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DEAD OR ALIVE OR...?

そりゃあ暑いよ?
iPhoneが「体感温度は42℃」とかサラッというほど暑いさ。
でもどこかに秋を感じていて、それは例えば日差しの強弱だったり、就寝時のエアコン設定の変更だったり、毎年軽微な変化が盆明けには起こる。
 
今年の夏は「暑い」だけで終わりそうだ。
 
遂に例の祖母が天に召されたのが今年の夏の思い出で、他にはない。
四十九日が終わったのでこうして堂々と文章にする事が出来る。
 
6月中旬、両親と父の兄弟夫婦で「そろそろ施設に入れるか」という家族会議をした翌日の夕方に祖母が急変した。
それまでは、足腰は弱くベッドで一日を過ごしはするが、食欲旺盛、トイレも自力で行くし、会話も問題なかったわけで、文字通り急変だった。
6月といえど、今年は梅雨がトリッキーだったおかげで、中旬で既に常夏だった地元だ。
祖母の部屋にも当然エアコンは設置してあるので、熱中症という訳でもあるまいと、近所にある祖母のかかりつけだった医師に来て診てもらったところ、「今日逝っちゃうかもよ」と衝撃発言を受けた。
とりあえずそのまま自宅で点滴をし、かかりつけ医に入院先を手配してもらい、翌朝には入院した。そして入院先の医師からも「今夜が山だ」的な診断を下された。
 
ここまでは非常にスピーディーで、遠方に住む身内にも連絡しまくり、2~3日以内にはほぼほぼ皆が駆けつけた。
コロナによる面会禁止な病院ではあったが、今にも死にそうだという事で、2名まで10分以内というルールで許可してくださったので、駆けつけた全員が会う事が出来たのは有り難かった。
この時点で祖母は、意識もあるし聞こえるけど、言葉は発する事が出来ない状態だった。
 
つまり、すぐには逝かなかったのだ。
 
検査の結果、どこかで血管が破裂してるようなので、時間の問題だと言われたが、まさか点滴だけでそれから3週間も生き延びるとは誰も思っていなかった。
 
私は分かる。
彼女の生への執念を知っているから、そんな簡単に逝くわけないと。

俗世に未練しかない、何も達観していない彼女である。 
三途の川の此岸に座って、膝まで水に浸かってピチャピチャしている画が見えるし、30年以上前に先立たれた夫が彼岸にいるというのに、めっちゃ躊躇している画しか見えない。Why、何故だ。
95だよ、もう逝きなよ、頼むから自分の子どもより先に逝ってよ。
私はそういう気持ちにしかならなかった。
 
2日に1回の頻度で、着替えの交換に行くのだが、意識朦朧な相手にそんな毎回毎回面会する理由もないので、たま~に気が向いた時だけ面会申請をしていた。
その際にタイマーを持たされて、10分経つと音が鳴るが、私は顔だけ見て、オデコを触ってハイ終わり!トータル2分!って感じだったので、返却されるタイマーを見た看護師さんに「え?もう?!」と驚かれ、その度に私は「同居してましたので…」と半笑いで去るのが定番化していた。
 
そして遂に病院から「息、止まりそう」という電話連絡があり、両親達は飛んで行ったが、私は優雅に留守番だ。勿論、コロナによる人数制限も理由にあるが、孫というスタンスは我が家ではそういうものだ。
大正生まれの祖母には、子どもだけでなく、自身の姉妹たちもまた健在だ。8人兄妹だったかな?まだまだ半数が余裕で元気。私より近しい、そんな面子が最優先される。
 
最終結論としては、祖母は老衰ではなく、大動脈瘤破裂が直接の死因であると下された。最後の一週間程は、点滴も次第に体内に吸収されずに全身がパンパンに浮腫んでいたので、しおしおとした顔ではなく、むしろいつもより若干ハリのある状態で棺桶に入っており、所謂「可哀想さ・不憫さ」が掻き消されて結果オーライのようだった。
 
だが、彼女の死はここからが本番だ。
仮通夜、通夜、葬儀…、台風が直撃したのだ。
これは彼女の呪いか?とすら思えた。
そんなに逝きたくなかったか?拗ねてんの?
飛行機しか選択肢のない家族もいるというのに?
お経の間も、容赦ない暴風雨、雷。
火葬後にやっと雨が止んだ。
 
昨今は、葬儀・火葬後に初七日もやっつけてしまう習慣が増えつつあるが、いかんせん台風。本当の初七日に行った。真夏の灼熱、快晴だった。
 
ビックリしたのは、
台風だし、コロナだし、家族葬にするものだとばかり思っていたが、まさかの本葬だった事だ。
理由を喪主である父に聞いたら、うちは自営業だから、家族葬にしたとしても、後日沢山の方々がお参りにいらっしゃる。つまり、その間は家にいなきゃいけないので、仕事に出られない。
台風といえど、合理的なチョイスをしたようだ。
実際、自営業なばっかりに、95歳のおばぁの葬儀に多くの方に参列いただき、葬儀社の人も「コロナのせいもあって、こんなに多い葬儀は久しぶり」と仰っていた。しかも暴風雨。申し訳なさと有り難さが入り混じる。
誰も祖母の性根の悪さを知らないのだな…、なんか理不尽だな…、とも少しは思った。自営業故に、外面だけはセレブ並みに良かったからな…。
 
本人からすれば、やり逃げ大成功だろうと思う。
見習う点はそこだろうな。
だから頼むから成仏してねと、四十九日を迎えるまでは気が気でなかった。
 
今回の祖母の死で、改めて、順番は大事だなと。
腑に落ちる事が大事だなと。
様々な理由があれ、親より先に逝ってしまうのは、残された人にとっては理不尽でしかないだろうなぁ。
これまで私の同級生が何人か病気で亡くなったが、親御さんの気が晴れる事はないと、実際にお会いする度に感じている。勿論、時が経つにつれ毎日明るく過ごしていらっしゃるが、話の節々に心の中の闇がある。当然だと思う。
あくまで一般論だが、自分の子どもが死んで腑に落ちる親はいない。
 
私はこの先、自分の親が死んで腑に落ちる子どもでありたい。

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