2022年3月の日々の記録より(猫の位牌。壁紙としての鏡。65DaysOfStatic。タル・ファーロウ。など)


 土曜は家族で清水坂公園に行き、テントで青空カタン。



 ペイペイが三回に一回当たるという広告を打っていて大衆心理の操作がうまいなと思う。 一等は全額戻ってくる、という広告を見ると「どうせ同じ支払うならペイペイで」と思ってしまう。 「全額」というのが、宝くじのように「当たらなくてもしょうがない」と諦めがつくし、もし一度でも当たったりしたら、次は不要な物まで山ほど買いたくなってしまうかも。 たまに三等が当たって0.5%還元というのも、消費者の不満を抑えつつ企業の負担も抑えている、いかにもソフトバンク的な手法。 「ペイペイはオーケーのポイントは付きませんよ」とレジで言われ、瞬時に計算できずに失敗した。

 『セスタス』は面白い。 格闘漫画としても一流だし、人生の苦悩や青春のほろ苦さを描き、古代ローマ帝国の蘊蓄も興味をひくものばかり。台詞回し、展開構成もドラマチックだし、初読の時の絵の気持ち悪さも感じなくなってきた。 ベルセルクの三浦健太郎が昨年春に亡くなっていたことを今さら知り、読み返し始める。

 マーズ・ヴォルタ、名前は聞いたことがあったが、21世紀のプログレということらしい。 その中で一番気に入ったのは『ゴリアテの混乱TheBedlamInGoliath』。ハードコアパンクのような高濃度の疾走感。 Hella並みのギター、ドラムに加え、電化されたボーカルが実は良いメロディを奏でていて、常にハイテンションなのに飽きないという構成力も感じさせるアルバム。
 

 今日はトイレに鏡を取り付ける。何か月も前から「トイレを明るくしたい」「鏡を付けると広くなる」と言われていたのを、「間近で自分の顔を見たくない」「付けるなら全身が見えるリビングがいい」「広い気がするなんて誤魔化しだ」と反対して終わっていたが、先日やっぱりトイレ付けたいと言われ、試してみる。
 捨てられずに一階に放置されていた姿見を試しに壁に合わせてみると、あら、思わぬ効果が。
 キャビネットの上のドライフラワー群が映り込み、シンメトリーでカラフルなデザインの壁紙としての効果がある
 「鏡で広くなる」というのはこういう事かと思う。
 少し高めで奥の壁に付ければ顔を突き合わせることもない。

 ということで今日設置したのだがちょっと失敗。キャビネットが全開出来る高さに設定して貼ったのだが、これだと飾り物の映り込みが少ない。そもそも滅多に開けないキャビネットは半開すれば中の物も取り出せるので、あと5センチ下に取り付ければ良かった、と後悔する。が、座った時に鏡が近くないという意味では今の高さのほうが良いし、映り込む飾り物が多すぎるのも華美な気もするので、まあ良いか。鏡を貼る位置は、僅かな違いも重要。

視線よりやや高めから撮れば全部映り込む・・。


 ブライアン・イーノが日本で初の本格的個展開催という記事が2日前に出ている。 リアルタイムで情報を得ることの少ない自分にとって久々の僥倖でうれしくなる。夏に京都に行くぞ!

 蝉丸の位牌のために東急ハンズ新宿店に行く。 池袋ハンズが閉店という、残念を通り越して世も末な事態は、コロナ禍の影響で売上低下という理由らしいが、何でもネットで購入する時代を見越してのことだと思う。
 猫の位牌の条件。 高級感を感じること。 あまり高価でないこと。 小さくても決して倒れない重さ。 謹厳ではあれど気持ちを明るくする色、それでいて蝉丸の毛色を思い起こさせる色。 ということで「紫タガヤサン」にする。 タガヤサン(鉄刀木)は、黒檀、紫檀に並ぶ三大唐木とのこと。

 「65DaysofStatic」という謎のネーミングのポストロック。 ヘラジカトラックスやサカナクションのようなキャッチ―なリフが日本人ぽい(イギリスだが)。 偉大なる素人ともいえる感性。 モグワイミーツエイフェックスツインと評される初期の代表作はシングルしか聞いてないが、さほど面白みは感じない。 むしろ初めは馬鹿にしていた、大胆にダンスミュージックを採り入れた路線変更作であるWeWereExplodingAnywayが久々のヘビーローテーション。 一聴するとくだらないバスドラのEDM(≒2000年代以降の、革新性は求めずに、良いサウンドと快楽的アレンジを追求するダンスポップ)か、と思ったが、アルバムとして通して聴くと認識を改める。 こちらが恥ずかくなるくらい叩きまくりのドラムが、こてこてのリズムパターンだというのに、特徴的なズラシや重なり合いの妙で新しいグルーブを生んでいる。 ほぼ歌は無いが、歌が不要なくらいキャッチ―でダンサブルな楽曲。 80年代リバイバルの正当なバージョンアップという感じ。 次々とハイテンションで展開しつつも飽きさせない。これぞ21世紀だなと思える新しさがある。

 ジャズギターについて調べていて久々に2ちゃんねるにたどりつくと、掃き溜めのようなコメント群の中に「タル・ファーロウはドラムレスでもすごい」とあり、何故か目が止まる。 元祖速弾きでドラムレスでも圧倒的なドライブ感、という評価にワクワクし、聴いて見る。 やはり文章で理想の音をイメージすると、期待負けする。 特に往年の古典はそうだ。 タル・ファーロウのドラムレス名盤2枚(『Tal』『The Swinging Guitar Of Tal Farlow』)は、どちらかというとギターよりエディ・コスタのピアノの方がスイングしているし、時折ベースソロが入るのでギター弾きまくりを期待していた先入観からすると残念。 ところがドラム加入でカルテットになった『This Is Tal Farlow』を聞いて見たら、これはすごい。 何がってドラムがすごい。 心地よいサウンドのスネアが刻む刻む。 高速メトロノームのように正確にそしてひたすら軽快なサウンドで刻み続ける。 これはいい。(実は大学生の時に社会科のバンドマンから借りて初めてジミヘンを聞いた時も、その古典的超絶ギターには何も感じず「ドラムがかっこいいね」と返したのだった。昔から、凄いと言われるギターのすごさを感じられない) ドラムが入ることでエディ・コスタはだいぶ奥に引っ込み、おかげでタル・ファーロウも前の二枚よりも弾きまくっているように聞こえる。

 バトルス。 以前もちょっと試聴したことがあるのだが、その時は一聴しただけで聞き返すことはなかった。 今回「ポストロックはバトルス以前と以後で分けられる」などとも言われたらしいので、つられて聞いて見た。 やはり音楽は聴く前の構え方で、聞こえてくる音が異なるのだろう。 気に入ったのは1st「Mirrored」。 なるほどこういうのこそマスロックと言うべきだな、と思える奇妙なギターリフとドラムが非常に面白い上に、弾けるようなポップさもある。初期メンバーであるタイヨンダイの猫のように変調されたボーカルもかわいい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?