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私の中の"かわいいもの"

趣味嗜好は人それぞれ。何をかわいいと思うのかも千差万別だ。
私と夫の趣味は似ているが、ぴったり同じと言うわけではないだろう。違う人間なので当たり前だが。

私は手芸が趣味で、カンタキルト(インドの古布)が好きになったので、その切れ端を買ってクッションカバーを作った。

カンタキルトをつなげ合わせて作ったクッションカバー

写真の通り、ちょっと受け付けない人もいると思う。
しかし、遠くで見るのと近くで見るのはニュアンスが違ったり、色が複雑で美しい。

また、昨日は夫にストックの布でリビングの椅子の座面を張り替えてもらった。

座面を張り替えた椅子

私はこれも気に入っていて可愛いと思うが、苦手な趣味の人にとってはそうだろう。

なぜ私がこんなことを話しているのか? 個性とはそもそも他の人には受け入れ難い、センシティブな扱いを要するものだ。

全てが全て、万人に受け入れられて、シンプルでミニマルでナチュラル、だったらなんてつまらないんだろう?
はみ出ているのがその人の面白さ、人間味ではないだろうか?

最近インスタグラムを見ていて、はみ出てるようではみ出てない、批判対象にはなり得ないようなインテリアや趣味を紹介していて、それは当たり前なのだがつまらないなと思う。

私は味のある、完璧でない雑貨の方が好きだ。
どこかが欠けていたり、手仕事だったり、古かったり。そういうものの方が愛着を感じる。

そしてそれは人間でも同じだ。
欠点があるからこそ可愛らしく思えたり、大事にできる。
げっぷがオッサンみたいだったり、泣き声が元気よくけたたましかったり、変なところでへにゃっと笑ったりする(誰とは言わない)。

そんなて〜げ〜な感じでいいんじゃないだろうか。



朝の家事がひと段落した時間に moi


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