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#02【前編】総中流に花束を - 青木真兵×茂木秀之 90年代史B面史

自宅で人文系私設図書館ルチャ・リブロを運営し『彼岸の図書館』などの著作のある青木真兵君。彼と茂木は共に1983年生まれで埼玉県出身、なおかつ現在は奈良県に住んでいます。さらに人文書にまつわる活動をしているわりに最も愛読してきたのは『ファミ通』であったり、伊集院光氏のラジオを偏愛していたりと共通点が多数。よく似ているように見える二人が個人史を語り合うことで、むしろ同じ時代状況に対するスタンスの違いが浮かび上がり、そこからまだ語られていない90年代史を記述できるのではないか?そのような問題意識から、真兵君のネットラジオ『オムライスラヂオ』内で「失われた中流を求めて〜1983年生まれのB面史」と題して4回にわたって対談を行いました。

後編はこちら


生きてきた時代を自分たちの言葉で

青木 1983年生まれの僕たちですけど、83年ていうと東京ディズニーランドができた年なんですよ。ディズニーランドってどう?

茂木 好きだったよ。大学のときとか、アングラなものがかっこいいと思ってたところから「大衆的なのがいいんだ!」って逆振りした時期があって、普通に遊びに行ってめちゃくちゃ楽しんでた。真兵君は?

青木 僕はもう消費の申し子ですから。

茂木 消費の申し子でしたか。

青木 キャプテンEOってのがあってさ。宇宙でマイケル・ジャクソンが戦うのを3Dメガネで見るんだけど。マイケル・ジャクソンが悪い奴らに良いもの光線みたいなのを出すと仲間に加わってダンサーになるの。

茂木 良いもの光線(笑)

青木 そういう、敵が仲間になるみたいな、プロレスではヒールターンて言うんだけど。そういうの好きなんだよね。

茂木 小さい頃に好きだったものってけっこう自分の世界観を反映してるんだろうね。ディズニーにせよ何にせよ、僕らは消費の楽しみを思い切り享受して育ってきてるじゃないですか。でも消費社会って基本的に批判の対象として語られてると思うし、肯定するとなると楽しいんだから否定できないでしょみたいな表層的な話しかないような気がしてて。そこを僕らの実感から立ち上げた言葉で肯定的に語りたいっていう欲望がありますね。


デパートで買ってもらった「元祖」


茂木 まず83年から88年ぐらい、小学校に上がる前からいきましょうか。

青木 いちばん古い思い出のひとつが、 2歳のときかな、母親に福島県の郡山の駅前のそごうに連れて行ってもらって、『元祖SDガンダム』のヤクトドーガを買ってもらったんですよ。

茂木 いい話だね。

青木 SDガンダムのプラモはBB戦士とかあったけど元祖が好きで。

茂木 おれもおれも。周りも元祖派多かったと思う。

青木 でも、いまガンダムのプラモデルを調べても元祖のことって出てこないんだよ。バンダイの正史からは消えてるの。

茂木 えーっ?

青木 静岡でやったガンプラ展に行ったんだけど、そこでも元祖はなかったんだよ。この隠蔽の歴史についてはきちっと調べたいね。


職場に遊びに行く


茂木 真兵君はお母さんと二人暮らしだったんだよね?

青木 そうそう、僕が一歳のときに離婚してて。で保育園に入ってたんだけど、母が親戚がやっていた病院で事務員として働いていて、よく職場に行ってた記憶があるんですよ。

茂木 へー。

青木 最近子どもが来れる職場にしましょうみたいなことがよく言われるでしょ?僕からすると「え、だめだったの?」って。

茂木 行ってたんだもんね。

青木 ある時期までは普通に行ける感じがあったんだと思う。どこかでなくなったんだよね。

茂木 そういえば80年代の終わりぐらいまでは女性の生理休暇もわりと普通にあったって三砂ちづるさんが書いてて。そういう暮らしや身体のリズムを大事にする感じって90年代に急速になくなって、今また必要だって言われてるんだろうね。


