金木犀

夢の中なら君は優しい。

 突然プレゼントされたジップロックの中には、丁寧に折りたたまれたキッチンペーパーが入っていて、持ち上げても何の重力も感じなかった。

「これ、本当になにか入ってるの?」

 僕が小首をかしげながら質問すると、このジップロックをくれた張本人であるマリコは、こちらを見向きもせず

「当たり前じゃない、プレゼントだもの」

 と言った。

そして紅茶にレモンを浮かべ、かき混ぜたスプーンを口にくわえながら

「大好きなあなたのために、私が一生懸命選んだプレゼントよ」

 と付け足し、その言葉に赤面している僕を見て、弾けるように笑った。ぷっくりとした唇が可愛らしく、とても愛おしい。僕はマリコに思わずキスしそうになったのだけれど、テーブル越しという問題もあって、仕方がなく我慢した。なによりここは2人いきつけのカフェだし、そんなことをしたらマリコに怒られてしまう。

 僕はジップロックからキッチンペーパーを取り出し、折りたたまれている部分を、慎重に、そしてゆっくりと解いた。

 「これは、あれかな、鳥の羽根?」

 中から出てきたのは黒々とした鳥の羽根1枚。真っ黒だが、全てが漆黒というわけではなく、外弁は青紫色をしていて、店内の照明を反射させている。そして、美しくまっすぐ伸びる羽軸は、いつも背筋の良いマリコを連想させた。うん、綺麗だ。

 「そうよ。さっき拾ってきたの。今朝ゴミ置き場に行ったら、運良く落ちてたのよ。だからあなたにプレゼントしようと思って。そんなに綺麗に落ちてることなんてあんまりないから」

 「となると、これはカラスの羽根か・・・」

 カラスの羽根なんて、普段まったく気にしたことがなかったけれど、見ると意外と大きのだなぁ。しかし衛生的にどうなのだろう、そう思いながら、羽根に触れようとする僕の手を、マリコはあの白くたおやかな指で制して

「触れたらダメだよ」

 と、囁くように言った。

 僕は思わず、ドキリとして、マリコの方に視線を上げる。彼女は、「ほら」と羽軸の部分を指さした。見ると、なにやら赤黒いものがこびりついている。

「これはついさっきまで、カラスの一部だったから、まだ肉片がこびりついているのよ。触っても死にはしないと思うけど、あんまりオススメしないわよ。私は手をきちんと洗ったから大丈夫だけれど。」

「なるほど・・・。あっ、プレゼントありがとう。大事にするよ。うん、まぁ、触れないけどね」

 僕が笑いながら言うと、

「羽根は洗えば触れるようになるのよ。洗い方、わかる?」

 と、マリコが聞いてきた。僕は首を横に振った。

「だったら今から私の家に来るといいわ。教えてあげる」

 マリコは長いまつげを下に伏せ、頬をピンク色に染めていた。唇はかすかに震えていて、冷めたティーカップを両手で持っている。僕は、注文していたアイスコーヒーを飲み干して「よろしくお願いします」と頭を下げたのだ。

 カフェを出て、暖かい日差しを浴びながら、僕たちは手をつないで、マリコの住むアパートへと向かった。そして、「ここが私の家よ」とマリコが言い。僕は促されるまま、「おじゃまします」と彼女が開けてくれた家の扉の中へと入る。初めて入るはずの彼女の家の配置は、どこか懐かしく感じられて、違和感を覚えた。後ろでバタン、と扉の閉まる音がする。

 すると、世界が暗転して。

 すぅっと、現実の僕が目を覚ます。

 昨日の夜は、雨の音がうるさくて、なかなか寝付くことができなかった。ソファに座り、本を読んでいたところまでは思い出せたが、どうやらそのまま寝てしまったみたいだ。変な寝方をしたので首が少し痛む。カーテンを開けると、台風の去った空特有の、雲一つない晴天だった。

 天気が良い日には、マリコに会いたくなる。

 僕は、軽く身支度を整えて、マリコにキスするため家を出た。

 今日見た、マリコの家に初めて遊びに行った時の夢は、今回で5回目くらいだと思う。よほど嬉しかったのか、自分でも笑ってしまう頻度だった。
僕の夢は、代わり映えしない、けれど美しい過去が、眠っている間に映し出される。今日みたいに心躍る思い出もあれば、目覚めが悪くなる思い出も、でもマリコとの事柄は、全て平等に、僕には愛おしく思えた。

 夢の中なら君は優しい。

 いままでだってずっと、上品で美しく、人目を引くほど可愛らしくて、聖母のように優しかった。

 だけど、もう、夢の中でしか会えないから、目が覚めると君はいつもいなくなる。お願いだから、そんな意地悪しないで欲しい。

 君はとても心地の良い幸福を僕に連れてきて、そして絶望だけを残して消えてしまった。

 金木犀の匂いのする墓地には、誰もいなくて、砂利道を歩く僕の足音と、遠くの方から聞こえるカラスの鳴き声だけがあった。

 僕はいつものように、マリコの元にそっとカラスの羽を添えて、キスをする。

 唇は温もりを求めているのに、震える程に冷たい石の感触が、僕の心の穴をまた一回り大きくしていった。

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