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怠け者を許容するアリの生態

道家思想の書『荘子』に〝無用の用〟という言葉があります。一見すると役に立たないように見えても、役に立たずという役に立つという、逆説のロジックなんですが。アリにも、日頃は働いていないように見える怠け者にも、ちゃんと理由があったという記事が、東洋経済オンラインにアップされていました。組織論や社会論の観点からも、非常に重要な指摘ですね。平成不況で、アレも無駄コレも無駄と潰しまくった結果、余裕がなくなったのですから。

働きアリの世界では、なぜか働かない「怠け者」のアリが存在する。なぜ彼らのような一見、無駄飯食いに見える存在を生かしているのか? 『NHKクローズアップ現代+』の解説を務める一方で、『全力!脱力タイムズ』などさまざまなメディアに出演する異色の生物学者・五箇公一氏による『これからの時代を生き抜くための生物学入門』より一部抜粋・再構成してお届けする。

アリとは、社会性昆虫とも呼ばれ、蜂やシロアリなどと並んで、人間の社会的構造とよく似た集団社会を形成します。蜂は巨大な巣を作り、シロアリは巨大な塚を造る種が多く、ミツツボアリのように、蜜を対内に貯蔵して乾期に耐える貯蓄するアリも。ハキリアリは、キノコを地下で栽培する農業さえ行っています。おかげで昆虫としては大成功を収めて、繁栄しています。人間の社会構造とは単純比較できませんが、人間社会を考えるヒントになりますね。

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■社会性昆虫とは?■

社会性昆虫は、集団で活動するという特性から、女王アリ・働きアリ・兵隊アリなどに分化する種が多いですね。同じ種なのに、見た目も大きく異なります。基本はメスを中心とした母系社会で、オスは生殖のために一部が生まれるだけなので、ある意味でオスアリも第四の分化した存在と考えても良いのかもしれません。こういう部分を見ると、階級社会の是非とか考えちゃいますね。王政は、人類が二足歩行する前から採用していたであろう制度。

社会性昆虫が大繁栄した結果、動物の世界ではアリだけ・あるいは主にアリやシロアリを食べる種類の生物が、かなりいます。細長い顔に長い舌を持ち、鋭い爪で蟻塚を壊してアリを舐め取るため、収斂進化の例としてよく挙げられます。南米のオオアリクイ・コアリクイ、ユーラシア大陸からアフリカ大陸に分布するセンザンコウ、アフリカ大陸のツチブタ、南北アメリカ大陸に分布するアルマジロの仲間、オーストラリアのフクロアリクイなど。

アリだけ食べていても生活できるんですから、いかに膨大な量のアリやシロアリがいるか。森や草原の分解屋でもあり、彼らが存在しないと朽ち木や落ち葉の分解も進みませんしね。それだけ大成功するには、ある種の合理性とか環境への適応がないと、難しいでしょう。アリの巣や蟻塚の複雑な構造を見ても、昆虫の中でも特殊な存在だなと、つくづく思います。人間が学べる点も多いでしょう。ファーブル昆虫記にも、蜂やアリの観察は多いですね。

■パレートの法則■

さて、記事自体は興味深い見出しに比して、ダーウィンの進化論の説明や、アリノスササラダニとの共生についての記述が主で、ちょっと食い足りなかったです。もちろんコレはコレで、興味深いのですが……。できれば、アリの怠け者がどれぐらいの比率で、どのような形で機能してるのか、経済的な観点での記述が、もうちょっと欲しかったです。執筆者が生物学者なので、仕方ないのですが。北海道大学の長谷川英祐博士のネタ本を読むのがヨサゲ。

長谷川博士の著書によれば、働きアリのうち勤勉な20%が全体の80%の食料を集めてきて、働きアリの20%は仕事をさぼる怠け者なんだそうで。つまり、よく働くアリ:普通に働くけどときどきサボるアリ:ずっとサボるアリの比率は20:60:20なんだそうです。なんだか人間社会にも当てはめられそうですが、迂闊な擬人化は禁物。でも、人間社会でも比率はともかく、中間層はこんなもんで、税金の比率は近そうですね。

アメリカの所得税収は上位20%が全体の87%を負担しているという、ウォール・ストリート・ジャーナルの報道が2018年にありました。うわ、アリよりも働き者の人類。さらに日本では、年収2500万円以上の人は人口比では0.2%しかいないのに、税収全体の16.8%を占めていて、給与所得者4757万人のうちの4.1%が所得税額の49.1%を占めるとか。「富裕層に増税を!」という主張が、数字的な根拠があるか、ちょっと疑問ですね。

■時代が変われば…■

さて、長谷川博士の研究が面白いのは、20%のよく働くアリを集団から排除すると、残り80%のアリの中の20%がよく働くアリになっちゃうんだそうです。けっきょく、20:60:20の比率は変わらなくなる。逆に、20%のよく働くアリを集めると、一部がサボりだして、けっきょくは20:60:20の比率になってしまうんだとか。逆に怠け者のアリだけを集めても、一部が勤勉に働き出して、これまた20:60:20の比率に収斂してしまうんだとか。

