《土木文学》「戊辰鳥 後を濁さず」第42話
四月二十六日(金)
メンテナンスと言えばカッコいいが、やってることは単なる風呂掃除だ。
浴槽はその都度、清掃と乾燥をしているが、この広い洗い場を本格的に掃除するのは初めてだった。
普段見えない流し台の裏や、玉石の隙間や、思わぬところに白い水垢ができている。
朝顔はまだ芽を出していない。
どうやらダメで、蒔く時期を間違えたようだ。もう一度蒔き直そう。まだ間に合うはずだ。
そういえば、今年はどうしたわけかヒツジ川の土手の芝桜も咲かなかったらしい。
芝桜を植えることは、ほんとは川の流れの抵抗になるからといって、やっちゃいけないことらしいが、川沿いの住民が少しでも景観をよくしようと始めたものだ。だから、ヒツジ川のメンテナンスをしている神奈川県の土木事務所は喜んでいるに違いない。
あと、芝桜の下流の桜並木もなくなったらしい。
もうとっくに寿命を迎えてそうな大木だったし、倒木の危険とかで伐採したんだろう。あそこの桜の枝ぶりは見事なもので、トンネルのようになっていた。中をくぐると本当に綺麗だった。
メンテナンスっていうのは、いろんな要素へのバランス感覚が重要だ。
そう言えば、セミをモチーフにした連凧も飛ばなくなった。
あれは担い手不足に伴う人材の高齢化か。私も今年で三十六才になる。体のメンテナンスもしないとな。
なんて不謹慎なことを思いながら、金属製の網目でできた排水溝の蓋を開ける。蓋の下には水がゆっくりと排水されるように、一時的に水を溜める水槽がある。ジンベエザメは「釜場」といっていた。
その釜場の側面に、なにやら白い結晶が、びっしりと咲いていた。
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