幼稚園とご近所


茂木 87年が『ファミコン通信』創刊。

青木 われわれのバイブルの。

茂木 この年に幼稚園に入るんだけど、嫌で嫌で毎朝泣き叫んで抵抗して、母親に文字通り引きずられて行ってたなあ。3年間そんな感じ。

青木 僕は保育園も行って、母の職場も行って、その兼ね合いがよかったのかな。保育園で母が迎えに来るのがいちばん遅くて一人で待ってたことも多かったと思うんだけど、それで寂しかったという記憶はない。

茂木 僕が救いだったのは、近所の2つ上の男の子とすごく仲良くて、ほんとのお兄ちゃんみたいな感じで。夏休みとか毎日遊びにいってた。ご両親もすごくよくしてくれて。でその子を中心にしてほかの近所の子どもたちとも学年とか関係なく遊んだりしてさ。そういう近所付き合いがあったなと。

青木 あったね。うちもマンションの隣の家と家族ぐるみの付き合いだったよ。


総中流のきらめき


青木 その頃って伊勢丹行くときはそれ用の服着るとか、ロイヤルホストのときもちょっといい服着るとかさ。そういう特別感が楽しかったな。これって一億総中流が信じられてたときの感覚だと思うんだよね。90年代になって安いのがいいみたいになっていくとああいう感覚ってなくなっていったなと。

茂木 それってたぶん文化で食っていけた時代と重なるよね。本屋とか映画館が単独で成り立ったり。

青木 そうそう、それって総中流と一緒で、すごく一時的な特殊な状況だったんだろうね。


パチもんの時代


茂木 あとこの頃はビックリマン。

青木 僕も集めてた。窓に貼ってた。

茂木 チョコ捨てる奴いたよね?

青木 いたいた、社会問題になってたでしょ。

茂木 おいしいのになあ、あのチョコウエハース。ぜったい食べてたよ。

青木 うちの近所に酒屋のような雑貨屋のような、なんでも屋みたいなとこがあって。

茂木 あったねー、そういう店。

青木 そこでビックリマン10円で売ってたんだよ。

茂木 10円!

青木 その後にセブンイレブン行ったら30円で「高っ!」ってなって。

茂木 あとビックリマンといえばロッチね。

青木 ロッチ?

茂木  知らない?ビックリマンシールの裏面にはロッテのロゴがあるんだけど、それが「ロッチ」になってるの。いわゆるパチもんね。

青木 パチもんねー。パチもんの時代だったね。

茂木 あー、そうだね。あれが存在できたんだから。訴訟とかにならなかったんだからね(※)。そういう余裕がまだあった。

青木 バブル期の余裕がまだ残ってたんだろうね。

(※)訴訟になっていたことが後の調査でわかった。もちろんロッチ側が敗訴し、パチシールは下火になっていく。このロッチシール、流通量も少ないし、パチもんを大事にとっておく人もいなかったので、現在では希少価値が出て高値で取り引きされているらしい。こちらの記事を参照。



全部食べなくてはならない給食


茂木 89年、平成元年に消費税導入。

青木 あー、平成と同時なんだ。

茂木 僕らにとっては物心ついたときにはもうあった感じだよね。

青木 この年から小学校?

茂木 そうそう。

青木 学校は苦労したみたいだね。

茂木 うん、話せばきりがないけど。まず給食がまずくて食べれなくてさ。1,2年の担任がイヤな奴で、食べきるまで昼休みになっても5時間目になっても食べさせるんだよ。おれだけ割烹着みたいなの着たまんまで。それで「茂木君、今は給食の時間じゃありません」とか言うの。

青木 けしからんなー。

茂木 この、先生たちが無自覚に権力をふるってさ、健康観や身体観を植えつけていくのは、ほんとにおぞましい。


立ちション、規範、衛生観念


青木 あと立ちションね。

茂木 してたよね?

