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2.プレゼンテーション「物語/マイノリティ/神と死者」

人文と生活おしゃべり会での、茂木のプレゼンの内容をまとめました。いろいろなおしゃべりのきっかけになるように、あえて散漫な内容にしています。



 去年子どもが生まれて、障害者支援の仕事も変わらずしながら目がまわるような毎日なのですが、長い通勤時間のおかげで良質な本をたくさん読むことができています。その中のいくつかを紹介しながら、僕の最近の関心ごとについ話していこうと思います。あまりまとまった内容ではありませんが、ひとまずつけてみた「物語/マイノリティ/神と死者」というタイトルに沿って進めていきます。

世界と物語

 まずは、大塚英志の『物語消滅論』という本です。大塚は編集者や漫画原作者でもありますが、最も有名なのはこの本のような批評家としての仕事だと思います。

 これは二〇〇四年に書かれたものですが、大塚は八〇年代に書いた『物語消費論』という本で、「物語消費」という概念を示しました。

 たとえば『機動戦士ガンダム』という作品は、シリーズで何十作とつくられていますが、すべて同じ世界の架空の歴史の中で起きている出来事だということになっています。すると観ている方は、作品で描かれていない時間と場所では何が起きているのか、と想像し始めるわけです。その想像した世界を使って、自分で同人漫画や小説を書いてしまったりする。そうやって、その作品が持っている歴史を受容しながら、それを補完することで創作まで始めてしまう(これは現在「二次創作」と呼ばれています)。こういう作品との接し方を、大塚は「物語消費」と呼びました。

 それから十数年を経て書かれた『物語消滅論』では、物語消費が持つ意味を大きな枠組みの中で示しています。順を追ってみていきましょう。

 近代と呼ばれる時代になるまでは、物語によって世界を説明したり認識するのが普通でした。神話や民話によって、世界はこういうふうに成り立っていると理解していた。ところが近代になると、思想やイデオロギーで世界を説明するようになりました。

 ここでいう「物語」は、広い意味の物語ではなく、いわゆる「お話」「ストーリー」のことです。大塚は民俗学を学んでいた人なので、民俗学の「説話」という用語を使っています。民間伝承の物語、というような意味です。

 かつての神話や民話には、神様とか精霊とか妖怪とか、私たちが普段知覚する世界の外側に存在するものが登場します。そのような「外部」との関わりによって世界は成り立っていると考えていた。そういう物語によって世界を説明するのをやめた近代は、普段は見えないもの、いるのかいないのかわからないものを退けて、「理性的に」ものを考えるようになりました。

 しかしそれは、少し考えると問題がありそうです。この社会の存立基盤をその外部ではなくて内部、自分たちの中に求めている。自分たちの正統性は自分たちがつくった歴史やイデオロギーにある、というわけですから、ぐるぐる回る循環参照のようになっています。どうも根本的な矛盾がありそうです。

 その矛盾がだんだん露呈してきて、ついに限界がやってきたのが今なのだと、大塚は考えています。たとえば「物語消費」という現象も、その前触れであったというのです。

 八〇年代九〇年代に「大きな物語が失われた」とか「歴史の終焉」ということがよく言われました。近代になってから信じられてきた、世界を説明する観念が、どうやら嘘だとわかってきてしまった。文明も生物としての人間もいまの姿が最も優れていて、これからさらに優れたものになっていくという進化論的な歴史観でやってきたわけですが、それが破綻してきた。そこでみんな、仮構の歴史を求め始めたのではないか。歴史を持った物語を消費しながら、自ら創作していったのは、歴史への欲望ではないか、というのです。

 それを経て現在、何が起きているか。もはや完全に物語がイデオロギーに変わって社会を動かし始めている、と大塚は言います。たとえば911のとき、正義のアメリカが悪をぶっつぶすという、勧善懲悪のハリウッド映画のような物語が語られました。それからイラク戦争まで一直線に行ってしまった。もちろんそれを疑問視する声はたくさんありましたが、少なくともその時のアメリカ国民の多くはそれを受け入れて、それを根拠にした政策を、戦争を含めて支持してしまった。物語が社会を動かしてしまったわけです。

