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#02【後編】総中流に花束を - 青木真兵×茂木秀之 90年代B面史

自宅で人文系私設図書館ルチャ・リブロを運営し『彼岸の図書館』などの著作のある青木真兵君。彼と茂木は共に1983年生まれで埼玉県出身、なおかつ現在は奈良県に住んでいます。さらに人文書にまつわる活動をしているわりに最も愛読してきたのは『ファミ通』であったり、伊集院光氏のラジオを偏愛していたりと共通点が多数。よく似ているように見える二人が個人史を語り合うことで、むしろ同じ時代状況に対するスタンスの違いが浮かび上がり、そこからまだ語られていない90年代史を記述できるのではないか?そのような問題意識から、真兵君のネットラジオ『オムライスラヂオ』内で「失われた中流を求めて〜1983年生まれのB面史」と題して4回にわたって対談を行いました。

前編はこちら


引きこもって好きなことだけ


茂木 学校行かなくなったら、案じた母に車で山奥に連れて行かれて、そこが新興宗教の本部だったんだよ。だだっ広い講堂みたいなとこに巨大な銅像が立ってて、それを拝めって言われて。まあ何回か行って母が悩みとか話してたらお布施が足りないからだって言われて、それは違うと思ってやめたって言ってたけど。

青木 それぐらい真剣に悩んでたんだね、お母さん。

茂木 その後近所の教会に通うようになって、穏やかな信仰生活に入ってくれて安心したけどね。

青木 不安だったんだ、お母さんが。茂木ちゃんは不安だった?

茂木 ぜんぜん不安じゃなかった。学校行かなくてよくなったし、好きなことできるし。とにかく好きなことだけしてたからね。

青木 いいねー。なにしてたの?

茂木 まずゲームは、『タクティクスオウガ』とか『ドラクエⅥ』とか。でプレイステーションとサターンが出た頃で、サターン買って『バーチャファイター』。 

青木 バーチャファイターね。有名なプレイヤーいたよね、ブンブン丸さんとか。

茂木 新宿ジャッキーさんとかね。

青木 ファミ通の編集者だよね、そのへんの人たちは。

茂木 今はeスポーツとかいってお金もらってるプロゲーマーいるけど、あの頃の有名ゲーマーって私財つっこんでゲームしてるだけだったからね。月10万とか。ゲーセン行くとお金つぎ込んで上手くなってる大人に勝てないからやってもしょうがないみたいになっていったな。だからバーチャはやるよりも、ファミ通から出てた『バーチャファイターマニアックス』っていう、攻略本でファンブックみたいなのがあって、それをめちゃくちゃ読み込んでた。今思うと読んでる方が楽しかったな。

青木 不登校はいつまで?

茂木 中一中二、95,96年とまるまる行ってなかった。95年が濃かったなあ。まず今でも聴いてる伊集院光さんの『深夜の馬鹿力』。

青木 我々の共通の師匠の。

茂木 ずっと家にいるからなんとなく深夜のラジオかけてて、たまたま第一回を聴いたんだよ。それから断続的だけど今に至るまで聴いてる。

青木 テレビも見てた?

茂木 テレビはこの年『エヴァンゲリオン』。これもたまたま第一回から観たんだよ。事前情報なしで。

青木 エヴァはね、僕はだいぶあとで観た。イタリアで。

茂木 イタリアで?

青木 大学で考古学やってたんだけど、その関係でイタリアに行って、現地の友達で日本人とイタリア人のハーフの子がいてね、彼の家にビデオが全部あったの。2002年か2003年。

茂木 だいぶあとだね。

青木 僕は基本ぜんぶ遅いんですよ。リアルタイムってほとんどない。

茂木 95年は何してた?

青木 学年は茂木ちゃんの一個下だから小六だったんだけど。麻原彰晃被告が山梨の第なんとかサティアンで見つかりましたみたいなニュースを学校で見たのを覚えてる。

茂木 学校でテレビついてたんだ?

青木 すごく通常ではない感じだよね。

茂木 学校は普通に行ってたんだよね?

青木 出席状況としては悪くなかったんじゃないかと思うけど、よくわからないな。まあ自分なりに行ってたというか。

茂木 基本的になんでも自分なりに行ってるのすごいよな。学校っていうのは自分なりに行けないとこなんだから、根本的に。すべてを自分なりにやらせないために存在してるからね(※)。

青木 それはそれなりに感じてるんだけどね、軍隊みたいだなとか。そんな中でも、なんというかまあ、自分なりに。

茂木 軍隊は自分なりにできないんだって普通。学校や軍隊に属しながらそんだけ自分でいられるっていうのは青木真兵と水木しげるぐらいかもしれないな。

(※)イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』を参照せよ!


