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諦めが導く答え。

妻の実家に帰省した時に、お土産として持っていったお菓子を俺が真っ先に食べていた、ということで妻から文句を言われた。
「(おやつの時間に)遅れていったからもうみんな食べた後かと思った」
「一種類しか食べてない」
とかいろいろ言い訳はしたのだが、ふと、自分の中で何かがはじけた。
息子と妻を目の前にして、「言ってしまえ」という心の声に従った。

「あのな、お父さん、よくこういうことを注意されたりするじゃん」
「うん」
「だからねぇ、わかったというか理解したというか」
「なに?」
「お父さん……そういうところがある

妻と息子、爆笑。

「直すとかじゃなくて?」
「うん、直すとかじゃなくて……そういうところがある」
「あははははは」
「よくがさつとか、無神経な発言をするとか言われるけど…」
「そういうところがある」
「そう、まさに」

この後息子がやけにこれを気に入り、めちゃくちゃ使い出した。

「この言葉はスゴイと思うよ。戦争とかもなくなるかもしれん」
「そうかぁ」
「お母さんの記憶力が怪しいのも、そういうところがある」
「えらい使い出したな」
「僕もそういうところがある」
「気に入ってるなぁ~。しかしこういう刺さるワードを残すところもやはり、お父さん、そういうところがある」

ということで「そういうところがある」と認めたらなんか色々楽になった気がする。もしやこれは自己啓発書にもなり得るのではないだろうか?

まあ言ってしまえば一時期はやった「ありのままに」近い考え方ではないだろうか。ただ、自然のまま、心の赴くままというのとはちょっと違う。そう言ってしまうとカッコつけすぎるというか、まあその根底にあるのは自然な欲求というよりは「あきらめ」である。もうおっさんなのでそんなに変われるようなもんではないんだ、というような。
しかしできないことを認めるのもばつが悪いのでなかなか振り切れない人もいるかもしれない。しかし、あえてそこを降りてみるのだ。
余談だが、こういう「自然にいよう」みたいな動きというのは「アナと雪の女王」でも加速したが、その前は「世界に一つだけの花」から始まったように思う。「もともと特別なオンリーワン」だからそのままでもいいじゃないか、と。まあ正直この曲がはやったころは、「全員オンリーワンなら結局オンリーじゃねえじゃん」と思ったりはしていたのだが。THEひねくれマン。

しかしまあ、歳を重ねるとわかってくる。「これはできる、これはできない」というラインが。
とはいえ仕事では「俺はこれやんね~」とはなかなかいかないものだ。できないことというよりは単純に面倒なだけなことも多いし、面倒なことをみんなが避けてたら回らない。できないこととあんましやりたくないことは区別しないといけない。あんましやりたくないけど結局やらないといけないことであれば、腹を決めたほうが早く済んだりもするし。
まあ中には「この人絶対これやってくんないな~」という人もいるが。

そういうわけでこういうのはせいぜい通用しても家族までである。逆に言うと家族の前でカッコつけてると疲れるしなあ、ということを考えると「そういうところがある」で自分の立ち位置を理解してもらうのはいいかもしれない。
どうでしょう、ご自由にご使用ください。「そういうところがある」。

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