青木 してたしてた。普通だったよ。

茂木 集団下校の日があって、隊列つくって帰るんだけど、「待って、立ちション」って普通にしてたな。

青木 いまや犯罪だからね。

茂木 大人もしてたと思うんだよ。

青木 あ、大人も?

茂木 おっさんが空き地とかでしてたと思う。

青木 あー、だからさ、空き地があったよね。

茂木 そうそう、空き地があったんだよ。いっぱい。

青木 今なら空き地持ってても税金かかるだけだから駐車場にしようってなるけど、そうじゃない感覚がまだあったんだろうね。

茂木 いまお互い都市に住んでるわけじゃないけど、立ちションできるようなとこってないでしょ?

青木 まあ森の中まで入らないとないね。

茂木 この変化のスピード速いよなあ。

青木 この前5歳ぐらい上の方と話したんだけど、昔は飲酒運転なんて普通だったって言ってて。

茂木 あー、そうだよね。うちの父親もやってた。立ちションはちょっと違う視点からも気になってて。日本でも100年ぐらい前は女性も道端で立ちションしてたらしいんだよ。

青木 へー。

茂木 都市でもしてたって。京都とかめちゃくちゃ臭かったらしいよ。

青木 それって衛生観念ともつながってくるけどさ、衛生って不浄の観念とも関係してきちゃって、それを近代科学的に処理しようとすると、ナチス政権下のようにユダヤ人は不浄だとか、不浄だから廃棄していい、ってとこまでいっちゃう。

茂木 それで正統な市民は清潔でなければならないってされて、排泄を隠し、体臭を消し、自分の身体をなくしていっちゃうみたいなことになってるんだよね。イリイチはそうやってみんな「オーラ」を消してるって言ってるんだけど(※)。

青木 オーラっていうと、昔の猪木の映像見てて色気があるなって思ったんですよ。それはイリイチの言うオーラと関係あると思う。

茂木 うんうん。俺はいい芸人さんはオーラあるなって思う。千鳥とか。

(※)イヴァン・イリイチ『H20と水』を参照せよ!


尖ってたコロコロボンボン


青木 サブカルチャーでは、コロコロコミックとコミックボンボンね。

茂木 人気を二分したね。俺はボンボン派。

青木 ボンボンてどんなの載ってた?

茂木 メインはSDガンダム。コロコロがミニ四駆ね。

青木 そうだ、『ダッシュ四駆郎』。

茂木 ボンボンで外せないのは『やっぱアホーガンよ』。

青木 え?ホーガン?ハルク・ホーガン?

茂木 あ、知らない?プロレス好きなのに?これは読んだほうがいいよ。この前Amazonで見たら2万円とかになってたけど。でもネットラジオでも言えないような内容だから読んでもらうしかない。人はここまで下品な表現ができるのかって思うよ。


消えた露天商


青木 年末から寅さんをずーっと見てて(この対談は年初に行われた)。いまやっと35,6作目ぐらいなんだけど。

茂木 え、この年末年始で35,6本観てるの?どうかしてるね。忙しいって言ってなかった?

青木 寅さんで忙しい。

茂木 幸せな正月だな。

青木 ずっと観てるとね、ある時期から「こんなとこで商売するな」って怒られるようになるんだよ寅さんが。

茂木 あー、そうなんだ!

青木 その頃たぶん実際に露天商とかテキ屋とかってどんどん減ってたんだろうね。

茂木 僕らが子どもの頃にはもうほとんどいなかったもんね。

青木 テキ屋みたいなやつで、型抜きってあった?

茂木 あったあった!

青木 家の近くの氷川神社でも出してたし、学校の校門のちょっと先ぐらいのとこでも出してて。なんかこう、陶器みたいなものでできた型に、粘土を押しつけて…

茂木 え、それはおれが思ってるやつと違うわ。

青木 え、どんなのだった?