流行ってるときに気づかない


青木 なんか自分はみんなよりいつも三歳ぐらい幼い感じがしてて。音楽だったら周りはスピッツとか聴いてたと思うけど、ぜんぜん興味なかったり。

茂木 真兵君はなにしてたの?

青木 浦和だからみんな嗜みとしてサッカーやってて僕も一応やってたんだけど、さっき言ったみたいに自分なりで。サッカー自体は好きだったんだけど、雑誌の選手の写真を切り抜いて貼ってオールスターチーム作ったりとか。楽しみ方は文系っていう感じだったな。

茂木 音楽だとおれは、深夜のテレビ見てたらCorneliusの『MOON WALK』って曲のPVが流れて、これにものすごい衝撃を受けて。すぐ近所の加藤電機ってCD屋さんに行ったらアルバムがあって。それから毎日何回も聴いてた。何かしながらとかじゃなくて、ヘッドホンで集中して4回とか5回とか。

青木 やっぱり早熟な感じだよね。僕は米米CLUB聴いてたんだけど、ぜんぜんリアルタイムじゃなくて後追いで聴いてるんですよ。なんにしてもリアルタイムより終わったものが好きっていうのはあるかな。

茂木 しかもオールディーズとかじゃなくてちょっとだけ前なんだね。

青木 そうそう、いちばんダサいときに。あえてそうしてるわけじゃなくて、ただ遅れて気がついてるの。それでCD、ビデオ、書籍、なんでも買い集めたな。ディスクユニオンとかいろいろ、自転車で走り回って。

茂木 自転車で走り回るよねー。米米ってさ、音楽的にもあの頃にファンクみたいなのをやってたのはすごかったんだろうけど、ステージパフォーマンスとかを含めた総合的な魅力なわけでしょ。

青木 そうそう。総合的すぎて誰もちゃんと語れてなくて、納得できる評を読んだことがないの、いまだに。あのチーム感、クラブ感が僕の中でいちばん重要なんだけど、そのへんが語られてないんだよ。まあ音楽的にも米米から辿ってモータウンとかグラムロックとか掘っていったけどね。


学校への違和感、生命力ベースで生きる


茂木 96年、中二もずっと行ってなかったんだけど、相変わらずラジオとかテレビとか。この頃の深夜放送って本当に最先端だったり本当に良いものを紹介してたよね。そこで出会ったものが今でも心のふる里みたいになってて、自分が好きなものがこの世界にはあるなって思えたっていうところはあるな。

青木 で中三から学校に?

茂木 中二の終わりぐらいになぜか急に行こうと思って。本当になんでだかわからないんだけど。でゼロから勉強しはじめて、なんせゼロからだからやればやっただけ成績が上がって、それが楽しくて。最終的に県北の名門熊谷高校に入りましたね。

青木 エリートだ。

茂木 神童かと思った。すぐ違うってわかったけど。

青木 僕は受験もなんとなくで、なんか受験直前に急に塾やめちゃったりしてた。特に理由もなかったと思うんだけど。

茂木 それもすごいなあ。真兵君は「生命力ベース」で生きたほうがいいって言ってるけど、その頃からそれをやってるんだね。なんか嫌だとか、なにか違うと感じたらやめるっていう。

青木 そうかもね。人から評価されることだから我慢してもやる、みたいなことはなかったかもしれない。

茂木 みんな三歳とかまではそうだと思うんだけどさ、なにかをこじらせると評価ばっかり気にするようになるんだよなあ。真兵君の何が人を引きつけるのかっていうと、言ってることの内容よりも、生命力ベースで生きてるその態度みたいなものだよね。オムラヂでよく人の悪口言ってるけどさ、嫌な感じがしないんだよ。それはただ思ったことを言ってるだけだからだと思う。我慢して何かをして、でも思ったようにいかないと、誰かを恨んだり妬んだりするけど、そういうのが入ってないから何を言っても感じが悪くないんだよね。


学校は近代人生産所


青木 お互いに学校に対してはおかしな所だなって思ってたっぽいね。

茂木 自分に子どもができて、近所の子たちと遊んでるのとか見てると余計に思うんだけど、同じ年齢の子たちを一ヶ所に集めて生活させるのってかなり異常なことだと思うんだよ。近代学校制の最大の目的は「国民」という概念を受容させることだったと思うんだけど、それまであった共同性を解体して国家という新しい共同性を受容させるために、年齢で分けて別々に生活させるっていうのがすごく有効だったんだと思う。

青木 なるほど。僕はなんといっても、全員が同じ時間に行って同じことをするってことに違和感あった。季節によって日が昇る時間は違うのになんで一年中同じ時間に行くんだよって。

茂木 それも子どもと暮らしてるとすごく思うなあ。子どもの起きる時間って季節によってはっきり違うんだよ、日の出とともに起きるから。そうすると当然大人のリズムも変わるんだけど出勤時間は同じように来るんだよね。

青木 そうだよね。それはいまだに思うな。だからいまだに子どもなんでしょうね、僕は。

茂木 子ども?

