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「俺の付き合いたいって言うのは、触ってもいいかっていう確認だよ。」

十七歳になるまで、付き合うことの意味を理解できないでいた。恋愛に対して批判的意見を持っていたわけではないけれど、「お互いに好き同士だったら付き合う」というごく自然で当たり前とされていることが疑問だった。どうして両想いなら付き合うのか、わざわざ名前のある関係性になる必要はあるのか、と考えては見つからない答えに頭を抱えていた。

サイトで「付き合う 意味」と検索したことのある人間がこの世にどれくらい居るだろうか。恋は理屈じゃないなんて言葉があるくらいだ、恋愛をそれほどまでに難しく捉え考える人なんてきっと僅かだろう。恋愛とは哲学みたいなもので正解も取扱説明書もないのに、私は正しさや普通を求めて何度も答えを探していた。でも結局、腑に落ちる答えはどこにもなかった。

けれどそんなとき、アプリで見つけたとある漫画の一コマにあった言葉に触れて、もやもやしていた気持ちがすっと晴れた。それがこの記事のタイトルにもしている「俺の付き合いたいって言うのは、触ってもいいかっていう確認だよ。」という言葉だ。作中で恋人という関係の形について語る女の子と、そんな彼女に恋をして告白をした男の子が放った言葉のひとつがそれである。画像四枚分の漫画に救われるなんて、インターネットも大したものだ。


あの言葉に出会って、私は初めて付き合うことの意味を理解した。そしてその後自分なりに考えを整理した結果、「付き合う=許しを得る」なのだと納得のいく解釈に辿り着いた。付き合って恋人という関係性になることで色んなことが許されるからその方程式になった。理由が無くても会うこと、季節のイベントを一緒に楽しむこと、誕生日には物を贈ること、弱さを曝け出すこと、肌に触れ合うこと、そして誰よりも特別に想うこと。それらが恋人という関係性でしか許されないことだからこそ、その同意をもらう為に告白をして、関係性に名前をつけるのかもしれない。(関係性に名前を付けることに関しては、安心できるという心理的効果もある)





そして付き合うことの意味に関連した疑問がもうひとつ、「経験としての恋愛は必要か」ということ。


高校時代クラスの男の子に、好きだから付き合って欲しいと告白をされたことがある。彼とはキッカケがあって親しくなり、その日は初めて二人で遊んだ日だった。(異性と二人きりで遊んだのも実はこの日が人生初だった)その日までの自分達の関係性や距離感、相手に抱いていた好意から「そのうち付き合うかもしれないな」という予感はあった。しかしいざその一歩手前まで来ると「この人と付き合ったところで意味はあるのか」「この告白を受け入れて付き合ったとして終わりは近いだろう」という考えが頭をよぎってしまったせいで、すぐに返事が出来ず、結果としても断ってしまった。


私は恋愛において結婚をゴールとはしていない。そもそも結婚願望すら毛頭ないが、「何十年後も一緒にいたいという気持ちが無いのにどうして付き合うのか?」と考えのブレーキがある。それこそわかりやすい結婚を例に言うなら「結婚まで見据えてない交際に何の意味がある?」と言ったところ。そしてここで出てくるのが〝経験としての交際〟だ。勿論いつかの運命の人と長い縁を結ぶ為には何度か経験して学びを得るのも大切だが、その度に沢山のものを失うことを許せるだろうか。メンタル面での消耗だってきっと激しいはずで、別れの辛さを何度も経験するなんて私ならごめんだ。

以上をまとめると私は「結婚を前提に付き合いたい」と思えるような相手じゃないと嫌で、交際人数が5人の相手より0人の相手の方が好きだということ。まともに恋愛経験をしてない人間が何を偉そうに言ってんだ、始まる前からそんな意見持ってるなんて重いな、とは自分でも思う。それを理由に両想いという貴重な形の縁も手放してきてしまって、きっと他者の目には最低な人間として映っているかもしれない。だけどここは、どうしても譲りたくないのだ。ここにこうして記したからこそ、何年後かの自分の交際経験が3人とかになっていたら驚きだけど。




そんなこんなでここまで来てしまった私は、二十歳の誕生日を前にしても未だに交際経験はゼロのままで、恋愛経験すら碌に無し。現在専門学生で今年は就職活動を控えているから、正直恋愛なんてしてる場合じゃない。(そもそも出会いすらないからどうしようもないのが事実)だからきっと恋愛でどうこうなるのはまだ先の話だけど、後悔しない選択が出来たらいいなと思う。

私は運命の人に出会える機会を待つのではなくて、いつかの惚れた相手を自分の力で運命の人にしたい。

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