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「成長しない」という喜び。

犬を飼い始めて1年ほどが経つ。
自分は子供のころから犬を飼ったことがなく、妻は何頭か飼育経験があるので、基本的には「犬に対してこう接するべき」というのは妻の言う通りにした。
叱るときに名前を強く呼ばない(名前=悪いものだと感じてしまうため)、キュンキュン言ってるときに相手をしない(キュンキュン言うと相手してもらえると思うため)、などなど思ったよりしっかりと飼い方が確立していたので、そういうもんなんだなぁと思いながら飼っている。

うちの犬は保護犬であり、妻がネットで探して見つけた。というか見つけた翌日には連れて帰ってきていたので結構急転直下ではあった。その時は出張中であり、メールで相談を受けていたのだが、連れて帰ってきてすぐ子供たちにもなついたようで、「ぜんぜん吠えない、すごく大人しいコだよ」という報告があった。
出張が終わり帰ってきて初めての対面。めちゃくちゃ吠えられた。

「話がちがうやんけ」とは思ったが、吠えるのは自分にだけ。このままでは父の威厳が…とかそういう前にまずやかましい。ネットでなつかせ方などを見たりしたが、どうしても時間がかかる。悩んだ末に「ビビってるから吠えられるのだ」と自覚して、正面から相対することにした。そして、意を決して対峙し、吠えた瞬間に一喝!…したところ急にごろんと腹を見せて寝転がった。それ以来なつかれている。

妻はめちゃくちゃかわいがっていて、
「毎日カワイイって言ってるわ~」とよく言う。実際、噛みついて来たり全然言うことを聞かないわけでもなく、かわいい。ほかの犬や自動車などに対してはよく吠えるので完全に言うことを聞くというわけでもないのだが。
子どもたちもかわいがっていて「末っ子」として扱われている。呼べばすぐ来るとかお手をするとかではないが、たまに呼ぶとテケテケやってきたりするところがまた不完全でよい。

妻が毎日かわいいという理由も、わかってきた。子どもたちが幼いときの、未成熟ゆえのかわいさが、犬にはずっと残っているからではないだろうか。言葉がわからないはずなのに、わかったように見えたり、やっぱりわかっていなかったり。期待を込めて「今絶対理解した!」と喜んだりできることは、けっこうしあわせだ。

子どもたちが成長することは、もちろんうれしい。もうこんなことができるのか、もうこんなところまで手が届くのか、もうこんな難しい漢字を読めるのか、などなど。しかし一方で「もう歩くことさえ覚束なかったあのコはいないのだな」という一抹の寂しさがあるのも事実。子供が独立した老夫婦がペットを飼いだしたりするのは、純粋な動物としての可愛さだけでなく、小さかったころの子供を投影している人もいるのではないか。だってまだ子供が家にいるのにそう思うんだから。

昔、子供が2歳くらいのころ、親戚のおばさんが「このころを冷凍保存したい」と言って抱き上げているのを見た時は、何を言ってんだと一瞬思ったものだが、今はけっこう気持ちがわかる。

もちろん、ペットは幼少期の子供の代替品というわけではない。犬としての特性をふまえて接しないといけない部分もある。昔は犬を抱いて歩いている人を見ると「散歩の意味がねえだろ」と思っていたが、飼いだしてみると犬の種類によってはそもそも散歩を嫌がって途中で歩かなくなってしまうのもいると知った。逆に散歩大好きで家に帰りたがらないタイプもいるようだが…。

とりあえず、帰ってきたらこちらを見上げながら軽く尻尾を振る姿を見て、ずっとこういう毎日が続くことを願うのだった。

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