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短編小説「プロ盆ダンサー 戸村梵次郎」

「盆踊りにプロがいたら」という妄想から書いた小説です。妻の実家の盆踊りが「夜通し踊る」という特殊なものだったので、そこからヒントを得ました。

あらすじ


  ドン、ドン、ドン。太鼓の音が、夕暮れの空に響き、それに合わせた唄が聞こえてくる。もうすぐ、盆踊りが始まるのだ。しかし、浩一の足どりは重かった。盆ということは、今年もヤツらがやってくるからだ。ヤツら…「プロ盆団」と呼ばれる集団である。
 浩一が住んでいる地域は、沿岸部ということもあり人口が少ない。通っている中学のクラスは、3学年合わせても6つだけだ。高校進学を機に町の外へ出て、そのまま戻ってこない人間も珍しくないという現状では、当然盆踊りの参加者も少なくなる。そこに目をつけて5年ほど前に声をかけてきたのが「プロ盆団」だった、らしい。らしいというのは、酔った祖父の愚痴まじりの情報であり、確信が持てないためだ。実際、プロ盆団が地元の盆踊りをプロデュースするようになり、確実に人は増えたし、盛り上がりも往年に近いものを見せた。いいことずくめだ、と歓迎していたら、気付いた時にはプロ盆団がいなくては実施自体ができないようになっていたのである。
 以来、盆踊りはプロ盆団の決めた通りの日程と進行で行われ、いつしか盛り上がりさえも演出されたもののように感じられ始めた。浩一は、子供のころこそ盆踊り好きだったものの、中学に入るとそこではしゃぐのも幼く感じられていたのでそのまま受け入れてはいたが、心のどこかで居心地の悪さを感じていたのも事実だった。もちろん、そう思っているのは浩一だけではないのだが、実際にプロ盆団が手を引いてしまうと盆踊りが衰退するのは明らかだったし、不満を口に出すことすらはばかられる雰囲気が町中に蔓延していた。(こんなのなら、盆踊りなんかなくなっちゃえばいいのにな)浩一は道ばたの石を思いきり蹴飛ばした。

 家に帰ると、当たり前のように浴衣が用意されていた。不参加など許されない、そんな空気が居間から発せられている。祖父だ。
「おう、浩一、帰ったか」
 無駄にドスの利いた声が響く。こっそりと二階に上がろうかと思ったが、無理だと悟りおとなしく居間に顔を出す。
「今年は、これを着てヤツらに一泡吹かせてやれ!」
 あらためて浴衣を見る。背中でにらみを利かせている登り龍、しかも両袖の部分には風神雷神がしかめっつらをしている。破滅的なセンスだ。
「刺青じゃん…」
小さい声でボソっとつぶやいたのが聞こえたのか、祖父の声がひときわ高くなる。
「あぁん?!ヤツらに対抗するにゃあ、これくらいやらねぇといかんだろうが、べらぼうめい!」
 御歳70を超えるとは思えない勢いの江戸っ子口調に、浩一はさっそく諦めることにした。このさい祖父がまったく江戸っ子でないことは置いておく。ここ何年かプロ盆団への対抗策をいろいろ用意しているが、それは今回のように派手な浴衣だったり、派手な下駄だったり、けっきょくのところはハッタリをいかにきかせるか、というレベルの話だった。元々は盆踊りの実行委員長を務め上げた祖父だけに、その無念は人一倍であることもわかるのだが、何かズレている気がしなくもない浩一だった。
「いいか、この浴衣さえ着ていけば…ごほごほ」
 咳き込み始めた祖父の背中をさすろうとすると、母親が現れ祖父を部屋へ連れ去った。こちらを一瞥する母の目に(いいから、早く盆踊りに行きなさい)というメッセージを感じ取り、浩一は仕方なく浴衣を手に取った。

