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怪奇現象が起こるようになった我が家

8月に入って初めての土曜日。
今日は、捜索範囲を広げた。
朝から懐中電灯片手に昨日は探さなかった家具の隙間なんかも確認する。
絶対にブツは家の中にあるはずだ。
あんな物を持って外には行かない。

2日前から応接間の天井についている電気のスイッチのリモコンが行方不明になっているのだ。
リモコンがなければ電気の点け消しができない。
応接間の電気はずっと点灯したままになっている。
消せないねんもん。しゃーないわ。
応接間を出たことがなかった応接間の電気のリモコンが度々他の場所に出かけるようになったのは数ヶ月前からだ。
それは、母が何となく「えっ?」「えっ?」と思わせるようなちょっとした可笑しな行動や受け答えをするようになった頃だ。

母は、ペン字も毛筆も書道家のように達筆である。
その美しい文字で季節の便りを友人知人に出すことを楽しんでいた。
母は、裁縫・手芸に並々ならぬ技術を持っていた。
洋裁は、その腕前を知る人たちからオーダーが入ったし刺繍もレース編みもプロの域だった。
母は、記録の天才だった。
なんでもないノートに美しい文字で分かりやすくその時々の記録をつけていた。日記ではない。感情は一切いれずその時の様子を詳しく残していた。
母は、片付けのプロだった。
いつも物が使いやすい状態で、どこにあるのか一目でわかる方法で収納されていた。きちんと片付いていないのは許せない性格だった。

85歳になった母は、いつの間にかこれらのことがほとんどできなくなってしまっていた。
よくものを失くすようになり、銀行に行く度に通帳やキャッシュカードを探さないといけないし定期健診で病院にいく日は、前日から用意していたカバンが出発直前にどこに置いたかわからない・・・とやっぱり探し回る羽目になった。
「もう嫌になるわ~」
と母は言いながら探し回る。
私は、
「えっ?!また無くなったん?」
といいながら、出かけるたびに探し物がスタートする状況が毎回毎回可笑しくて大笑いしながら探し物に参加していた。

この頃は、笑えてた。
「ええーっ、またかいな~」
「そやねん。何でやろ。おかしいなあ・・・」
といいながらその状況を楽しめた。

ところが、最近の私は気づくと泣きそうな顔をしている。
楽しめるような状況ではなくなってきている。
物が消えすぎる。なくなりすぎる。
トイレのマットが無くなった。3枚も。
父がトイレをすぐにおしっこでびちゃびちゃにしてしまうので洗い換えでたくさん必要なのに、いつもの収納場所から消えている。探しても見つからない。
ウソやん。何で無いん?
小さな目立てへんものと違ってトイレのマットやで。
普段は隅に片付けてあっても目に付いてしゃーないあの存在感のあるトイレマットやで。
消える?無くなる?3枚も?
もう正真正銘の怪奇現象やん・・・・

怪奇現象は、これだけではすまなくなってきた。
えっ!この暑さの中、牛乳が冷蔵庫の前の床に置いてあるやんっ。
えっ!納豆が食器棚に入ってるやんっ。
体温を超える酷暑が続く中、母の部屋が開けっ放しでエアコンつけっ放し。
おまけに誰もいない。
おい。おい。おい。・・・・とエアコン消そうとよく見たら暖房ついてるし・・・
「ちょっと、お母さん!」
と文句を言いに母が居る台所へ行くと
「あああああああー!」
冷蔵庫の扉開けっ放しやんかっ!
もう頭がクラクラ。
その上、それら全ての事象について母は
「そんなん知らんで」とのたまう。


長谷川町子さんの『いじわるばあさん』を子供のときよく読んだ。
いじわるばあさんは本当にちょっと意地悪だけどいつの間にか母もいじわるばあさんと似た発言や行動をするようになっており(ああ、高齢になると自然といじわるばあさん的な行動をするようになるもんなんや)と納得していた。
ところがところが、いつの間にか母の行動は軽くいじわるばあさんを追い抜いて、長谷川町子さんの『いじわるばあさん』なんて『そんなのやさしいばあさん』やんになってしまった。


母の日常の行動が何となく「あれっ?」と思わされることが発生し始めた頃。
例えば、朝、出勤前に私が晩御飯のおかずに・・・と作っておいた和風煮物。
帰って蓋を開けると
「ええええええっエー!なにこれー?」

何かキラキラしたものが煮物に紛れている。
ウソやん。なんで、なんで。何でこんなもんが入ってるん?