茂木 ラムネみたいな素材の小さい板に点線で形がついてて、線に沿って針みたいなもので削ってくの。それできれいに形が残せたら景品がもらえる。

青木 あ、その型抜きもあった。それとは別で、これは型屋って言ってたんだけど。たとえば土偶の型だったら、粘土入れたら当然土偶の形になるでしょ。それに、あれはなんて言うんだろ、キラキラした粉みたいなやつで彩色するっていう。

茂木 それは見たことないわ。

青木 それで仕上がったものに点数をつけてもらって、良ければ景品がもらえる。

茂木 待って、さっきの型抜きのさ、線に沿って正確に抜けたら合格ってのはわかるじゃん。でもその、粉みたいなので彩色していい感じだったら合格って何?そのテキ屋のおっさん次第ってこと?

青木 まあだから、アーティストなんだろうね。露天のね。


ご近所で育った人、母の職場で育った人


茂木 小学校に入ると、さっき言った近所の2歳上のアニキの影響がいよいよ強くなってきて。その子に連れられて近所の子たちと遊んだりして、学年関係なく。空き地もたくさんあって、三角ベースとかしたりね。でガキ大将的なやつに河原に呼び出されてBB弾で打たれたりして。

青木 怖い!

茂木 おもしろくもありおそろしくもあり。

青木 なんかでも、原始共同体って感じだね。なんで学年関係ないつながりがあったんだろう?

茂木 普通に近所付き合いがあったんだと思うよ。なかった?

青木 小学校に入ってからはあんまり記憶がないな。マンションで鍵っ子だったから、同級生の家に行って遊ぶとかのほうがずっと覚えてる。ファミコンカセットだけ持ってたから、本体がある家に行ってソフトを持ち寄って遊んだり。

茂木 え、カセットだけ持ってたの?なんで?

青木 いや、そういう時代だったからさ。

茂木 おれも同じ時代に生きてたけどそんなやついなかったよ。カセットだけ買ってもらえたってこと?

青木 そうなんじゃない?

茂木 さっきからいろいろ曖昧だな。でもわかったのは、熊谷より浦和のほうがだいぶ都市化してたってことと、親同士の近所付き合いがなければ子どものつながりもないってことだね。

青木 うちは母と二人の家だったしね。保育園で18時とか19時まで母を待つ生活だったから、幼稚園が昼すぎに終わるって聞いたときはショックだったよ。

茂木 そういえば、うちは専業主婦の母だったけど、帰ったときたまたま誰もいないこともあって、そういうときは向かいの家に上がらせてもらったりしてたよ。

青木 ああそう?

茂木 誰もいないーって言ったら「じゃあ上がってたら」みたいな感じで。子どもが同級生とかでもないんだけど、ごく普通にやってた。

青木 それはなかったなあ。

茂木 けっこう違ったんだろうね。

青木 それが地域全体の違いなのかはわからないけどね。僕は母の職場が近かったからそこに遊びに行ってて。だから子どもはいなくて、看護師さんか患者さんしかいなくてさ。そういうところで育ったというのはあるね。


お店の人の名前がわかる


茂木 近所の子たちで五円玉を集めて500円分ためて、駄菓子屋で「5円チョコ」を100個買うっていうことになって。なぜかおれが代表として一人で行かされたんだけど。水島っていう駄菓子屋さんで。

青木 水島って店名すごいね、明らかに水島さんちだ。

茂木 うん、間違いなく水島さんのおじいちゃんおばあちゃんがやってる。でおじいちゃんに五円玉100枚出したらけっこう慌てちゃって、一生懸命100枚数えて、さらに5円チョコ100個数えてくれて、まじですいませんって思いながら待ってて。にこやかにチョコ渡してくれたんだけどちょっと苦い気持ちで持って帰って、でもみんなには言えずに黙って食べたなあ。

青木 でもそこで苦い気持ちになるっていうのは水島さんだからだよね。

茂木 あ、そうだね。コンビニだったらさほどならないと思う。単なる店員と客っていう匿名の関係じゃないからね、水島さんとは。

青木 僕は小学校のまえに清文堂(せいぶんどう)っていう駄菓子屋兼文房具屋みたいなのがあったんだけど、このお店の人は清文さんではなさそうじゃん。

茂木 絶対違うね。

青木 そこでもう距離感あるよね。名前もわからないし、どんな生活してるかも当然わからないし。

茂木 言ってみればその延長線上にジュンク堂とかがあるわけだからね。

青木 小学校前にジュンク堂の萌芽が。

茂木 原始ジュンク堂がね。まあやっぱり浦和のほうが都市化してるよね。


入口で人を選んでいる


青木 うちはマンションだったけど、茂木ちゃんちは一軒家?