青木 近代っていうのは普遍性を獲得しないといけないわけですよ。そのためにはイリイチ風に言うと「離床」しないといけないんだよね(※)。土着の共同体や自分の身体から離れないといけない。でもいまだに違和感を感じながら生きてるっていうのはさ、違和感って身体で感じるものだと思うから、身体から離れてないんだよね。それは近代社会では大人じゃないってことでしょ。

茂木 なるほどね、身体感覚や土着の時間の中で生きてると大人になれないんだ。誰もが共通する時間を生きているっていうのも近代の発明だし、学校って本当に人を近代人にするためのものだよね。

(※)イヴァン・イリイチ『ジェンダー』を参照せよ!


中途半端な90年代、限界がある良さ


青木 僕らの『彼岸の図書館』をおもしろいって言ってくれる人は同世代が多くて、それは90年代に育ったっていうことが大きいんじゃないかと思ってるんですよ。90年代って中途半端な時代だと思ってて。情報はたくさんあったけどインターネットはまだなくて。たとえばビーイング系の音楽って、まずCMのタイアップが決まっててそれに合わせてサビからつくるみたいなものだったでしょ。そんな商業主義なのは音楽じゃねえよとか思ってる人もたくさんいたかもしれないけど、今みたいにSNSで同じ考えの人がいるのを知ったりできないじゃん。そうするとなんとなく思ってるぐらいで終わってたんじゃないかなって。そういう時代で育ったことで共通してる感覚ってすごくあると思うんですよ。

茂木 そうかもね。いい感じに孤独になれたと思う。自分をわかってくれるのは本や音楽だけだから一人でどっぷり浸って。

青木 音楽とかは、高校に入ってからは?

茂木 高校に入った97年に人生初のライブに行って、それがCornelius。わけもわからず路線図と時刻表を見て恵比寿に行って。恵比寿ガーデンホールって今でもあるのかな?そのライブがもう本当にすばらしくて、今でも生涯ベストライブだな。で高校時代は『ロッキング・オン・ジャパン』を熟読してた。

青木 僕はもう米米CLUBばっかりだったな。米米が載ってる雑誌を集めて、『CDでーた』とかなんとか、その中に『ジャパン』もあったよ。

茂木 あ、米米が載ってる雑誌ってことでCDでーたもジャパンも並列なんだ。雑誌との接し方がぜんぜん違うなあ。おれはジャパンが取り上げるならいいものなんだろうっいう視点で見てたからね。いちばん聴いてたのはGRAPEVINEで、あとはくるり、中村一義、スーパーカー…

青木 あー、なんかね、そういうおしゃれなのがあるっぽいなっていうは感じてたよ。でも僕は米米ばっかり。

茂木 まったく時代に参加してないね。

青木 すでに解散してるからね。

茂木 でも本当におしゃれな人はクラブミュージックとかにいってたんだろうな。

青木 あー、もうほんとの人たちはね。でもさ、インターネット以前の時代でね、これが限界じゃない?

茂木 そうそう、ほんとに、これが限界!限界まではいってたと思うよ。熊谷の本屋で一生懸命雑誌見てさ、加藤電機でCD探して、これがきっといまいちばん良いものなんだろうなって想像して。限界だよこれが。

青木 この限界のあり方が90年代だよね。デジタルな情報はまだ中途半端で、デジタルとアナログのせめぎ合っていたというか。

茂木 結局最先端は渋谷に行かないとわからなかったからね。

青木 いま渋谷に行く必要なんてぜんぜんないわけでしょ。スポティファイとかあって。

茂木 スポティファイになんでもあるし、ひとつ良いと思ったら似たようなのを薦めてくるからね。

青木 薦めてくるなんてなかったからね。

茂木 なかった!これいいなと思って似たようなのを探しても見つからないんだよ。

青木 ショップの目利きの店員さんとか、年上のお兄さんお姉さん的存在とかが薦めてくれない限りは、広がっていかないんだよね。カルチャーの先達がいないと。でもその限界がある感じがいま考えるとよかったな。

