二条城 門松
京都の原型は室町時代から戦国時代かけて作られたそうです。
京都の地形は北東部に流れる鴨川あたりが高く、南西に流れて、桂川と合流するあたりで低くなっていきます。
高地で水捌けがよく住みやすい北東部に、権力者とその周辺の人々が集まり、京都御所はもちろん、室町幕府も現在の相国寺や同志社大学あたりにありました。上京区と呼ばれる地域です。
一方、現在繁華街の下京区はむしろ低湿地で、もともと住む人の少ない地域でした。しかし、首都として人が集まり始めると産業も興ってきます。
そうした商工業者たち町衆が生み出した下京の生成と存在こそ中世の京都の特質であり祇園の誕生だったのです。
首都に権力も富も文化もあらゆる国の機能が集中する「一極集中」日本の性向は京都から始まったのです。
さて、京都には上京区と下京区の間に中京区が存在します。
この中京は応仁の乱の時代には戦場になり焼け野原になった場所です。
その空き地に、のちに上洛した戦国大名が陣を張りました。
織田信長が足利義昭の為に建てたの旧二条城も、豊臣秀吉が建てた聚楽第も、そして徳川家康が新たに建てた二条城もすべてここにあります。
上京の公家、下京の町衆の両方に睨みををきかせる意味でも、地理的に都合がよかったとか・・・
中国史とつなげて学ぶ日本全史 岡本隆司著 東洋経済
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