茂木 うん。マンションなんて周りにほとんどなかったなあ。

青木 あ、そう!

茂木 ちびまる子ちゃんみたいな町並みだったよ。

青木 それはだいぶ違うね。マンションの中でエレベーター使って遊ぶのが流行ったんだけど、そういうのなかった?

茂木 マンションがないからね。

青木 新しいマンションに住んでる友達がいてさ、そこのエレベーターは扉が閉まってても扉の窓からフロアの中が見えるんだよ。それで鬼ごっこしてると、エレベーターで通過したときに窓から見えたりするわけ。それがおもしろくて。

茂木 あー、なんか『エレベーターアクション』(※)みたいな。

青木 そうそう。4階に鬼がいるときに4階で降りようとしてたらさ、扉が開く前にもう目が合って「わー!」ってなったりして。その感じがよかったなあ。

茂木 なるほど。

青木 最近のマンションはどうなんだろう。もう入口から人を選んでるでしょ?

茂木 人を選んでる?オートロックとかそういうこと?

青木 そうそう。

茂木 なんでそんなポエティックな表現をした?

青木 そういう時代じゃないですか。

茂木 まあたしかに、あらゆることが入口から人を選んでる社会ではあるね。あの頃はマンションだろうが学校だろうが誰でも入れたのに。

青木 校庭で遊べたっていうのはひとつ象徴的だよね。いろいろ事件が起きてからできなくなっていって…

茂木 97年に酒鬼薔薇聖斗事件があって、池田小の事件が2001年かな。それから本当に学校に人を入れることに厳しくなっちゃった。

(※)『エレベーターアクション』:ファミコンソフト。スパイとしてビルに潜入するアクションゲームだが、堂々とエレベーターで移動する。


名物先生に殴られる


茂木 91年92年、小学校3,4年のときの担任が宮本先生で、みやもっちゃんて呼ばれてて。こいつがほんとにどうしようもなくてさ。すぐ殴るし、ベランダでタバコ吸うし、生徒の机並べていびきかいて寝るし。女子にすぐ抱きつくし。

青木 あらら。

茂木 そういうやつでも、生徒からも親からもどうしようもないと思われながら学校にいれたんだよねあの頃は。

青木 いれたね。いいんだか悪いんだがわからないけど。僕の担任はぜんぜんひどい人じゃなかったな。なんでだか、あるとき僕にだけ、クーピーをくれたの。50色のクーピー。

茂木 本格的なやつだ。

青木 絵を描くのが好きだったからだと思うんだけど。

茂木 個人にそんなプレゼントするなんて今じゃ考えられないね。


サッカーチームの試合だけ行く


茂木 小学校区の中が10個ぐらいの地区に分かれてて、地区ごとにソフトボールとサッカーのチームがあってさ。ほぼ全員入ってたんだけど、おれ入ってなかったの。日曜の朝に早起きして運動するなんて冗談はよしてくれと思って。学校と一緒じゃん。で遅くまで寝て起きたら即ファミコンしてた。

青木 僕はサッカーのやつ入ってたよ。日曜の朝6時からやってたんじゃないかな。

茂木 うわー、もう部活だね。

青木 でも行ってなかった。

茂木 え?

青木 まったく行かないわけじゃないけど、自分のペースで行ってたというか。

茂木 自分のペースで行ってた?

青木 だいたい半分以上練習で最後のほうが試合でしょ。その試合だけ行ったりとか。

茂木 それで怒られないの?

