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死ぬことを考えると怖いんですけどどうすればいいですか?

「死ぬことを考えると怖いんですけどどうすればいいですか?」

プロのコーチだと告げると、ときどき聞かれる質問です。

仏教では、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことは、決して自分の思い通りにはならない。 「生老病死」の4つの苦からは、誰も逃れることができないと言われています。

人間である以上、うん、まあ、受け入れるしかありませんよね。

じゃあ、どのように受け入れていけばいいのでしょうか?

私は死について考えるとき、養老先生のおっしゃっていた「一人称、二人称、三人称の死」という考え方からスタートします。

一人称の死:これは自分自身の死です。自分が死ぬという経験は、想像するだけで恐怖を感じるものです。しかし、実際には自分の死を体験することはできません。死んだ瞬間に意識がなくなるため、その後のことを知覚することはないのです。 

二人称の死:これは親しい人の死です。家族や友人など、自分と深い関係を持つ人が亡くなることです。この場合、悲しみや喪失感が強く、感情的な痛みを伴います。

三人称の死:これは赤の他人の死です。ニュースや遠い知り合いの死など、直接的な影響が少ない死です。この場合、感情的な距離があるため、客観的に受け止めやすいのです。

死が怖いのは経験と結びついているから

こうやって冷静に考えていくと、「一人称の死」は自分では知覚できないので、自分で体験しないものを必要以上に怖がらなくてもいいのかなと思います。死が怖いのは「二人称の死」を経験して、「死」と「悲しみ」があなた脳内でつらい経験として深く結びついていることとも関係しています。

そもそも「死ぬのが怖い」という思いは、そんなにネガティブなものなのでしょうか?むしろ人生を輝かせるスパイスになるのでは?

何気ない日常に幸せを感じるのも、それが有限だと知っているからですよね。明日死んでも悔いが残らないようにと思うから、勇気をふりしぼって好きな人に告白しようって頑張るわけですよ。

もしも死への怖さがなかったら、文学や映画も面白く感じられないと思います。『世界の中心で、愛をさけぶ』こともなくなり、胸が張り裂けそうな切なさは薄れてしまいます。

100回生きる人の、人生を賭けた挑戦に感動できますか?できないと思います。この限られた1回しかない人生だから、その挑戦は美しいんです。

「死ぬのが怖い」人は、文学や映画を楽しみましょう。偉大なアーティストたちは「死ぬのが怖い」からこそ、それに対する答えを出したいと考えて数々の名作を生み出してきました。「死ぬのが怖い」という思いがあるから、それらの作品が深く染み入るわけですよ。最高じゃないですか。

今日は以上です。世界を味わおう!モギーでした。





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