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酒田大火


#あの選択をしたから

昭和51年10月29日 千数世帯被災 激甚災害指定

大学3年 前期試験中に飛び込んできたニュース
アパートで白黒の小さなテレビをつける
どのチャンネルも 酒田の火事を報じている
フリップで焼けたところの範囲に 自分の家のあたりをさがす
局によってフリップの地図が違う!
こんなところにデパートはない
こんな道はない

でも ここが焼けているなら
家も焼けている
ドキドキしてきた
とうちゃん かぁちゃんは
犬は

アパートの大家さんが百円玉をたくさん持ってきてくれた
満足にお礼を言えたのかわからない
駅前の公衆電話に走る

「ただいまおかけになった地方は混線しておりつながりません」
何度かけても同じだった
兄にかけてみよう
「うちは焼けたのか」
「焼けた。おやじたちは知り合いの人が車を出してくれて、とりあえずのものだけ持っておふくろの知り合いの家にいる。無事だ。犬は、おじさんが連れて逃げてくれた」
「あんちゃんはいつ酒田に帰る?」
「明日帰る。嫁さんの実家にいく。お前はどうする?」
「明日試験が一つ残っているから、それが終わったら帰る」
 大学の学生課に行き 酒田大火で全焼したのでしばらく帰りたいと話す。その間は欠席扱いにしないと言ってくれた。

早くに連絡をとっていた兄は状況を把握していた

 
焼けた
みんな焼けた
もう何十年も前だ
 
焼けた
みんな焼けた
あのひとの家も
わたしの家も
 
焼けた
みんな焼けた
千数世帯罹災
柱も残らないくらいに
みんな焼けた
 
それでも
酒田の人は 頼もしかった
罹災して数日後
拾ってきたトタンやベニヤで
商売始めた
焼け野原に
ぽつん
ぽつん

 
生きる
どんなことがあっても 生きる
わたしは 学んだ    
二十のとき


酒田の焼け野原は広かった
あちこちに立札がある
〇〇のところにいます

兄の奥さんの家で家族会議を開く
両親は商売をしていたが 今から借金をしてまで続けられない
わたしは 大学をやめて働いてもいいと言った
沈黙が長く感じる

兄二人はすでに社会人だった
大きな問題は 両親の生活費とわたしの学生生活終了までの費用だった
長兄が「大学の学費はあとどのくらい残っているんだ?」と聞く
「一年半」
「ここまできたのだから卒業しろ。学費は俺が出す」
次兄は「親への仕送りとお前の生活費をだす。お前は、俺の知り合いのところでバイトをしろ」
 たまたま大学の近くに兄の後輩が勤めていた会社があったのだ。

大学をやめて働くか 兄たちの助けを受けて卒業するか
大学3年の11月の決断。
卒業してやりたいことがあった
何としてもその試験は合格しなければならない
受かるかどうかもわからない

大学をやめるか やりたい職業の試験に一度で合格するか
選択だ

焼け野原に 店を出し生きようと必死な姿を見せつけられた
自分も自分の人生を歩ませてもらおう 
ここは兄たちに甘えよう
そして 試験に一度で合格し社会人になることが恩返しだ
決断した


あれから40年以上過ぎた今
やりたかったことを 45年続けた
途中 病気休職もあったが
やめずに 続けた 続けられた
それは 20歳の選択と決断があったから

そして今これを書いている
感謝

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