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喫茶ひとりじかんという集団でも孤立でもない第3の選択肢

いまからちょうど1年前くらいのこと、「喫茶ひとりじかん」をやってみたくて相棒のハラーダーに声をかけた。

そして、NPOを作るつもりもボランティアをやるつもりもなかったが、腕だめしのつもりでたまたま目に入った板橋区の「ボランティア・NPO活動公募事業」に応募してみることにした。

ひとりでも居られる場所

というコンセプトが、はたしてどのように評価されるのか客観的に見てみたいと思ったのだ。

ひとりの時間をいかに過ごすか? 歳を重ねれば重ねるほど、それぞれの「ひとり時間」の質が問われる。とはいえ、あまりに歳をとってしまうと「ひとり時間」への対応力が鈍くなってしまうのもまた事実だ。だからこそ、少しずつ、少しずつ、すべてのひとは「ひとり」への備えをしてゆかなければならない。

ひとりで何かをして時間を過ごしたり、自分のような「ひとり」が他にもたくさんいるということに気づかされたり、また、たまにはそんな「ひとり」どうし言葉をかわしてみたりできる場所。こうして、あえて「ひとり」であることにフォーカスした「喫茶ひとりじかん」は生まれた。

ところで、つい先日、元プロ野球選手の野村克也氏が自宅でひっそりと亡くなられた。プロ野球全盛期だったぼくの少年時代、監督でありながら、同時に捕手であり4番打者でもある野村氏は存在感十分のスタープレイヤーであった。監督に専念してからも、持ち前の「ID野球」であの万年最下位だったヤクルト・スワローズをトップクラスにまで鍛え上げる手腕をみせた。ちなみに、ヤクルトファンであったぼくは、当時のバイト仲間と一緒に神宮球場でその「奇蹟の日本一」を目撃している。

人一倍「野心」があり、批判されても動じない強い「精神力」を備え、同時になにより考えることが好きな「インテリジェンス」の持ち主、それがぼくの野村氏に対するイメージだ。

そんな野村氏と放送作家の橋田壽賀子による対談をテレビで観たのはたしか去年の暮れあたりのことだったが、観ているうちにどんどん悲しい気持ちになってしまったのをおぼえている。

すっかり年老い、まるでしぼんだ風船のようになってしまったノムさんの姿は、こう言っては何だが、もう、半分この世には存在していないかのように見えてショックだった。足を悪くしほとんど歩けないというのもあるが、それ以上に、「もうどうにもしょうがない」「早くお迎えが来てほしい」といったことをただただ繰り返すばかりのその姿からはかつてのギラギラしたオーラはすっかり失われ、かけらほどの生きる気力も感じとることができなかった。あの、野心と精神力とインテリジェンスを持ち備えた「ノムさん」はどこえ消えてしまったのだろう。

先立たれたとはいえ長年連れ添った愛妻がいて、すぐ近所には息子家族もいて、現役時代の華麗な業績があり、そしてたぶんたくさんお金もあって。はたから見たら、その老後はじゅうぶん恵まれたものに映る。

それなのに、彼は晩年ずっと孤独を抱え、ひとり死んでいったのだ。考えれば考えるほどいたたまれない気分になってくる。つまるところ、最後の最後まで彼は「ひとり」であることと上手く付き合えずにいたのだろう。とても残念だ。

話は変わるが、きのうこんなものを見かけた。『居るのはつらいよ』でおなじみ東畑開人氏のツイートである。

ちなみに言及している元記事はこれ↓です。

ぼくも読んでみたが、言わんとしていることは分かる。日常の中にしっかり「ひとり時間」を確保しようという主張に異論はない。だが、その方法はちがうと思う。なぜなら、東畑さんが指摘されているように「孤独は疲れる」からだ。

ぼくなりに補足させてもらえば、その方法は正しい「孤独」ではない。それは「孤立」であり、引きこもりである。そして、孤立は疲れる

ところで、助成事業として「喫茶ひとりじかん」を申し込む際、「これは『茶話会』ですよね?」という趣旨のことを言われ、ちがいます!!!とキッパリ否定した。なぜなら、「茶話会」の目的は「集うこと」「交わること」にあり、ぼくらが考える「ひとりで居られること」とはまったく逆だからだ。

だいたい、世の中にある「居場所」と称されるところは、どうしてみな揃いも揃って他人と一緒に何かをやらせようとするのか。けっきょく、「そういうのが得意でない」ぼくのような人間は、他人から切り離されて引きこもること、つまり「孤立」するしかないではないか。その「二者択一」ががまんならないのだ。

たとえひとりが好きでも、だからといって他者から切り離されたいというわけでは必ずしもない。誰かの気配を感じながら、邪魔されずひとりで居られること。もちろん、なにかのきっかけに誰かと交わることだってそれはそれで楽しい。

それに、家族に囲まれて暮らしている人だって、ときにはひとり自分だけの時間を持ちたいのではないだろうか。それは、ぜんぜん「逃避」ではない。サボっているのでもないし、コソコソとすべき悪いことでもない。そして、同じようにひとりの時間を過ごしている人たちの姿を眺めるとき、その思いは無言のうちにシェアされ、ちょっとだけ気持ちが軽くなることだろう。

ぼくらはそういう、いってみれば「第3の選択肢」のつもりでこの「喫茶ひとりじかん」を続けている。

次回「喫茶ひとりじかん」開催のお知らせ
日 時:2020年2月29日土曜日 13時〜16時
会 場:MUJI BASE 光が丘
    東京都板橋区赤塚新町3丁目33-4 ゆりの木通り33番街4号棟1階
参加費:300円(ドリンク付き)予約不要・当日現金にて支払い
なお、13時より会場内ソファースペースにて「ゆりの木通り読書会」を同時開催します。定員6名。参加費1,000円(ドリンクつき)。課題図書は、ちいさな町を舞台にした堀江敏幸の短編小説『雪沼とその周辺』(新潮文庫)です。要予約。

最後にひとこと、「喫茶ひとりじかん」からのお願いです。

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2002年より2019年まで北欧フィンランドをコンセプトとするカフェ「moi」を経営していました。渋谷のBunkamura→荻窪、吉祥寺でのカフェ経営を経て、日本とフィンランドとをつなぎつつ自由な発想による〝居場所づくり〟を構想中。http://www.moicafe.com
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