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「君たちはどう生きるか?」その一種の使命感が、自分をもっと強くする

大学を卒業してから、2年が経った。学生生活最後、社会へと羽ばたいていく私たちにゼミの教授が贈ってくれたこの言葉が、ずっとずっと心に残っている。

「人生は、与えられた宿題をこなしていればあっという間に終わります。」

これは教授自身が学生時代にゼミの教授から贈られた言葉だそう。

この言葉を通して教授が私たちに伝えたかったことは、

「じゃあ与えられた宿題以外のことを、自らやっていくにはどうしたらいいのか?君たちは、与えられた宿題をこなすだけの人生でいいのかな?」 

ということだと思う。

学生に対してテキトーですよとか言っていたけど、とっても学生思いな教授だったから、私たちのことを考えていつも言葉をかけたり、問いを投げ掛けたりしてくれているのは、ゼミを通してわかっていた。

先生が最後に私たちに投げ掛けたのは、

「君たちはどう生きるか?」

という問いだったんだと、思う。

・・・

これは、私たちが1年間ゼミで考えてきた問いでもあった。

比較憲法のゼミなのだけど、判例を読むというよりは、生きるとは?死ぬとは?愛とは?平等とは?善い生き方とは?孤独とは?感情とは?ということを、ひたすら討論するゼミだった。

こうした抽象的な概念を考えることで、自分自身の思考をアップデートしていくことができた。そして討論を通して、自分が大切にしたいこと・自分の価値観を確立し、自分はどのように生きていきたいのか?どんな人間になりたいのか?を考えていた。

なぜ、わざわざこんなことを考えなくてはいけないのか?

そんなこと考えなくたって、生きていけるのに。

いや理由はきっと、昔のような安定などどこにもない今の時代に、

信じられるのは自分自身だけだから。

なのだと思う。

「私は、こう生きるんだ」「これが私だ。」という強い意志は、不安定な時代におけるコンパスみたいなもので、人生の大切な軸で、この一種の使命感みたいなものこそが自分をもっともっと強くしてくれる。

・・・

では自分は、何をして生きていきたいのだろう?何をするために、自分の時間を使いたいのだろう?

大学卒業時に書いたブログを見返したら、「日本がもっと明るくて幸福度の高い社会になるために、自分の時間を使いたい」と書いてあった。

この想いは今でも変わっていないし、こう想っているから今の仕事をしている。間接的にでも、少しでも毎日を楽しく生きられる人が増えるようにと思いながら、仕事をしている。

ただ今回このnoteをわざわざ書いたのは、日々の忙しさで自分のコンパスが狂い始めていて、進むべき道が分からなくなっていたからだ。「私はこう生きたい」という一種の使命感が薄れてしまうと、どんどん弱くなっていって、踏ん張りが効かなくなる。

世の中が不安で溢れていて、様々な情報にさらされて、疲れているのかもしれない。こんな時こそ、毎日を明るく生きたいのにな。

・・・

改めて言葉にすると、また頑張ろうと思える。私を強くしてくれるのは、身に付けたスキルでも経験値でもなくて、「私はこう生きたいんだ」という強い意志だ。

大学を卒業して社会人になるみなさんには、今のうちに「自分はどう生きたいか?」を、じっくり考えてみてほしい。

それを考えた時間は絶対に無駄にはならないし、その想いは、いつか必ずあなたを救ってくれるから。





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