 盆踊りというのは、不思議な文化である。本来の目的は死者に対する供養のはずなのだが、ひとたび踊り始めると、そんな目的はどこへやら。太鼓の音と唄に誘われて、延々と体を動かしてしまう。激しいステップやアクションを必要とするわけではないのに、音が止むとへとへとになってしまうのは、そのせいだろう。
 浩一はそんな盆踊りが好きだった。音に任せてひたすらやぐらの周りを回り続けると、いつしか周りの世界がすべて太鼓の音に包まれているような、盆踊りハイとでもいう感覚。あれはなかなかほかで味わえない。そんなことを考えながらとぼとぼ歩いていると、いつの間にか町の広場に足を踏み入れるところまで来ていた。既にやぐらの設営も終わり、歌い手がマイクの調子を確かめているところだ。浩一の町では、カラオケのような音源を流したりしない。音楽は実際の太鼓と唄である。それが当たり前だと思っていたので、転校していった友達からよそは違うと聞いてびっくりしたものだ。しかしその分、ある種の誇らしさが生まれたのも事実だった。「プロ盆団」になってからも、その部分は守られていたのが、まだ辛うじて救いだったと言える。
 盆踊りの会場まできたとき、ふと、浩一の目の端にひとりの人物が映った。白の浴衣を着こなし、腕組みをしたまま少し離れた所に立っている男。浴衣を着て待っている人間は大勢いたが、見たことのない顔だったし、なにより醸し出す雰囲気が、いわゆる「ただものでない」感じだった。外見から想定できる年齢は浩一より10は上といったところだが、落ち着いた雰囲気はさらに上のものを感じさせた。(誰だろう?)どこかの親戚であれば狭い町であるから一回は目にしたことはあるはずだが。浩一が少し近づいてみようとしたところで、広場にマイクの音が響きわたった。
「ホラ、何をだらーっとしてんだ!さっさと輪をつくんな!」
 出た。浩一は反射的に肩をすくめた。プロ盆団のトップの女。名前は確か音無とかいったか。この女が何もかも仕切りだしてから、町の盆踊りは変わってしまったのだ。年齢は30にもならないという噂もあれば、50近いという噂もある。少なくとも浩一には、実際に顔を見てもそのあたりは判別できなかった。遠巻きに見ていた町の人間は、声に促されて輪を作り始めたが、その中にはプロ盆団の人間がところどころに紛れ、監視の目を光らせている。仕方なく、浩一もこっそりと輪に加わった。
 ドン。太鼓の音が響く。いよいよ始まりだ。子どもの頃から通い詰めている浩一には、最初の音でどの踊りかはだいたいわかる。本来であれば供養所にお参りしてから踊りだすのだが、みんながバラバラになって流れを損ねる、ということでプロ盆団によってその手順はカットされてしまっている。さすがに供養の意味がなくなると地元も反発したが、いつの間にやらゴリ押しされてしまい、今に至るというわけだ。ただ、それでも「供養」が気になって仕方ない浩一が供養所を通り過ぎながらも軽く手を合わせた時、頭の上のほうから声がふりかかった。
「木山浩一君だね?」
 一瞬体を硬直させた後、ゆるやかに振り返ると先ほど見た白い浴衣の男がとなりに立っていた。動きが止まってしまった浩一に、男は目線を輪の先にやり、踊りを続けるよう促す。慌てて浩一も踊りを再開した。
「私は戸村梵次郎。君のお爺さんに呼ばれてきたものだ」
「じいちゃんに?……あっ、でもなんで僕のことが」
「その浴衣ですぐわかったよ」
 言われて自分の浴衣を見下ろす。無駄に主張の強い風神雷神が自分を見返してくる。浩一は思わず赤面した。
「あの、これはその、じいちゃんが」
「わかっている。だが、なかなか気合いが入っていていいじゃないか」
 からかっているようにも聞こえるし、本気で感心しているようにも聞こえる。どうにもつかみどころがない感じだ。少しずつ落ち着いてきた浩一はひそひそ声で、しかしはっきりと疑問を口にした。
「あの、じいちゃんに呼ばれたって言ったけど、おじ…お兄さんは何をする人なんですか」
「なかなか気配りのできる少年だね。おじ…お兄さんは『プロ盆ダンサー』というやつだよ」
 浩一は体を激しく硬直させて振り返った。梵次郎はにこっと微笑むとふたたび視線で前方を指し示す。そうだ、踊りを止めたらプロ盆団にマークされてしまう。再び前を向き、踊りを続ける。まだ比較的動きが簡単なものだったので、少々ゆるやかになるのは問題ないはずだ。
「プロ盆って、あいつらと同じ」
「いや、私は別だよ。何より、私は一人だけだ」
「じゃあ、いったい何しにここへ来たんですか」
 浩一の問いに団は少し間を空け、静かに、しかしはっきりと言った。
「奴らを倒しに」
 ドン。太鼓がひときわ激しく鳴り、最初の踊りが終わったことを告げた。

