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【映画】最近観た映画2023年4月

4月はなんといっても去年に続いての待望のシャンタル・アケルマン映画祭。とりあえず「東から」以外の今回上映作4本を鑑賞。前売りを買ってあったのと、招待券を貰っていたのでヒューマントラストシネマに行っては、予約し、次に行っては予約…という数珠繋ぎみたいな状況で忙しかった。前情報は殆ど入れずに挑んだのだけど、昨年の「ジャンヌ・ディエルマン」以上にハードコアな作品ばかりで、中々他の映画ではあの体験はできない。ミュージカルの「ゴールデン・エイティーズ」も、裏を返せばアケルマンの通底したテーマがあって一貫してるんだなぁと感じさせる。とはいえ、アケルマン作品でフェイバリットに挙げるとしたら「アンナの出会い」と「囚われの女」かな。
「トリとロキタ」の公開があったからという訳でもないのだけど、3月からつづいてダルデンヌ兄弟の作品を立て続けに鑑賞。ただ、ダルデンヌ兄弟の作品って悲哀のバリエーションに若干慣れてきてしまって、あまり立て続けに観るもんじゃないなと感じてしまった。とはいえ「トリとロキタ」の切実さと、その果てに起きる出来事はストレートに胸に刺さる。
ザ・シネマ・メンバーズでトリュフォー作品が配信されていたので、トリュフォー関連も含め鑑賞。今までトリュフォーで観ていたのは「柔らかい肌」と「華氏451」くらい。「大人はわかってくれない」の海辺で終わる切迫感や、「突然炎のごとく」での歪な三角関係の無軌道な結末、「日曜日が待ち遠しい!」(ヴィヴモン・ディモンシュ!)の軽妙洒脱さ。「ヒッチコック/トリュフォー」を踏まえての「アメリカの夜」での映画への偏愛は、「ふたりのヌーヴェルヴァーグ」のゴダールとトリュフォーの結託時代から決別から、この二人の違いを意識せざるを得ない。映画内映画といえばゴダールは「パッション」で描いていたけれど、常にポストモダンへと傾倒しているのに対して、トリュフォーはモダンの中でできることを突き進めたのだなと。その流れで二人を魅了したベルイマンの「不良少女モニカ」を鑑賞。道徳観や倫理観を欲望のまま壊しにかかるモニカの、肉体のセクシャルな部分も含めて突き抜けた破壊的な行動にヌーヴェルヴァーグに繋がるものが感じられた。時代的に画がおとなしい感があるけれど、テーマとしては現代に通じるものがあった。
カウリスマキの初期作が配信されていたので、こちらも続けて鑑賞。パルムドールを取った「過去のない男」へと連なる敗北感満載の人々の負け犬っぷり。金太郎飴といえばそうなんだけど、どの作品もカタルシスがあってノリに乗ってる感じ。よくもまあこれだけ立て続けに、このテーマで取れるもんだな。
濱口竜介の「偶然と想像」は久しぶりに再見。ユーモラスで恐怖スレスレのブラックユーモアはやっぱり面白い。妻を誘って観たのだけど結構楽しんでた。
ゴダールの「はなればなれに」の原作はかなり面白いので、この映画が好きで未読の人は必読。ひさびさに「はなればなれに」も観たけど、原作のクライムサスペンスな部分があまり印象に残らないのもなんかよく分かる。
殆どの作品を観ているヴェンダースで未見だった「ことの次第」はかなり良かった。「パリ・テキサス」以前のヨーロッパ時代のヴェンダースの良さと、アメリカへの視点が程よいバランスでやっぱりヴェンダースはこの時代だよな。これがあって「パリ・テキサス」があるのだな。
ミカエル・アースの待望の新作「午前4時にパリの夜は明ける」は、ロメールとリヴェット、パスカル・オジェへのオマージュ。80年代フランス映画をこの辺りの作品に捧げている辺りが今っぽい。僕もこの数年ロメールとリヴェットを追っていたので感無量。80年代というとカラックスやべネックスあたりのネオ・ヌーヴェル・ヴァーグが持ち上げられがちだけど、ヌーヴェル・ヴァーグ組の80年代作品の方が今の空気に合ってる気がする。
未見だったベルトルッチの「暗殺のオペラ」はとにかく映像が素晴らしい。ボルヘスを原作にしたドラマ部分は正直ピンと来なかったのだけど、それに余るほどの映像美は凄い。ベルトルッチはどの時代の作品を観ても、驚異的なカメラワークに驚かされる。




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