茂木 その限界の中で出会えなかったものは、結局出会わなくてもよかったものなんだろうなって思う。

青木 そう思えるよね、僕たちは。これが最初からスポティファイがあってさ、何にでも出会えるよ、何にでもスポティファイできますよとなったらね。

茂木 月額千円で何にでもスポティファイできますと。レコ屋のアニキが薦めてくれなくても。

青木 そうなるとね、スポティファイに含まれてない音楽もあるのにそれに気づくことがないでしょ。

茂木 そうだね、そこにないものはないことになっちゃう。

青木 スポティファイ以外のものにはスポティファイできなくなっちゃうんですよ。


思春期に不安定じゃない人


茂木 熊谷高校は学園闘争の頃に盛り上がって自治でいくぜみたいになったとこで、制服はないし校則も生徒会で決議して決めるみたいな校風だったんだよ。でも生徒のほとんどはそんな歴史は知らなくてぼんやりしてるから、おれはそれに憤って一生懸命生徒会活動したりしてて。

青木 不登校から一転して熱くなったんだ。

茂木 嫌いな学校に対して行かないか過剰適応するか、両極端に振れてたね、いま思えば。でも2年の終わりぐらいに急になにもかも虚しくなって、もう存在してることの違和感に耐えられないみたいになってさ。で心療内科行ってみたりして。そのとき埼玉県の交換留学プログラムみたいなやつの募集があって、何を思ったか参加して、山奥の孤児院に泊まって満点の星空見て号泣したりしてさ。

青木 不安定ですね。

茂木 これが情緒不安定だよ君。

青木 思春期って不安定になるものなんですかね。

茂木 不安定じゃなかった?

青木 めちゃくちゃ安定してた。

茂木 すごいな。本当に?

青木 あんまり不安になるっていうことがないんだよね、うちの奥さんにも言われるんだけど。高校も2,3年はいい仲間がいて楽しくて、カラオケ行ってゲーセン行って、バイトしてみたいな。だから内面に一切入らなかったですね。外面だけ。

茂木 へえー。思春期的な不安がないという状態が想像できないなあ。

青木 なんなの思春期的な不安て。

茂木 いや不安は不安だよ。不安を感じたことがない人間に説明できるか不安を。いい加減にしろこの野郎。

青木 大学入るときも好きなことしようと思って考古学にして。周りは経済学部とか行かないと就職がないとかいってたけど、そういう将来への不安も一切なかった。 

茂木 まあ将来への不安っていうのは虚構だと思うから、ないほうが健全なんだと思うな。でおれはその不安な心にスッと入ってフィットしてしまったのが宮台真司さんで。『まぼろしの郊外』とか『終わりなき日常を生きろ』とか読んだのかな。それですごいと思って社会学部行くことにしたんだけど。良くも悪くもすごく扇情的な書き方する人だからそれが不安にフィットしちゃったのもあるけど、歴史的な視点で社会を見るものに初めて出会ったんだよね。漠然と違和感があった社会というものを明晰に説明してることに衝撃を受けたんですよ。

青木 宮台さんはどうやって知ったの?

茂木 ロッキング・オン社が出してる『SIGHT』っていう雑誌があって、今は政治の雑誌になってるみたいだけど最初は総合誌で政治から文化からいろんなこと扱ってたんだよ。そこに何号か連続でインタビューが載ってて、それ読んだのが最初かな。

青木 ロッキンオンカルチャーで歩んでるね。

茂木 ずっぽりだったね。自分が書くものってファミ通とロッキンオンでできてると思うよ、根っこは。

青木 僕は米米とみうらじゅん。思想とかとの出会いは遅かったな。大学で出会った考古学の先生が本当におもしろい人で、そこからやっと学問的なものに入っていって。なんかこう、人と同じのはいやだっていうのがすごくあったんだけど、自分の中から出てくるものが特になくて。みうらさんも自分の中に闇がなくて悩んだって言ってるんだよね。やっぱ表現するには闇が必要なんじゃないかって。

茂木 あなた闇ないもんね。

青木 闇ないね。それで自分の外に探すんですよ、なんかないかって。でもその感じって時代もあるのかなと思うんだよね、なにを消費するかによって自分を規定するという。

茂木 自分探しっていう言葉が出てきたのも90年代だよね。

青木 そうだね。僕も自分探ししてたのかも。

茂木 でもね、自分探しする人って悩んでるんだよ普通。虚しくて悩んで自分の外になにかを探して、だから自己啓発とかカルトに回収されちゃったりするわけよ。でも悩んでないでしょ?

青木 悩んでない。

茂木 そんな健康な自分探しがあるとはな。

青木 はい、まあそんなことで。この話もいったん終わりにしまょう。

茂木 終わらせ方も清々しいですね。ありがとうございました。


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