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アイルランド(4)〜2日目、移動の日

(このイギリス・アイルランド旅行記は以下に全部リンクがあります。よかったら。)

アイルランド滞在は3日半というところ。3日って相当絞らないと何も見ることは出来ない時間です。旅の計画をしている中で「何を見るか」の選定は本当に難しい。つい「あれもこれも」と欲張りたくなります。

でも「歴史・自然」は私達夫婦が旅する中で大事にする部分。それを叶え、かつ「(長い旅の最後の宿泊だから)宿泊自体を楽しめる場所」ということで北西アイルランドの「ハーヴィーズ・ポイント」というところに2泊することにしました。もちろん山下直子さんのこちらの本にも載ってました。(薄くて写真が綺麗で読み切りやすい。情報満載、の他にも旅本にはそういうことも大事なんですね)

ちなみにこのホテル、今では押しも押されぬアイルランドの有名ブティックホテル。決してお安くはないけれど、週日ならなかなかお値打ちなパッケージもあります。ただのんびりする、がお好きな方にはオススメ。(ホテルウェブサイトからのほうがいいです)
若くて体力なんかは大丈夫、という方にはパブ併設B&Bとかのほうがいいかもしれないですね。50代になった私達には「寝られるところがあれば」では疲れが溜まってしまうのでお金を払うのは旅の質と自分たちの体力温存という意味で大事になってきてるんです。

この日の予定行程、約5時間の運転、300km。そろそろ夏時間も終わるというこの時期は日も短くなってきていて、時間を見ながら行き先を削る、という形でした。そうそう、この地図では分かりませんが「北アイルランド(イギリス領)」も通ります。「パスポートいるのかな?」「なにか準備するものいるのかな?」という不安は尽きませんが・・・
移動が長いのでホテルは早めに出ることに。といっても日の出が朝7時半くらいなので8時過ぎに出た、というところ。
寒い朝で、朝は2℃。車の窓が一部凍ってたそうです(オットが車を回してくれたので私は知らないんだけど)。
しばらく海岸沿いを走ります。この辺りは海水浴もできる有名な場所らしい。朝から散歩している人たちが見られます。
お?と思って撮った写真でしたが、これ、前日(一記事前)ホウスのところで書いたのと同じ、「マーテロー塔」。ナポレオンが侵攻してくるかも、というのは本当に脅威に感じられていたんですね。イギリス南部も含め世界中で140あまり作られ、アイルランドには50くらいあるそうです。

ちなみにマーテローMartelloの語源は作った人とかデザインした人とかではなく、手本にした防御のためのタワーがフランスのコルシカ島にMortella Point(Torra di Mortella)にあり、その名前から・・・(つまり誤字?)といいます。そういえばナポレオンってコルシカ島出身・・・なんというか、歴史の皮肉でしょうか。
そしてマーテロー塔についてはwikiがなかなか面白いので、良かったら読んで見て下さい。(日本語はないのでDeepLとかに文章をつっこんで訳してもらう、っていうのがイイかも)

コルシカ島のTorra di Mortella、Google Mapより
そろそろアイルランド内陸に入っていきます。
イギリスもそうですが、アイルランドもこういった元教会?みたいな建物が普通に残ってる。
雨が上がって、この辺りの町が平日の朝の忙しさを見せてくれています。時々学校に向かう子供達や彼らを車に乗せようとしている親御さんなどを見かけました。
Malahide(マラハイド)という町あたり、ここはダブリン空港の北側でほぼダブリン圏内と言えるでしょう。
Swordsという町の手前でM1(高速道路)に乗ります。イギリスもアイルランドもこのおおきなラウンドアバウト(roundabout, 信号の代わりにある、一方通行にぐるぐる回る交差点)に入るときは私達、緊張します。降りる道を間違えて何度大回りしてきたことか・・・・苦笑
無事、間違えずに行く予定だったM1に乗れました(大汗)
イギリス同様、モーターウェイにはサービスエリアがあります。
ガソリンの値段も表示されてます。(他のところより高めですけどね)
向かっているのは右の標識にあるDroghedaというところなんですが、ここを直進すると北アイルランドのベルファストまで行けるんです。
高速を降りて目的地へ向かいます。急にこんな狭い道(イギリスならBロード、こちらではR(regional) とかL (local) ロード)になります。
。。。あの「いがいが」は何?❗と思って写真に収めたけど、今見てもなんだか分からない。電柱だったのかしら・・・
のどかさは田舎の特権。そして美しい景色の中のドライブは(気もつかうけど)楽しい。
生け垣状に緑が刈り込んであるのもイギリスと一緒。こういう風に植物を刈り込む機械があって、イギリスでもアイルランドでも時々「道路作業中」という看板とともに大きな機械をのせたトラックがゆっくり仕事してたりします。
田舎道は楽しい。でもこの狭さのところの制限速度は大抵時速80km(町では時速60km〜45km)で、みんな100kmくらいで飛ばしてます・・・・
あんな風に大きなトラック(イギリス・アイルランドではトローリーと呼ぶ)もぶんぶん飛ばしているので、なかなかスリリング。夜だと更に・・・(^_^;
標識の字が消えかけてる(~_~;)でも左の茶色の看板が、目的にしているところです!
Fourknocks (あるいはFour Knocks Tomb)はボイン川渓谷の遺跡群のひとつ。1950年ごろ発掘され、遺骨などはNational Museumに収められています。この辺についてはこのウェブサイトが日本語で説明してくれています。

↑上空からみたFour Knocks Tomb.