※ここよりテスト的に有料とさせてもらってましたが現在はやめました

「見慣れないのが紛れ込んでるね」
 プロ盆団トップの女……音無はやぐらの上から踊りの輪を見下ろしながら言った。まるで喪服のような漆黒の浴衣をまとっていて、どこからどう見ても目立つ。
「あぁ、どこかの家の親戚かなんかですかね」
 交代要員として控えている唄い手の男がこともなげに答える。音無はそれが聞こえなかったかのようにじっとその見慣れない男―戸村梵次郎を見つめていた。
「あいつ、もしかして……」
 つぶやきつつ、目線を唄い手に向ける。「次の曲を始めろ」という合図だ。まだ休憩を続ける予定だった男は一瞬目を丸くしたが、音無の目の奥に本気を感じ取り、マイクを握った。次の曲が始まる。同じように休憩中だった参加者も思いのほか早い再開に慌てつつも、急いで輪を作りだす。輪から離れ、団と話そうとしていた浩一も、すぐさま輪に戻る。「輪を乱す」ことはあってはならない。それが身体に染み込んでいたルールだった。反射的に動いてしまう自分の身体がうらめしい。一方梵次郎はというと、浩一から少し離れた輪の中に、驚くほど自然に溶け込んでいた。次の曲は正直難易度が高かったが、何故か、梵次郎は心配ないのではないか、という思いが胸をよぎった。
 唄が流れ、輪が動き出すと、浩一の予想した通り、梵次郎の動きにまったく危ないところはなかった。むしろ周りよりも上手いくらいだ。盆踊りというのは基本的に素人のものなので、上手い下手を競うものではないのだが、それでも梵次郎の踊りは不思議なほどこなれていた。無駄のない足の運び、きびきびとしつつも大げさでない手の振り、すっと通った背筋など、まさにプロと呼ぶにふさわしいものだった。が、しかし。それでも浩一の頭にはずっと同じ疑問が浮かんだままだった。(奴らを倒すって・・・どうやって?)