 これは神話や民話のような長い時間をかけてつくられてきた説話とは違います。説話では、神様や妖怪たちとの複雑な関係によって世界が回っていますから、単純にこれが善だとかいう話にはなりませんが、ハリウッド映画では、正義が悪を倒したらめでたしめでたしで終わってしまう。そういう物語が社会を動かすとしたらいかにも危険です。今まさにそういう危機の中にあると、大塚は言います。

 おもしろいことに、大塚はこの状況に対抗するために、大学などで物語創作の教育をしています。物語の構造と創作法がみんなに共有されたら、利用されるリスクも高まるけれど、それを見破ることができるというわけです。

 しかしそれは置いておいて、少し民話のことを掘り下げていきます。次の本は山折哲雄という民俗学者の『神と翁の民俗学』です。

物語のなかの年寄りとこども

 翁というのは、おじいちゃんです。この翁は、かつての日本の民話の中で、神や仏と人間界とを媒介する存在として登場してくるといいます。

 たとえば、山の中で修行をする人のところに翁がやってきて、霊的なビジョンを見せる。それを経て修行者は、修行の重要な段階に達する。こういう話がたくさん残されているらしい。仏教や修験道の修行というのは、たいがい、断食と禁欲をします。そうして究極的には生理的なエネルギーの無化を目指す。それは死に接近するということでもある。極限まで死に近づいて、欲や性から脱していく。それは人ならぬものになっていく、あちら側、神や死者の世界に入っていくということです。その象徴として、死に近くて性欲にもあまりとらわれていない、性別もちょっと曖昧になっている、老人という存在が選ばれたというわけです。

 またこんな話もあります。ある神社の縁起話です。池のほとりに異様な姿の翁が住んでいた。これを恐れた神主は、穀断ちをして八幡神に祈ります。すると翁は三歳のこどもに姿を変えて、われは第十六代の応神天皇であり、護国霊験威身神大自在王菩薩であると言った。このとき翁は、まず人と神とを媒介しています。そして神と菩薩の間にもいる。こうやって異なる領域の境界に立っているわけです。さらに、この話には童(こども)が登場しています。童も翁とセットで出てきて媒介的な役割を演ずることが多い。童もやはり、翁と一緒で、標準的な社会の構成員である「大人」とは違う、ある意味で人ならざるものだと考えられていたようです。

 ここでもうひとつ別の本を見てみます。レヴィ・ストロースと中沢新一の『サンタクロースの秘密』です。この本ではやはり媒介的な存在として、こどもが取り上げられています。

 クリスマスというと、今ではコカコーラ社がつくった赤と白のサンタがさまざまな商品を売りつけるキャンペーンとなっていますが、その起源となる儀式は古代から行われていたと、レヴィ・ストロースは考えています。

 季節はやはり、今でいう十二月の終わり、冬至の頃です。寒さが極まるこの時期は、一年のあいだで最も生命エネルギーが弱まる。そこへあちら側から死者が押し寄せてきます。そうしてこちらとあちらとを循環しているエネルギーのバランスが崩れてしまう。そこで人々は、死者に贈り物をすることでエネルギーの循環を取り戻そうと考えました。生ける者が死せる者へプレゼント(贈与)をするお祭りだったというわけです。このとき、贈与の相手として、目に見える何者かを死者に見立てる必要があります。そこで選ばれたのが、こどもたちだったのです。

 これはヨーロッパ世界での話ですが、アジア世界と同じように、こどもはマージナルな存在であると考えられていたわけです。


童の消滅、子供の誕生

 ここで注意したいことがあります。この死者に見立てられた「こども」や、さっきの「童」は、いま私たちが言う「子供」とは、かなり異なった存在だということです。

 イヴァン・イリイチの『脱病院化社会』という本で、現在の「子供」という概念の発生について触れられています。

 イリイチという人は、キリスト教の変化や、それと共に変わっていった人間の知覚について、とんでもない深みをもって徹底的に研究した人です。現代社会の成り立ちを考えるうえで、これ以上ないというぐらいの知見を残してくれた人だと思います。この本では、タイトルのとおり医療のことを中心に論じていますが、そのことはまた後で触れます。