青木 まあなんだろう、諦められてたんでしょうね。

茂木 なんというか、クラウンみたいなやつとして認識されてたんだね。そういう存在として受け入れられちゃえば自分なりにやれちゃうってことか。


ゲーセン化する駄菓子屋


茂木 この91,92年頃に『ストⅡ』(※)が出てきて。駄菓子屋の水島がゲームの筐体並べ始めてどんどんゲーセン化していくんだよ。

青木 ストⅡこの頃かー。

茂木 おれは『ファイナルファイト』とか『マッスルボマー』とかやってたけど。でファミ通も読み始めて。

青木 小3とかで?早いね。

茂木 もう隅から隅まで全ての記事を読んでた。新作ニュースからレビューから、コラムも投稿ページも、本当に一字一句残さず、ぜんぶ。桜玉吉先生の『しあわせのかたち』も連載してて、今でもいちばん好きな漫画家さんだね。

(※)『ストⅡ』:対戦格闘ゲームというジャンルを切り拓いた『ストリートファイターⅡ』。茂木は昇龍拳が出せなかったためこのこのジャンルからは退却した。と言って何のことかわからないあなたはおそらくZ世代である。


学校から逃げ出す人、自分なりに行く人


茂木 この小3ぐらいから学校行くのがすごく嫌になってきて。朝気分が悪かったり吐き気がしたりして。でも母は仮病だろって言って、無理やり車に乗せて連れて行くんだよ。たまに全身にじんま疹みたいなのが出てたんだけど、今思えばストレスから来るアレルギー性の皮膚炎だったんだろうな。

青木 間違いないね。

茂木 で最終的に6年の途中から行かなくなった。

青木 僕はね、なんだかんだいいながら学校には行ってて。家が近かったから、忘れ物したから取ってきますって帰って、そのままゲームをちょこっとしてから学校に戻ったり。

茂木 すごいな!

青木 なんかこう、自分なりにやってたね。

茂木 サッカーチームにしろ学校にしろ。

青木 自分のペースで。

茂木 属しながらぜんぜん縛られてないんだね。もう根っからそうなんだ。ルチャ・リブロは彼岸の図書館て言ってるけど、その頃から彼岸と此岸を行き来してるじゃん。ていうかどういうタイミングで一回帰りますとか言うの?

青木 いやー、どこだろうね?でもひとゲームしてたのは覚えてる。

茂木 それでめちゃくちゃ怒られたりしないの?

青木 いやあ、どうだったんだろう。

茂木 ぜんぜん覚えてないじゃん。ぜんぜん大したことじゃなかったんだな真兵君にとって。

青木 あとね、地域を歩いて取材して記事を作るみたいな授業があって。そういうときにみんなうちに呼んでチューペット振る舞ったりしてた。

茂木 え?その、取材歩きの途中で?

青木 チューペット食べて、もういいじゃん、てきとうにやろうよ、みたいな。

茂木 なんかすごいトリックスターみたいなやつだったんだ。

青木 そういえば、ずいぶん後の話だけど、高校入ったらマクドナルドでバイトし始めてさ。店が忙しいときって、みんな忙しさに飲まれちゃって忙しいモードになるんだけど、そんなときにわざとすごいゆっくりやったりしてた。

茂木 まあ落ち着けよ、みたいな?

青木 それはすごい怒られたよ。

茂木 やっぱり天性のクラウンみたいなとこあるんだなあ。

青木 全体を見てバランス取りたいみたいなのはあるかな。学校の行事だからってみんな一生懸命やらなくていいよ、自分なりにやろうよみたいな。

茂木 おれはさ、見えてるものは近いと思うんだけど、真剣に悩んで学校まったく行かなくなるみたいになっちゃうんだよ。そこは資質の違いだよね。

青木 僕は学校でいうとね、そもそも牛乳って苦手でコップでは飲めなかったんだけど、給食でストローでちゅーちゅー飲むと飲めたっていうエピソードはありますね。

茂木 なんだそのエピソードは。


(後編に続く)

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