「やっぱり、プロだね」
 やぐらの上から梵次郎を観察していた音無がつぶやくように言った。近くにいた部下が、耳に手を当てながら目を向ける。大音量の中でもなんとか上司のつぶやきを聞き漏らさないようにしようと必死だ。音無はあごをしゃくるようにして、団のほうを示す。
「見な、奴の足の動きを。…恐ろしいほど無駄がない」
確かに。部下の男からしてみると、特に目立つようなものでもないと思ったが、逆に言えば、それほど馴染んでいるということだ。まるで地元に何十年も住んでいるかのように。男の見慣れなさ、若さからするとこれは異常なことだった。知らず知らずのうち梵次郎の動きに見惚れていた部下の男は、音無に肩を小突かれ、はっと我に返った。
「姐さん、どっ、どうしやしょう・・・?」
「フン……わかってんだろう。プロのいる場にプロが現れたらどうなるか・・・」
 音無は唄い手に目で合図を送った。
「プロ盆勝負、それしかないさね」
 『プロ盆勝負』とは、盆プロと盆プロの果し合いのことである。どちらの「盆力」が優れているかを競い合い、敗れたほうがその場を去る、という点では単純明快だが、その勝負自体はそれこそプロ同士にしかわからない技の応酬であり、しかも大原則として「プロ盆勝負が行われていることは、ほかの参加者に気づかれてはならない」というものがあった。あくまで、主役は盆踊りそのものであり、勝負もその枠の中で行われるのである。そのような事情があるので浩一も気づいてはいなかったが、実はこれまでに何回もこの地でプロ盆勝負は行われており、音無は挑戦を退け続けていたのだった。
「今年の奴は、どうやらこれまでのボンクラどもとは、一味違いそうだねえ」
 腕を組んだまま不敵に笑う音無。ボンクラとは盆に暗い、という言葉からきていて、賭場の盆でまったく勝てない三流という意味を指し、当然盆踊りとは関係がない。だが、音無は好んでこの言葉を使用していた。盆と名のつく言葉を無意味に好むあたりも盆プロらしいところと言える。
 唄い手は音無の合図を受け、微妙に歌のテンポをアップさせた。拍子を変えることで、盆プロだけにわかるサインが送れるのだ。梵次郎は一瞬だけ顔をやぐらに向けると、口の端に笑みを浮かべ、歌に合わせて踊りのテンポを上げた。そしてその前に、下駄のつま先を使って、地面を2回連続で蹴る。勝負了承の合図だ。ふと目をやると、いつの間に下りてきていたのか、輪の端に溶け込むように入ってきた音無の姿が見えた。ちょうど梵次郎から見ると輪の半分を過ぎたあたり。プロ盆勝負の基本形、「ハーフ&ハーフ」の陣形だ。音無は梵次郎に一瞥をくれると、あっという間に自分の世界を作り始めた。
(見てな・・・伊達にこの場を仕切っちゃいないよ!秘技・闇ゆらぎ!)
 一瞬、暗いオーラが辺りを包んだ、ような気がした。ゆらめくような音無の動きに合わせ、周囲の一般人も知らず知らずのうちにつま先立ちで踊り始める。梵次郎はその様子を見ながら、落ち着いてたおやかなステップを踏む。その様子を横目で捉えた音無は、予想だにしなかったテクニックに戸惑いを感じた。
(あ、あれは秘技・酔い桜!)
 けだるい、いかにも地元の中でも慣れ切ってしまった人間のステップに見える。しかしその実、少しずつ動きにキレをつけることで、徐々に周囲を巻き込んでレベルを高めている。紛れもなく、プロの技だ。
(やるじゃないか・・・なかなかの支配力!これまでのとは違うね)
 気がつけば、梵次郎も音無も、下駄が磨り減り始めている。明らかに新品であるにも関わらず、だ。そんな様子を、浩一は輪に加わったまま見ていた。詳しくはわからないが、音無が輪に加わってから、明らかに何かが変わったことは感じ取っていた。自分には計り知れないことが起こっていることに、浩一は感動と苛立ちを覚えた。
「くそっ……」
思わず誰に向けたとも言えない悪態が口をつく。
(盆プロって……何だかわかんないけどスゴイ!)
結局わけはわからないのだが、なぜか見逃してはいけないような気がして、浩一は祭りの輪をじっと見つめた。

 踊りは終盤に差し掛かっていた。といっても、プロ盆勝負の終わりではない。休憩を挟み、まさに盆踊り自体が全て終了するそのときまで、勝負は続く。それが全て終わったときに、勝者を判定するのは、プロ盆ダンサーたちである。逆に言うと、どちらかが負けを認めない限り、勝負が終わることはない。だが、プロ盆ダンサーにとって最大の恥辱は「負けをわかっていて認めない」ことであり、判定でもめることは皆無といってもいいくらいの出来事だった。