 「子供」の誕生は産業革命と関わっていると、イリイチは書いています。産業革命によって、ヨーロッパでは中産階級というものが出現しました。いわゆる経済的なゆとりのある庶民が大量に現れた。そのことによって、「労働をしない若年者」というものが、歴史上初めて現れます。それまでは、家は生産の場でもあり、こどもは大人と一緒に働いて、一体になって生活をつくっていくというのが当たり前だったわけです。それが突然、働かなくても生活が回るようになった。同時に、「元気でヒマな老人」が出現します。いわゆる健康寿命が伸び、年を取ってもそこそこ元気で死はまだ遠い。だけどそれまでの社会には彼らはいなかったので、担える役割がない。そこで彼らは、「労働しない若年者」を教育することで、威厳と社会的役割を得ようとした。ここで初めて、教化と保護の対象である「子供」が誕生したというわけです。「幼年期、青年期、若者時代などから区別された子供時代というものはそれまでどこにも存在しなかった」とイリイチは言っています。また、ここで起きたことが、いま私たちが学校と呼んでいるもの、昇級生の義務教育として学校の起源でもあるようです。イリイチはまた、「『年齢に制限のある義務的な学習のための制度』がなくなれば子供時代は存在しなくなる」と述べています。

周縁的な存在の役割

 ここまで見てきたように、洋の東西を問わず、かつて年寄りやこどもは周縁的な(ある種のマイノリティであり、マージナルな)存在であったようです。そして、普段わたしたちが知覚できる世界の外部にいる神や死者との関係によって成り立っている世界では、周縁的な存在にしか担えない、外部との内部との媒介者という役割があったと考えられます。ところが、近代という時代になって外部が失われたことで、周縁的な者たちは中心から遠くて能力に欠ける者、単なるお荷物になってしまったと言えるのではないでしょうか。

 周縁の人々は、もちろん、こどもや年寄りに限りません。たとえば、いま障害者や難病患者と言われている人たちも、かつてはそのような役割を担っていたと考えらえれます。かつて非人と呼ばれた被差別民には、障害者も多く含まれていた可能性がある。その非人たちは死と穢れに関わる仕事をしていました。人間の葬送や、屠畜です。穢れというのは神聖さと表裏一体ですから、穢れを担当していた非人たちは、一方で神聖視され、畏れ敬われる存在でもあった。シャーマンのような直接カミとつながる役割も、障害者が担っていたことが多いと考えられています。沖縄のユタは統合失調症などの今では精神障害者と言われる人が、東北の巫女は盲目の女性が主要な担い手です。ちなみに「女性」も両義的な存在でした。このあたりのことは、たとえば網野善彦の『中世の非人と遊女』『日本の歴史を読みなおす』に詳しいです。

 このように、周縁の人々は異なる領域にまたがるがゆえに、両義的な存在であるわけです。その一方である外部がなくなれば、やはり一義的な存在になってしまいます。現在の弱者としての障害者像です。

 ただ、近代の社会も、それをただ見捨てるわけではありません。そこへ近代の取り柄である、「権利」「平等」といった理念が現れます。これで周縁を包摂しようというわけです。自らの構造によって周縁の者たちを弱者にしてはいるけれど、彼らにも同じ権利があり、平等であるのだと訴える。その結果なにが起きたかというと、一定の立場は守られているかもしれませんが、誰もが同じ権利を根拠に生きる均質な存在になったと言えると思います。そこでは周縁的な存在に固有の役割は失われたままです。

 近年のマイノリティの運動でも、権利や平等が求められてきました。とりわけ、教育や医療を受ける権利というのは必ず争点になります。

 僕が関わっている障害者の分野でも一緒です。教育については、かつて障害者に対して問答無用で「就学猶予」という制度が適用されていました。猶予と言ってはいますが、事実上学校に入ることを拒否する通知で、これは一九七九年まで続いていました。そこで就学運動というものが起こります。差別せずに学校に入れろと訴えた。

 しかし、そもそも学校とはどのようなものなのでしょうか。


学校、医療という信仰

 再びイリイチを見てみます。彼は『脱学校の社会』とその後の著作の中で、学校制度の本質を徹底的に分析しています。

 学校という空間では、教師や他の教育専門職が生徒に学びを授けると考えられています。この中で評価され、進級し、やがて卒業したときには、ある一定の能力を獲得していると考えられている。ところが、実際の義務教育では、そのようなことは起きていません。これは誰もが実感していることだと思います。