こんなもんとは、ラップを丸めたやつだった。
煮物の中で漂っている。
よく見るとカマンベールチーズの切れ端も。しかも歯形入り。
一体何が起こったんや・・・・

ようやく状況が呑み込めた。
母は、お昼に食べたカマンベールチーズの切れ端を齧ったもののかけらを残してしまい小皿に入れてラップをして冷蔵庫に入れておいたのだ。
それを煮物を温めるときに何を思ったのかカマンベールチーズのかけらもおなべの中に一緒に投入した。その際にどうやらラップも一緒に入れてしまったらしい。
ラップの煮物とは・・・

「なあなあ、鍋の中に要らんもんまで一緒くたにせんといてや~」
とお願いした翌日、仕事から帰って朝から作っておいたポトフの鍋のふたを開けると・・・・

ありゃ~、またや・・・
この日は、ポトフに高野豆腐の煮物が入っていた。
こんなに期待に応えてくれんでもええのに。

もーっ、とイライラしながらも何が起こるかわからないことに正直少しワクワクもしていた。
しかし、そのうちワクワクもしてられなくなってきた。
母がお皿を拭いている。
私は、大雑把な性質でお皿なんて洗って置いといたら勝手に乾くやん、と思っているのに母はお皿は洗ったら布巾で丁寧に拭かなければ!と思っている。その母がお皿を拭いている布巾を見てギョッとなった。

「あ、あ、あ、お母さんっ!お皿拭いてるその布、布巾とちゃうやん。雑巾やんっ。」

その前日、私は玄関の大きな靴箱の掃除をした。
長く使っていない革の靴にカビが生えていて、それをきれいに拭いて風を通したのだ。
その時にカビを拭き取った布を洗って外に干しておいた。
そのカビ拭き布できれいに洗ったお皿を拭いておる。
なんちゅーことをしてくれる。
勘弁してほしい~

この辺りから、母の認知症らしき症状、行動が顕著になってきた。
認知症。
本当に怖い。
日々、母が別の人格になっていくようなのだ。
まったく面白くないジョークをよく言うようになった。
人の気持ちを考えない発言をよくするようになった。
感情のコントロールができない時が増えてきた。
会話がかみ合わなくなってきた。

母が日々壊れていくようで、それを見ているのがとてもツライ。
つらくてふと気がつくと泣きそうな表情になっている自分に気づく。

「まずわら」
「まずわら」

私が泣きそうになっててどうすんねん。
まず笑お!まずわら、まずわら。
オモシロ~と思うとこで笑ろとかな。
コントか何かやと思っとかな。
・・・・と自分に言う。
頻繁に、えええっ!という物が消えたり、ラップの煮物も食器棚の納豆もそこだけ見たら笑える。
その事象だけ見たら笑える。
なのに、ホンマはとても悲しい。とてもつらい。
認知症めっ。

母が何となくおかしな行動を始めてから認知症専門の病院にいくことを勧めていたけど頑なに嫌がっていた母。
しかし、一連の行動が自分でも「なんでやねんっ」と感じるようになったらしく認知症の検査・診察に行くことを納得した母。
すぐに予約すべく病院にコンタクトを取った。
初診の方向けにと電話で長いインタビューがあった。
母の様子をく詳しく説明した。
係りの方は、とても丁寧に熱心に聴いてくださった。
そして、予約。
「最短の日程で3ヶ月後になります。」だった!

ああ、こんなにたくさんの人が認知症で苦しんではるんや。
母に3ヵ月待ちのことを話すと大層びっくりしていた。
「こんなにたくさん認知症になってる人いてはるねんで。気楽に構えとき~」と言ったものの気楽に構えなアカンのは私自身かもしれない。
ああ、この3ヶ月の間に母の認知症がどれだけ進んでしまうのか・・・と不安で仕方ない。








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