 ドン。

 激しく打たれた太鼓が、断末魔のような音を夜空に響かせた。それに呼応するかのように、ぐらり、とやぐらが揺れる。プロ盆勝負の熱は、太鼓の叩き手にも及んでいたようだった。音無は足を止めながらやぐらの上にちらと目をやる。部下が1曲目でここまで消耗することは、かつてなかった。音無は同じく足を止めていた団のほうに意識を向けた。脳のどこからか語りかけてきた声は、最強の相手が現れたことを告げている。
(とりあえずは5・5ってところかね。まあこっちもそうだが向こうも本気じゃあないだろうし、この休憩を終えてからが本番か)ふ、と笑みを口の端に浮かべながら、音無は輪の外へ歩き出した。まずは休憩だ。プロ盆勝負のそれは、通常のスポーツで言うインターバルとは意味が異なり、そこでの過ごし方も勝負を決定付ける要素となりうる。そして、音無が不敗でいられた理由もそこにあった。
「盆に欠かせない、『地元』の要素。この町の特殊な習慣が、よそ者にわかるわけがないからねえ」
 知らず知らずのうちに声に出してしまったようだ。おっと、と口を手でふさいだ音無は、次の瞬間無意識の叫びをあげそうになり、ギリギリのところでそれを押しとどめた。
(なんだってぇぇぇぇぇ!!)
視線の先にいたのは、戸村梵次郎。しかし音無の目を奪ったのは、その手に持っているものだった。先ほど、一瞬横目で確認したとき、団はラムネを手に持っていたはずだった。それは通常の盆プロなら正しい選択である。激しく踊ったからといって、スポーツ飲料や水を飲んでいては盆プロ失格なのだ。
「確かにラムネだったはず・・・」
 また、知らず知らずのうちに声が口をついて出る。しかし、音無が今目にしているのは、牛乳にコーヒーが混ざった茶褐色の飲料・・・ひらたく言うとコーヒー牛乳であった。しかも、この地域の盆踊りだけに出される激甘のものだ。(ハッスル牛乳・・・!こんなダサいブランドまで押さえているとは・・・!)


これまでであれば、この休憩において、地元の常識を知らない相手に対して投げつける一言があった。
「やっぱここで踊った後には、この昔ながらの甘ったるさがたまんないねえ」
 この台詞を聞いたときの、相手の敗北感。『地元』に染まりきれていない、刺客としての隙。そこを突くのにこれ以上の言葉はなかった。そう、なかったはずだったのだが……。
(ちぃ、偶然か?!だが、この甘ったるさ、初めての人間に簡単になじめやしないだろう)そう自分を落ち着かせようとした音無は、団の足元に信じられないものを見た。少し成型に失敗したかのような、不恰好なビン。そしてそこに書かれているのは力こぶを見せる牛の絵……『ハッスル牛乳』のロゴマークだった。
(まっ、まさか2本目?!このあたしですら1本がやっとだというのに……!!)
 そこで、二人の眼が合った。梵次郎は音無の視線をまったく意に介さないかのように、ゆっくりと背を向けて、飲み物コーナーへ向かった。背中に音無の視線を受けながら、低く、しかしはっきりと通る声で飲み物を配るおばちゃんに一言だけ声をかける。
「……ハッスル牛乳ください」

「何ィィィィィ?!」
声を上げたのは音無ではなく、浩一だった。慌てて駆け寄って団の浴衣の袖をひっぱる。
「戸村さん、正気ですか?なんかわかんないけど、今は勝負の途中でしょう?ラムネ1本にハッスル牛乳3本なんて……」
「浩一君、君はプロ棋士の戦いを知っているかな」
「は?」
 出し抜けに何の話だ?と思いながらも、静かな気迫に押され、そのまま聞いてしまう。
「プロ棋士。将棋のプロのことだ。彼らは脳をフル回転させるため、対局中にケーキを数個やドロドロになるほど砂糖を入れた紅茶など、凄まじいほどの糖分を摂取する。それでも、対局が終わると数キロも痩せてしまうそうだ」
「はあ……」
「我々、盆プロにとっても同じなんだよ」
「そ、そうか!だからあえて甘ったるいハッスル牛乳を飲むんですね?!」
「いや、ハッスル牛乳は単なる好みだ」
「……!!」
 浩一は言葉を失った。どこまで本気なのか?だが、足元の下駄の磨り減り具合は、その踊りのレベルが嘘ではないことを告げていた。