よく、英雄が時代を創るのか時代が英雄を創るのか……なんて論争が起きますが。どうやら時代(環境)が、平凡な人間を英雄に変えてしまうようです。子治世之能臣亂世之奸雄──子や治世の能吏、乱世の奸雄───とは曹操を評した許子将(許劭)の言葉ですが。環境が変われば怠け者が働き者に、働き者が怠け者に。危機的な状況で、救国の英雄が出るのも、実はアリと同じだったりして。繰り返しますが、人間と昆虫を同一視する危険性は、留意した上ですが。

これって逆に言えば、怠け者を糾弾し、働けと強制しても、実はあんまり意味がない可能性がありそうです。あるいは、ムダを削れと糾弾しても、これまた人類は無駄な20%を作り出し、浪費してしまう可能性が。そしてその浪費は無用の用、人間が生きるために必要な無駄なんじゃないか……そんなことを思ったりもします。ムダを削るより全体のパイを大きくする方が、けっきょくは経済浮揚には大事なんじゃないかと。知らんけど。

■清貧志向の危険■

日本では儒教的経済観が強く、質素倹約や清貧を有り難がる文化が根強くあります。なので贅沢とかしていると、それだけで批判される。昭和の時代、学歴が小学校卒の田中角栄が平民宰相のなんのとマスコミに持ち上げられていたのが、目白御殿の錦鯉が1匹ン十万円とか報じられたあたりで、一気に金満だ金権だと叩かれ出しましたが。日本の歴史を見ていても、経済に強い国際通のタイプは嫌われがちで、暗殺やら失脚やら、悲惨な最期の人が多いです。

平清盛・足利義満・足利義教・細川政元・織田信長・石田三成・荻原重秀・田沼意次・大久保利通・高橋是清……ひょっとしたら、これに蘇我入鹿も加えて良いのかも知れませんが。荻原重秀は信用貨幣の考えを既に持っていた可能性がある、日本史上屈指の経済官僚ですが、大学者の新井白石に糾弾されて失脚、最期は抗議の餓死だったとも伝わります。で、経済音痴の新井白石は、デフレーションを引き起こしています。

お仲間の学者は、新井白石の政治を正徳の治と賞賛しましたが。でも、それは経済的に恵まれない側のルサンチマン──弱者が強者に対して持つ怨恨──である可能性がありそうです。経済的強者に対するルサンチマンは、キリスト教に顕著ですが、儒教にもあるのは、浅野裕一東北大学教授も指摘するところ。これはもう経済的動物である人類には、普遍的に観られる感じです。経済人類学の知見は、その点で興味深いです。

■経済人類学の知見■

儒教的な価値観では晴耕雨読、あるいは自給自足が何やら人類の理想のように考えがちですが。どうも人類というのは、思った以上に経済的な動物のようで。そもそも、人類の先祖は集団で生きていくことを選択したのですが。同じ類人猿のオランウータンとか、単独行動ですからね。ネコ科の動物は単独行動ですが、ライオンだけはプライドと呼ばれる、群れを形成します。これは、同じく群れを形成するハイエナへの対抗のためだとか。

人類がライオンのように集団で生活する以上、昆虫のアリとは異なるけれど、何らかの社会性を獲得し、その中で階層化や役割の分化が起きたであろうことは、疑い得ないわけで。で、その手段の中での富の偏在や再分配のシステムが、あんがい経済と呼ばれるモノではないのか? そんなことを思ったりします。そこを壊そうとして、あるいは経済的弱者としての精神的辛さを誤魔化すため、宗教とか共産主義思想のような疑似科学が生まれたのでしょう。

アリの労働を見ていると、労働価値説は疑似科学だという思いを、強くします。交易とか本当に生きていく上で必要かと言われれば、そんなことはないわけで。でも、人類は貨幣を生み出したりして、経済を生み出してきたわけで。文明とは経済と呼べるほどに。人類学の発展で、パプア・ニューギニアのマッシム地方のクラ交易のような経済と宗教が未分化な状態を観察もできますし。人類は経済を憎みつつ、経済なしでは生きられない。まさに〝無用の用〟かと。

■時代の転換点に■

アリの話題からアッチにフラフラ、コッチにフラフラした駄文も、そろそろまとめに入らねば。個人的にはアリの怠け者を例えに、デフレマインドを批判するのも、逆に無駄な構造を肯定するのも、どっちも危険だなぁと思うのです。歴史を見ても、政治のシステムはだいたい、構造的な無駄が積み重なって、最期は瓦解します。江戸幕府とか大奥の浪費やら役得と呼ばれる役人の浪費システムが、財政破綻を招いたわけで。

ハレー彗星が凶兆とされるように、どうも人間は三世代75年ぐらいでシステムの軋みが起きるようで。1868年の明治維新から77年で1945年の敗戦、戦後ももう75年。コロナ禍が経済を変えつつある側面もあります。今が産みの苦しみなのか、それとも破滅への終章なのか、それは判りませんが。いずれにしろ、時代は常にダイナミックに変化しているということで。キリスト教や共産主義思想のルサンチマンについては、またその内に稿を改めて。
どっとはらい



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