷりしていたが・・・

「監査がどれだけ大変なんだか知らないけど、うちらでやればいいよね。辞めた人間にもう一度来てもらう必要ないし」「そうよ、私だって教えてもらえれば出来ると思うし。社長、騙されてるんじゃない?」

待て待て待て待て・・・
むしろお前らがあまりにも無能で、あまりにも時間が足りないので、一から教えるのを断念した社長が、外部発注で私に仕事を丸投げしてきたんだろうが。

まあ。自分の仕事が軌道に乗っておらず暇だったこともあって、安易に仕事を受けた私も私だが、こんな陰口をたたかれる筋合いはない。・・・っていうか、私こんな陰口言われちゃうほど嫌われていたのか?

・・・あまりにも情けなくて涙が出てきた。

階上の陰口はまだまだ延々と続きそうだった。出来れば自分の仕事場に戻りたい。しかし、情けなくて涙が出てきた顔をこいつらに見られるのだけは絶対にごめんだ。

そうこうしているうちに、救いの電話が鳴って、階上の陰口はお開きになったようだった。私はようやくこの長い立ちん坊状態から解放され、仕事場に戻ることが出来た。
・・・自分の仕事だけしよう。そしてお金を貰ったら縁を切ろう。過去に勤めた会社だけど、二度と関わりたくない・・・


「進み具合はどう?」
そう尋ねて来た社長の顔を私はうんざりと見返した。

監査迄あと1週間というところに迫って、私はようやくすべての書類のチェックを終えていた。膨大な量の不備書類のリストと大量にふせんの貼られた書類が部屋中に積み上げられている。

「一応チェックは終わったんで。あとは足りない書類の作成と訂正とかですかね」

「あ、そう。期日までに間に合いそう?人出は必要じゃない?〇〇さん使っていいからね」

いやいやいやいや・・・ありえない。○○といったら、例の踊り場の、パートの悪口女じゃないか。

「いえ。そもそも、彼女、法令全然わかってないし、パソコンも使えないみたいなんで、やってもらえることは何もないですね」

「あ。そうなの?○○さんには本当は書類をやってもらおうと思って雇ったんだけど。パソコンも少しなら使えるって言ってたし」

社長、あんた馬鹿なの?・・・いや、よそう。そもそもパソコンもたいして使えない社長がどこからか拾って来たんじゃないか、ご近所さんのよしみだっけ?どういういきさつで雇うことになったのか、私は関知しないけど、責任持って自分で面倒見てほしいな。

・・・とはいえ、これだけの量の書類を一人で作成するのは・・・

「△△君、手開かないですかね?」

「いや、彼も自分の仕事で手いっぱいだから・・・」

ため息が出る。・・・まあ、書類の作成は全部パソコンで一気に作ってしまうとして、面倒なのは手書きのサインやらファイリングやら・・・
請け負った金額に対して労働量が多すぎる、私が辞めてまだ一年ちょっとしか経っていないはずなのに、まさかここまでひどい状態になっているとは・・・私は苛々と頭を振った。
・・・かといって絶対に○○と一緒に仕事をするのは嫌だった。

「そうだ。社長、奥さん暇じゃないですか?毎日2-3時間でいいんで来てもらえないですかね?久しぶりに会いたいし」

私は社長の奥さんと面識があった。以前勤めていた時に何度か話をしたことがある。
私と奥さんがうまくやっているのを見たら、あの悪口女たちの誤解も解けるだろう。
監査迄に山積みになった書類も問題だったが、それ以上に悪口女たちの言葉が頭の中にリフレインしていて、私の仕事を妨げていた。そして、それを排除する方がよっぽど仕事の進展に好影響を与えるようにも思われた。

「えええ?まあ、いいけど。でも、法令も分かってないしパソコンも出来ないよ」

「大丈夫ですよ。書類コピーして、番号順にファイリングして、手書きサインして判子押すだけですから」
と、うそぶく私に、社長はいぶかしげな顔をしたが、それでも明日から奥さんをよこすと約束をしてくれた。


「ワー!悔しい!」「あの女に私の仕事を取られた」

その事件が起きたのは、監査日の前々日のことだった。何とか書類も間に合って、後は手書きサインとファイリングと判子押しだけ・・・私の仕事はこれで終了で、最終チェックは監査日前日に△△くんと社長が行うことになっていた。
今日中に最後の仕事を仕上げれば、ようやくここから解放される、そう思ってなんとか出勤、まずはコーヒーを淹れようと給湯室に入ったのが最悪に間が悪かった。

調度パートの○○が経理の××に泣きついていたところだったのだ。

盛り上がっていたところに本人登場で俄然エキサイトする二人
「あんたね。もう辞めたんだから、○○さんに仕事返しなさいよ」

出社していきなりの不意打ちに面食らって、私は口をパクパクとさせるばかり。

「社長の奥さんまで巻き込んで、何様のつもりよ」

まじか・・・?
よくわからないけど、社長の奥さんに手伝ってもらっているのが、彼女たちの逆鱗に触れたのか?
誤解を解くどころか、つまり、火に油を注いでしまったのか?