「……なるほどねぇ」
 後ろからかかった声に身をすくませて浩一が振り向くと、音無がそこに立っていた。
「今回の相手は一味違うと思ったが、単なる好みとはね。偶然にせよその地元力はなかなかのもんだ。普通ならいかにも地元特産の『みかんジュー水』に手が伸びるところだからね。だが、所詮はよそ者。その下駄が割れちまう前に、とっとと浴衣を脱いで逃げ出したほうがいいんじゃないのかい」
「……プロ盆勝負は、言葉の争いではない。安い挑発はやめておけ」
 再び梵次郎の声が低く響いた。だが、今度の声は音無にだけ聞こえるように音域を絞っているようだった。
「ふん、言うじゃないか。……後半、あたしの『底』についてこれるか、見せてもらうよ」
「それは、こちらも同じ台詞だ」
 マイクテストの声が響き、ふたたび踊りが始まることを告げた。夜風は不気味なほど温かく、浩一は全身からじわりと汗が噴き出るのを感じていた。

 ドン、ドン、ドン……と太鼓のリズムが早くなっていく。この地区の盆踊りの中では最も難度の高い、「姫蔵」だ。浩一は一瞬耳を疑った。姫蔵といえば毎年クライマックスのときにかけられる曲だからだ。ちら、と視線を向けるとその先にいた梵次郎はこちらをしっかりと見据え、ゆっくりとうなずいた。この曲が普通の流れからくる曲ではないことに、気づいているようだ。浩一は、もうじたばたせず、とにかく団に全てを任せることにして、自分は踊りに集中した。この曲が終わったとき、何かが変わっている、そんな予感だけを信じて。

海からの風が吹いたらヨォ~ みんなそろって船出す朝ヨォ~

 姫蔵の唄が始まった。浩一も踊りの輪に加わる。なぜだか、外から眺めるよりもそのほうがこの勝負がよくわかる気がしたからだ。梵次郎と音無は互いに目配せをしながら、輪に加わる。先ほどよりも二人の距離が近い。盆勝負の陣形において、最終局面で使用される「グラップル」だ。単純に言ってしまえば「ハーフ&ハーフ」より近いというだけだが、グラップル(喧嘩)という名前が示すとおり、まさにガチンコで殴りあうような緊張感が漂う。音無は息を整えた。かつてここまで持ち込まれた相手は数えるほどしかいない。だが自分はその相手をすべて沈めてきた。時には相手の下駄を飛ばし、時には浴衣のすそを引っ張り、距離の近さを活かしたありとあらゆる手を使って勝利をもぎとってきたのだ。自分には、勝ち続けなければならない理由があったから。

 可愛いあの娘の笑い顔 見たくてせっせと網を出す

 大漁だ 大漁だ 蔵に入れても収まらぬ

 歌声が夜空に響き渡る。歌い手のテンションも最高潮といったところだ。音無と梵次団、二人の攻防も熱くなる。梵次郎は相変わらずクールだが、ふと気が付けば動くたびに大量の汗が散っていることに、浩一は気づいた。やはり、想像以上の負担がかかるのだ、この盆プロ勝負というやつは。踊りながら音無のほうにも目を向けたが、こちらも疲労の色は濃い。顔の化粧が少しずつ落ちていっている。

 明日も明後日も大漁だ お前は海の女神さま
 どうかおいらといっしょになって かわいいやや子生んどくれ

 歌も後半に入った。どうなれば決着がつくのか、未だに定義はわからないが、間違いなくこの一曲で勝負がつく。そんな確信が浩一の胸に生まれた。
「!!」
 声にならない叫びが、浩一の喉を衝く。梵次郎と音無の周りに、煙が立ち込めていたからだ。いや、周りが何も感じてないということは、これは煙ではない。(もしかしてこれがオーラってやつか)急に悟った気分になった浩一は、思わず踊る手足に力を込めた。
「戸村さん……!」
 