にもかかわらず、生徒はこういうことを信じるようになります。教育専門職から教えを授かることで学習というものが成される。もっと言うと、教師に教えられることを軸にしたパッケージを消費することで学びは得られる。学びは、自分にはコントロールできない、自分の外部からやってくるものだと信じるようになる。このことによって、自ら学ぶ能力が失われてゆき、学ぶ権利も損なわれてゆく、とイリイチは言います。

 医療についても同じことが言えます。医療専門職から供給されるケアによって健康は実現されると信じることによって、自らの身体を整え、健康になる能力が失われている。死ぬことさえ自分でできなくなっている。

 このような構造は近代のあらゆる制度に見られます。この中で自ら成す力が失われていくことを、イリイチは「近代化された貧困」と呼びました。

 また、学校についてはこうも言っています。学校の普及によって、誰もが平等にチャンスを得られると信じられているが、実際には学校がチャンスの配分を独占しているのだと。学校に行くことによってしかチャンスを得ることはできない。そのことによって落伍者を生み出す装置になっているというのです。

 さらに、晩年のインタビューを収めた『生きる希望』では、学校制度とは儀礼なのだと言っています。学校制度は国民国家とセットになっていて、人々を国家に属する国民にするための儀礼なのだと。儀礼のある社会では儀礼を通過していない者は正当な構成員とは見なされません。学校に行かなければなぜ行かないのかと問われ、さまざまな指導や、時には「治療」によって、学校へと引き戻されてゆきます。

 「治療」と言いましたが、医療もまた学校と手を携えながら儀礼と化している、と僕は感じています。たとえば、わが家では去年子どもが生まれたのですが、出産は自宅でしました。何か思想があってそうしたのではなく、まず妻に暗くて静かな場所で産みたいという希望があり、病院で産むメリットも特に見つからなかったからです。しかしどうも、特別な思想を持っているから病院という「普通の」方法を避けているだと思われてしまう。生まれてからは、予防接種をひとつも受けていませんし、今後も基本的には受けないつもりです。それも、ただ健康上のメリットがほとんどないわりに、無視できない害があると考えているからです。しかし、行政からは義務化されているわけでもないのに受けるようにという通知が届きますし、保健師さんが訪ねてきてどれだけ接種しているかをチェックされることもあります。ここで正直に受けるつもりはないと答えたら、虐待を疑われて児童相談所に通報されたというケースが少なからずあるそうです。これはもはや、社会に同化させるべく用意され、通過しない者を排除するための儀礼と化していると思います。

 医療については、いつからそういう性格を帯びてきたのかと考えると、非常におもしろいことを明らかにしている研究が見つかります。たとえば、『魔女・産婆・看護婦』という本を見てみます。これは七〇年代のアメリカ、フェミニズム運動のまっただなかで書かれたもので、女性の労働や身体についてのたいへん優れた研究なのですが、この中で魔女狩りについて書かれています。その当時、魔女であるとして処罰された者の多くは、産婆をはじめとする民間医療者であったというのです。中世に起きたことですが、自分たちが正統であると主張する専門家集団が非専門家を排除するという、支配の装置であり儀礼である医療が、この頃すでに生まれつつあったようです。このとき、非専門家を排除する根拠は、自分たちが専門家であるということにしかありませんから、医療としての効果は問題にされていません。実際、正統医療が高い治療効果をあげた事実はないということを、この本や先ほどのイリイチの本は論証しています。そういう状況は現在でも続いていると思います。

 こうして儀礼と化した学校や医療に従うことは、現代に最も広く見られる信仰であるとも、イリイチは言っています。伝統宗教が求心力を失う一方で、このような世界中に遍在する信仰が初めてあらわれたというのです。世界中に同じ形の雨乞いの儀式が存在したことはないが、学校はすべての国で同じ形をしている、と。


制度化を求めて失ったもの

 どうも現在の学校や医療というのはそういうものだと思われる。それで、障害者の就学運動の話に戻ります。就学運動を繰り広げてなにが起きたかというと、一九七九年に養護学校が義務教育に組み込まれました。つまり障害者だけが集まる学校をつくることで、国は決着をつけようとした。その結果、それまで普通学校に通っていた障害児も養護学校に通うことになりました。学校に行く権利を保障する一方で、障害者をより厳密に隔離したわけです。もちろん障害者の側からは猛烈な批判があって、今でも学校や学級を分けずにすべての人を同じ学級に入れろという要求は続いています。しかし、学校制そのものを批判する声は、不思議なぐらい聞こえません。周縁的な存在が無能化された近代で、それを維持・強化するための装置である学校に組み込まれることを、自ら要求していくという運動でいいのか?一時的な利益は得られるだろうけど、その先に明るい展望はあるのか?そこを問わずに現行の制度をどう改良するかということを議論すればするほど、問題の本質は見えなくなっていくのではないでしょうか。

