日常的な光景(≠冤罪)
「うまく書けないからイライラしてるの?それとも認めてもらえないからイライラしてるの?」
「うっ・・・」
夫からの突然の問いかけに、うまく返事が出来ず思わずうつむいた。
「うまく書けないなら無理して書かなくたっていいんだよ」
「・・・うん・・・」
何年も一緒に生活をしていると、何の話はしなくてもその場の雰囲気でお互いの機嫌がいいか、悪いかなんてわかってくる。
もちろん、だからと言ってそれを肯定するつもりはない。
「別に、大丈夫」
「不機嫌になるのは多くを望み過ぎているからだよ」
私の否定の言葉にはお構いなしにがんがん突っ込んでくる。
うん。わかっている。人が小さなことで満足していられればこの世界には何の不満も存在しない。
住む家があって、毎日美味しいご飯が食べられて、夫婦仲良く笑って過ごせたらそれが一番いい。
・・・って、そういう生活をしようね。
そう言って一緒になった。
でもどうしても欲が出てきてしまう。より多くを望んでしまう。もっと良いものを作りたい。もっと多くの人に認められたい。もっといい生活がしたい。
それは困難ないばらの道で、何も望まない小さな幸せをかみしめること、それだけを選べば幸せに生きていけて、多くを望めば辛い人生をおくることになる。夫はそのことを言っているのだ。
そして私達夫婦は前者を選んだ、とっくの昔に。
がむしゃらに働いてより多くの賃金を得ることより、夫婦なかよく一緒に楽しく過ごせる時間を作ることを優先してきた。私と夫のいる世界はそういう世界だ。だから私たちの間には齟齬がない。
「コーヒー淹れるわ。飲むでしょ?」
二人の食卓から私はコーヒーを淹れるために立ち上がった。
これでこの話はお終い。私は気分を切り替えるために立ち上がり、夫は再びスマホに目を落とした。
休日の昼間はこうして過ぎていく。
お湯を沸かしながら私はクスリと笑った。
それにしても、どうしてこういろいろすぐにバレるのだろう。
私が勝手に悩んでいることを夫は全てお見通しだ。
私の頭の中でリフレインしている音楽を夫が鼻歌で歌いだしたり、飼っている猫のことを思い出して心配になると、夫が突然猫の話題を話し出す。
そろそろ夫も返ってくる時間かな?と思って、家路へ急いでいると、通りの向こうで夫が手を振っていたりするなんてことはしょっちゅうだし、夫に会わないようにと、別の道を歩いて駅に向かったら、ばったりと正面から出くわして、慌てて急に出かけることになったことを説明する羽目になったりする。
私と夫の世界はシンクロしている。
趣味も性格も考え方も違うけど、同じ小さな世界に住んでいる。
もっと冒険もしてみたいし、欲もかきたい。でも私の住んでいるところはこの小さな世界なんだ。
この世界を出て、知らない人の波にもまれて、疲弊して、誤解と齟齬と冤罪にまみれて声も出せず傷ついても、帰ってこられる場所がある。
それはとても小さな世界だけど唯一無二の宝物なのだ。
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