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なりたい姿になれていなくても

私はこの歳になっても、自分の良いところが何であるのかわからない。

むしろないと思っている。
いいところが一つもない人間なんていないはずなのにどうしてそう考えてしまうのだろう。

多分なりたい姿になれていないからだろうなと思う。自分には理想の姿、かたちがあって現実とそれは大きく乖離している。
才能があって、綺麗な容姿で頭が良くて、思慮深くて……

そういう自分じゃないから、いいところがないって思うんでしょうね。
本当に極端なこと。

別にそんなことないのにね。 

それ以外にも良いところって沢山あるのに。
自分の好きな人達のどこが好きか聞かれたら
才能があって、容姿が綺麗で…なんてのはまず出てこない。もっと具体的にでてくる。

なのに自分のことになると、どうしてこうも抽象的というか霧がかったみたいにわからなくなるのか。

人から言葉や形として、わかりやすく褒めてもらえて、初めて自分のいいところを認識できる傾向に私はあるけれど、別に人に褒めて貰えなくても良いところを認めて自負したっていいのにね。

難しいですね、自分を理解して認めるということは。

なりたい姿になれていなくても明日は来るし生活は続く。できるだけめげないような生き方をしたいものです。

人に自分の評価を委ねなくても自分で自分の価値を決められる、それが大人になることだって私の好きな作家、氷室冴子が言っていたけど本当にそうだと思う。

なりたい姿になれていなくても、自分の価値を自分で探して認めたい。
そういう大人にはやくならなくては。

私は未だに蛹のままである。

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