「くっ、くそっ!ここまでやるとは!」
 音無の額に汗が、そして顔には焦りの色が浮かぶ。梵次郎の踊りはいっこうに衰えなかった。地元民しか知らないはずの「姫蔵」のクセすら、完璧につかんでいる。(こいつ、本当によそ者なのか?)疑念が浮かぶが、顔に見覚えがないことは確かだ。今はそれよりも踊りを続けなければ。この男を打ち負かすほどの気合いを持って。音無は一瞬だけ目を瞑った。
「最終奥義・乱れ緋牡丹!!」
 全身全霊を込めて踊りの熱気を高めつつ、崩れたリズムにより相手を幻惑する最終奥義。そして、ついでにいうとそれで相手が怯んだすきに下駄を蹴飛ばすというセコイ技でもある。だが、最終局面において下駄が飛ぶということは、地味に見えて絶大な効果を誇った。事実、これまでの強敵はこの技ですべて沈めてきたのである。オーラに気おされているのか、梵次郎の動きにも、さすがに動揺が見えた。(ここだ!)足を伸ばす音無。勝負がついた、そう確信した瞬間。
「最終奥義・昇竜一閃!」
 初めて梵次郎が踊りの最中に声を上げた。そして次の瞬間、下駄を飛ばしにいったはずの音無の足から、下駄がなくなっていた。綺麗な放物線を描いて、やぐらの向こうに飛んでいく下駄を見ながら、音無はがっくり、と膝をついた。
 やぐらの上からその様子を伺っていた歌い手は思わず唄を止めそうになったが、膝をついた音無が視線を送ると、慌てて続けた。プロ盆勝負の掟は、たとえどちらかが勝敗を認めても、その踊りを途中で止めてはならない。やがて曲が終わろうとするとき、浩一は心なしか、その唄が鼻声になっているように思えた。