 障害福祉の歴史を見ても、国家の制度となることで利益は得られたものの、新たな深い問題が生じた、ということを経験してきています。公的な介助制度がなかった頃は、ある固有の障害者と固有の支援者の出会いによって、固有の関係が結ばれて、その中で介助が行われた。僕はその頃を知りませんが、そういう関係だからできることがたくさんあったということはよく語られます。制度ができて、職業介助者が大量に生まれると、賃金労働の中で結ばれる一時的な関係というのが基本になった。割り切れる良さもありますが、固有の関係でならできることができないということも想像がつくと思います。

 介護や介助が家族のなかで行われていたということには、それなりの必然性があると思います。家族やそれに類する、親密な(あるいは親密であると考えられている)共同体で行われることには、そもそも契約関係でやるには無理があることが多く含まれている。それでは伝統共同体が消失したいま、全く新しい現代的な共同体を立ち上げて、そこで介助を担っていこうという考えも、運動の中にはあった。だけど、ともかく介助を普及させるためと、契約モデルで制度をつくり上げた。つくった人たちはリスクを承知でその後の展開に賭けたのだと思いますが、普及したことでその経緯を知らない担い手が大量に入ってきた今、そのことは忘れられようとしています。

 もうちょっと細かい話をすると、痰の吸引という介助行為があります。これは制度ができるまでは、介助者が普通にやっていたのですが、制度ができると、医療行為であることが明示され、ヘルパーの資格者は行えないことになってしまいました。のちに、医療職の監督のもとで行われる研修を受ければ、一定の範囲内でできるようになりましたが、経験があって十分な技術を持っていたとしても、より上位の専門職のお墨付きがなければ行えなくなってしまった。昔から介助をしている人は、これを矛盾だと考えていますが、これからこの業界に入ってくる人の多くは、「そういうもの」だとしか思わないでしょう。


相互親和的な制度へ

 このように、近代的な制度の中に入っていってしまうと、自ら成す力を奪われ、ただ権力だけを根拠にした専門性によって支配されてしまう面が非常に強い。それでは、どうすればいいのでしょうか?

 イリイチは、自ら成す力を失うことなく、むしろそれを促進するような制度はありうると言っています。

 たとえば教育ならば、こんなことを提案しています。「これを学びたい」という者同士や、その人たちと「これを教えたい」という者とが、互いにその存在を知ることができるネットワークをつくる。存在を知らせるだけで、出会う場を用意したり何をするかを提案したりはしません。ただネットワークがあればよい。

 あるいは、学習のために必要な事物を、誰もが利用できる形で用意する。たとえば、学習のための書籍や機材があって、誰もが利用できる学習センターのようなものをつくる。イリイチは実際に、メキシコで「異文化間資料センター」というものを運営していました。ここには世界中からユニークな人たちが集まっていたようです。

 イリイチは、制度スペクトルというものを示して、このスペクトル上でさまざまな制度を分類しています。一方の端が「操作的制度」で、これは現在の学校や医療のような、自ら成す力を奪う制度を指しています。もう一方は「相互親和的(convivial)制度」で、これは自発的に使うことしかできないような制度です。たとえば郵便や電話は、最も相互親和的な制度のひとつだといいます(もっとも、現在の携帯電話を見たら、イリイチは違った分類をするでしょう)。さきほどの学習についてのアイデアも、相互親和的な制度として考えられています(そのまま実現すべく真剣に練られたようなものではなく、あくまで切り口を示しただけだと思いますが)。

 では、僕が関わる現在の福祉においては、相互親和的な制度とはどのようなものでしょうか?自発的な相互ケアを促す制度と考えればよいでしょうか?それはどんなものでありうるのでしょう?