ショックのあまり目が眩む。
なんで私がこんな目に合わなければならないのか・・・針のむしろのような状態から、ようやく今日で解放されるはずだったのに・・・
私は絶望のあまり涙がこぼれそうになるのをこらえるのに必死だった。

「あんたね、社長をうまく丸め込んでいるつもりなのか知らないけど・・・」

調度××が喧嘩の口火を切ったところに、また一人、間の悪い人物が入って来た。

「ごめんね~遅くなっちゃって・・・あら?何かあった?」

いや、救世主だ。
社長の奥さんが入って来たところでいきなりの幕引き。

「いえ、何でもないです~」とにっこり笑う××
「お茶入れますね~」と、いそいそと動き出す○○

気分が悪い・・・もう限界だ・・・私はいそいそとその場を逃げ出して仕事場に引きこもった。

私が何かしたか?請け負った仕事をしただけで、何か問題でも起こしたか?

いや、これはどう考えても社長が悪いだろう。
いくら小企業・零細企業だとしてもひどすぎる。

いうように、私は委託を受けただけの外部の人間なのだ。以前に勤めていて内情を知っているとはいえ、今は関係ないのだ。本当にマジで勘弁してくれ。

その日一日は必至で耐えた。後程社長も現れて、その場にいる全員で最後の雑務に追われた。
社長に言われて嬉しそうに雑務をこなす○○は笑顔だったが、私の凍り付いた表情がほどけることはなかった。


それから数日後、他の仕事も頼みたいので、無事監査を乗り切った打ち上げかねて食事でもしないか?と社長から連絡を貰った私はむしろ、怒りを持って、社長をランチに呼び出した。

どうしても、苛々と怒りがこみあげてきて、文句の一つでも行ってやらなきゃ気が済まなかったのだ。
人にはそれぞれ合う人間と、合わない人間がいる。そういうのは仕方がないことで、だからどうしても合わない人間とは距離を置いて、なるべく関わらない方がよい。そうやって生きて来た。
しかし、そういう人間ほど妙に突っかかって寄ってくる。これほど困ることはない。

呑気な社長は他の仕事も頼みたいとか?暇だから仕事を貰えるのはありがたいが、正直二度とご免被る。

二人っきりのランチの席で、私はこれまでのいきさつを全部ぶちまけた。そしてとにかくあの二人に会うのは嫌なので、二度とあの事務所での仕事は受けませんと言い放った。

話しながらも、その時のことを思い出して涙が零れ落ちる。

やばい。
これじゃあまるで、意地悪された人のことを悪く言いつける、恋人みたいじゃないか・・・何とか涙を流さないようにと頑張ったが、一度涙腺が崩壊するとなかなか止まるものではない。
誰も知っている人はいないだろうな?・・・と思わず周囲を伺う・・・これじゃあまるで「只今痴話げんか中ですよ」とでも言っているように見えるだろう・・・

社長と出来てる・・・なんて噂がたっては大変だ。

私は努めて冷静さを取り戻すと、とにかくそういうわけだから、仕事は出来かねます、と締めくくった。


「そうか・・・そういうことがあったのなら、俺からちゃんと話しておこう」
・・・というような言葉を期待していた私の予想は、見事に裏切られた。

社長は私以上に興奮して憤慨したのだ。

「いや、それはひどい。許せないね。いや、もともと彼女たちは首にするつもりだったから」

え?何それ?・・・っていうか、そう簡単に会社って人を辞めさせられないでしょ?
女の涙・・・ってやつの効果なのか? 
それなら嫌だなあ・・・

「いや、事務所の移転をする計画があって、もともと頼みたい仕事っていうのは事務所の移転に関する仕事なんだよ、物件探しもそうなんだけど、本社移転の手続き関係とか、総務関係もろもろ」

・・・え?引っ越しするの?
・・・まあ、仕事としては楽しそうな仕事だけど・・・

「移転となれば、通うのが大変だとかいろいろでやめてもらうことになるだろうし、それに○○には別会社の方に移って貰うから」

「え?でも、経理がいなくなったら困るでしょ?私、経理はやりませんよ」

「もちろん、新しい人に入ってきてもらって、引継ぎをしてから別会社の方に移ってもらうことになるけど、大丈夫、○○がやってるのは営業事務的なものだけで、銀行関係とか、経費とか給料とかは全部俺がやってるんだから、全然問題ないよ」

あああ・・・そうなんだ・・・

二度と関わらないという話をするはずが、いつの間にか次の仕事の計画の話になって、いつの間にか仕事を受けることになっていた。

「じゃあ。近いうちに連絡入れるよ」

そう言って去っていく社長の後ろ姿を見送りながら、私は、なんか、かみ合わないなあ・・・と思っていた。
まさかあいつ、私のことを好きなんじゃあないだろうな?といぶかしがる。

・・・しかし、これってどうなんだろう?
彼女たちから見たら、私が社長の力を借りて、彼女たちに復讐したってことになるんじゃあなかろうか?
ますます、彼女たちの恨みの矛先が私に向かうことになるんじゃないだろうか?
すっかり渇いた涙の痕を、渇いた風が吹き抜けていった。

私は別に復讐をしたいわけじゃあない。ただ、冤罪を晴らしたいだけなのに・・・
どんどん冤罪が深くなっていく





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