「……あたしの、負けだね」
 音無は心なしか晴れやかな表情でつぶやいた。すでに踊りは終わり、片づけを始める人、帰る人、談笑する人さまざまだったが、全体を祭りの後の空気がつつんでいる。梵次郎と浩一、音無、さらにはプロ盆団の人間だけが小さな輪を作っていた。
「お前が、あそこであの技を使わなければ、勝敗はわからなかった」
「えっ……」
「あの技は、強力だが邪念に満ちた技だ。知っている相手には使うタイミングがわかる」
「知っている相手だって?あの技はプロ盆団でも幹部クラスしか知らないはず!あんた、まさか」
「……そういうことだ」
「……どういうことですか?」
 唐突に浩一が口を挟んだ。音無とプロ盆団員は今まで気にも留めていなかったようで、不可思議気に一瞥をくれる。
「なんだい、このガキは。というかなんだい、その浴衣は」
 浩一自身もすっかり忘れていたが、風神雷神のすさまじい柄の浴衣を着ていたことを急に思い出し、顔を真っ赤にして下を向いた。
「こ、これは、じいちゃんがあの無理やり着ていけって、そのあの」
「ふん、じいちゃんね……。もしかして、泰三じいさんかい」
「えっ」
 浩一は戸惑った。もしや知り合い?と、いうか、じいちゃんの名前なんだっけ。
「いかにも、彼のおじいさんは泰三師匠。私の雇い主でもある」
 そんな浩一をよそに、団がずい、と進み出る。
「ふん…風神雷神とはね。あのじいさんもいよいよ本気を出したね」
「まあの。さすがに今年は決めさせてもろうた」
「!!!!」
 いつの間にか背後に立っていた祖父の声に、浩一は全身を硬直させた。
「じいちゃん!」
「浩一、よくやった。それと、久しぶりだな、梵次郎」
「ご無沙汰しています、師匠」
「ちぃ……このくたばりぞこないが、まだ生きてたのかい」
(あれ……みんな知り合い?)
 訳が分からず顔を見回す浩一。だがそんな浩一に構わず、話は続いた。
「くたばりぞこない結構。じゃが、どちらにしろお前らは負けた。プロ盆勝負の負けが何を示すかは、わかっていような」
「……あぁ。この町からは手を引くよ」
 音無は深く息をつくと、浩一の方に顔を向けた。
「まさか、こんなガキにあたしの野望が邪魔されるとはね」
「ええーっ?!なんで僕?」
 わけがわからず、団に目を向ける。
「その浴衣だよ」
 改めて浩一は自分の浴衣を見回した。やはり、正気とは思えないデザインという以外に気付くところはなかったが、そこで団が口を開く。
「その浴衣こそ、破邪の浴衣。それを着た君が、盆踊りの意味を忘れず、供養所に手を合わせることを忘れなかった。だからこそ、邪気を弱めることができた。最後の大技をしのげたのも、キミのおかげだ」
「ええーっ」
 急にヒーローになってしまった浩一は、戸惑いながらも悪くない気分だった。そんなに自分が役立っていたとは。テレていると、祖父が背中をバンと叩いた。
「さすがはわしの孫よ!その浴衣を着こなせる人間もそうはおらんわい。やはり、わしの後を継ぐのはお前じゃな!」
「わしの後?」
「おう、盆踊りを引っ張る、会長よ。選ばれた人間にしかできねえ仕事だ。年は若くても関係ねえ。やってくれるな、浩一」
「え……」
 一瞬迷った浩一は、団のほうに目をやった。優しさと強さをたたえた表情で、団は力強くうなずく。
「う、うん。僕、やるよ!盆踊りが好きだから!」
 気が付くと、いなくなったとばかり思っていた周りの住民の拍手に包まれていた。みんなが笑顔で、これこそ浩一が求めていた盆踊りの空気だった。こうして、宴は終わったのだった。

「ということで、契約はすべて完了しました」
「いやぁ、すまんかったのぅ、おかげさんで孫もすっかりやる気よ」
「まあ、5年という長期契約は初めてでしたから、こちらも力が入りました。最後はうちのエースまで引っ張り出しましたからね」
 書類をそろえてクリアファイルにしまいながら、音無はほほ笑んだ。
「お、そうよそうよ。梵次郎も苦労かけたのう」
「ははは。しかし、盆踊りを仕切ったり盛り上げたりはさんざんやってきましたが、技を仲間内でぶつけあうのは慣れてなかったのでひやひやもんでしたよ」
「かっかっか、しかしだからこそ孫も感じるもんがあったんだろうて。まあいずれにせよこういう田舎町じゃあ、若いもんに文化意識を刷り込んでおかんとな。高校生になったらさっさと出ていっちまいかねん」
「しかし、それにしても大がかりでしたねえ。よく住民の方も理解してくれました。まあ、盆踊りの存続は皆さん苦慮されてますからね」
 音無と団は顔を見合わせて苦笑した。
「まあ、どういう形にせよ、地域に盆踊りの灯を絶やさないのが我々の使命です。今後も、プロ盆劇団をよろしくお願いします」

(了)


あとがき

嫁が盆踊り大好き人間ということもあり、「盆踊りのプロがいたら面白いな」と思ったことから書いた話です。今見てもボケてるのか真面目なのかよくわからないところが迷いがあるなあ、という感じもします。嫁が「公開してみよう!どうせなら有料でやってみて」というので「ええー」と言いながらテスト的にそうしてますが、このあとがきを読む人が出てくるかどうか不明です。まあ誰にも読まれないと逆に預金残高が減る、みたいなわけでもないのでまあいいか。
読まれて満足されなかった方にはなんというかかける言葉もない、というかすみません。



サポートいただけた場合、新しい刺激を得るため、様々なインプットに使用させていただきます。その後アウトプットに活かします、たぶん。