 たとえば、介助の公的保障を求める運動にもさまざまなグループがあったのですが、その中に「介護保障要求者組合」という一派がありました。新田勲さんという脳性麻痺の当事者を中心にしたグループです。彼らの提案した制度はいま振り返ってみると非常にユニークです。介助者に公的な予算から支払いがされるということではいま実現されている制度と変わらないのですが、それは労働の対価としてではなく、介助者の生活の保障として支払われるというのです。現行の制度では単位時間あたりの労働への対価として支払いが行われていますが、そうではなく、介助者の存在を支えるための支払いなのだと。介助者ひとりの収入として提案された金額は、当時の公務員給与に準ずるものでした。労働時間とは関係していません(もちろん、相当な長時間の介助に入るという前提ではありますが)。

 これはある面でベーシックインカムの考え方に近いと思います。あくせく賃金労働しなければならない状況を解消して、本当に必要とされていたり本質的な価値を生み出すことなのに賃金はあまり支払われない行為に、人々が集中できるようにする(ベーシックインカムはさまざまな解釈があるので、これはあくまで一面だし、そんな機能はないと主張する人もいるでしょう)。たとえばそんなことが、相互親和的な制度でありうるかもしれません。


介助と贈与

 さて、そんなふうに制度をあれこれ考えることはできますが、僕は毎日現場に立つ、ひとりの福祉労働者です。政策提言をする運動をしていくこともできないわけではありませんが、いま考えてきたようなことを提案して実現するのは、僕の目の黒いうちにはまず難しいでしょう。一生をかけるほどのモチベーションもありません。それよりもいま、日々現場で起きることを、楽しく豊かにしたいのです。

 それにしても、介助という行為は、いったい何をしているのでしょうか?利用者の肛門に指を入れてうんこをほじくり出したりしていると、これはいったい何をしているんだろう、とよく考えます。それは仕事や労働といわれてすっきり受け止められるものではありません。むしろ、儀礼とか呪術とかいうものを思い浮かべたほうが、近い感触があるような気がするのです。

 儀礼についてもいくつか触れてきましたが、クリスマスの話を思い出してみます。エネルギーの循環が途絶えるとき、周縁的な存在に贈与をしました。現代は贈与の原理が影を潜め、商品経済のなかでの交換原理が世の中を覆っています。そのために、エネルギーの循環は恒常的に途絶えているように感じます。そんな世界の中で、介助は、エネルギーの循環を取り戻すための贈与であると言えないでしょうか?

 介助は、成す側と成される側という関係ではないと、よく言われます。ただのサービスの提供と消費ではないという意味では、たしかにそうでしょう。しかし、それにも関わらず、介助者はその気になればその場から去ることができるという、圧倒的な非対称性があることも、また言われます。僕は、介助中に「もうやってられるか」と思っても、その場から去ったことはありませんが、なぜ去らないかといえば賃金をもらっているからです。これからもその規範でやっていくことはできるでしょう。しかしそれでは、あまりにも面白くないではありませんか。

 では立ち去らない判断をするだけの倫理を、利用者と自分とのあいだに立ち上げることはできるか?それは、契約関係から入っている以上、かなり難しそうです。何年も関わって、固有の関係ができたなら可能かもしれませんが、なんとも気が遠くなりますし、関係ができうる相手というのは限られるのではないでしょうか。そうではなく、もっと普遍的な物語がほしい。

 贈与の儀礼と言ったら突飛な話と思われるかもしれませんが、先ほどの介護保障要求者組合と新田勲さんについて書いた『福祉と贈与』という本があります。著者の深田耕一郎さんは、新田さんと出会ったときに、強烈な「贈与の一撃」を食らってしまったと言います。新田さんと出会って関わり続けた人はみな、自分の存立基盤を揺さぶられるような、強烈な感覚に襲われているというのです。その感覚に決着をつけるために関わっていかざるをえなくなると。だから介助は、食らわされた贈与に対する返礼なのだと、深田さんは考えています。深田さんは社会学者ですから贈与の霊的なエネルギーについてはあまり触れていませんが、胸の内にはそういう感覚もあるのではないかと思います。

 かつては、ケアや医療のようなものと呪術や霊性とは、深く関わりあっていました。それを現代的なかたちで結びつけることはできないか、というのが、日々現場に立つ者として考えていることです。それこそ気が遠くなる話かもしれませんが、いたって現実的な話だと思っています。

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