こんな道を進み・・・
いくつかの小部屋を有する、中に入れるお墓だったよう。
紀元前3000年+α頃のものらしい。この壁画?彫り込まれた模様にも意味があるんでしょうね。
こんな小部屋が3つ、内部にあります。
上にあがれるようになってて
うん、眺めはいい・・・(イギリスもアイルランドもかなりフラットな島です)
先ほど紹介した日本語サイトだと「ツアーでしか行けない」ってなってましたね。はははは、いっちゃったよ。

さて、次は「ドウス」に向かいます。そんなに遠くない。

また放牧地を突っ切る・・・
かなりの大きさだったよう。
こちらは、入り口(石壁の左側)に鍵がかかってました。ちゃんとツアーで来いってことか・・・
ドウスのてっぺん。いわれなければただの小山。
羊くんたちもいい場所を確保してる。
・・・なに?っていわれた感じ。ごめんごめん、ちょっと周りを見渡してみたかっただけよ。
あちらのお屋敷の前を通ったとき「インフォメーション」のサインがあったから、もしかしたら行ったら見せてくれるのかも・・・とは思ったけれど、今日は先が長いので「まぁいいか!」と。
次の目的地にしていた「ニューグレンジ」は歩けそうな距離だけど、雨の直後に牧草地を歩くってドロドロになるし、車でいくかー、と方向転換(このときはツアーとかじゃないとだめ、って知らなかった)。
ニューグレンジは入り口もがっしり、駐車場も広く、そしてこんな通り道まで作られている!
ヨーロッパで一番大きいPassage Tomb(通り墓?って訳すのか?)って書いてある。
通路からニューグレンジが見える。
入り口・・・どっひゃー立派!
で、予約が必要ってことで(こんなところと思わなかったんだもん)トイレだけ借りて先に進むことに。でもこんなに商業的に運営されてるとは思わなかった。まぁ世界遺産、だしね・・・

確かに古いものだけど古すぎて(笑)よくわからん。それに観光地化されすぎてて「ま、行かなくてもよかったかな」になりました・・・←そんなことない。チャンスあったら行かれるのも良いかと思います。

で、つぎは風と共に去りぬ、で名前が使われて有名な(確かスカーレットのお父さんがアイルランド人だったんだよね)「タラの丘」に向かいました。

最初に車を停めたのはここ・・・水源だったようですね。聖なる水として訪れるひとも多いのだとか。
こんこんと清水が湧いてきています。
どうやらタラの丘には手前にあった小さな集落の方からしか行けないらしい。それにしても建物が可愛いな。
「タラの丘(英語: The Hill of Tara、アイルランド語: Teamhair na Rí)は、アイルランドのミース県ナヴァンの12キロメートル南方にある丘陵。アイルランドにおける伝説上の上王たちの国が存在した地として知られる。」とはWikiに書かれていること。とにかく古いのでいまだに解明されていないことが多いけれど、アイルランドの人には「聖地」として受け入れられてるのだとか。
上にリンクしたWikiは日本語なので読みやすいかもしれません、ご興味あれば。
アイルランドの4分の3が見渡せる、とはいうけど、さすがにそれは・・・・笑
(今調べていて、こちらのサイトには4分の1が見渡せるって書かれてた。。。。んーどっちでしょう。)
玉座ですか。右の石が「運命の石」
正真正銘のタラの王がこの石に触ると、石が唸ると言う言い伝えが。142の王が君臨したそうですが、なにかケルト語の文書とかがあったんだろうか・・・ 
ちなみに左側のは墓標だそうです。どんな墓標かはわからないけれど、ここでは18世紀にイングランドの圧政に立ち上がった400人あまりが殺されたとかいう歴史もあるので、そういうものなのだろうか。
あれは「捕虜の墓」とよばれるもの。中から沢山の人骨や食器、アクセサリーなどがみつかっているそうです。
ビジターセンターになっている教会(19世紀建立)は夏の間だけ(〜9月いっぱい)のオープンでした。私達が行ったとき(10月23日)はもう閉まってました。

タラの丘に登るところの小さな集落にある本屋さんのオーナーがこの本↓の作者ということで。タラの丘についての歴史などを知りたい方にはきっと良い本。

まだまだ先は長い!ということでロードトリップの続きは次回。

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