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インプット過多、アウトプットどへた。

こんばんは、もげらです。

2日前くらいに「ついついインプット過多になってしまうー」とか言っていた。

まだまだついついインプット期間。
インプットって楽しいよね。知らなかったことを知れたり、シンプルに「すご!」て思うことがあったり。

なんだけど。
今更ながらというか改めてというか、アウトプットとインプットのバランスがやっぱり大事だなって、思っている。

アウトプットしないと『整理されていない』気がする。
人に見せる見せない、ということではなくて。
自分だけが見られるようなノートに書きだすだけでも。箇条書きだけでも。

頭の中にどんどんどんどん溜まっていく感覚はあって。脳みそも刺激されて、動いている感覚はあって。
だけど、それが整理されていて、必要なときに必要なことが取り出せるか? というと、そうではなくて。
雑然と散らばっているような感覚。

ただただ積み重なっていくだけで、下のほうにあるものは押しつぶされて、ぺしゃんこになって、そのうちそこにあったことさえ忘れて、使われずに消えてしまうのかもしれない。


それを防いでくれるのがアウトプットなのでは、と思う。遅い。

しかしまあ、致命的なのが私はアウトプットが壊滅的にドへたくそということ。自覚ある。

noteはまあなんとなくそれなりにふわふわ続いているんだけども。
それはただ「続いている」というだけであって、文章がうまいとかアウトプットできているとか、そういうことではない。
noteを書くことはアウトプットのようでアウトプットじゃない、というか。
やっぱり書いてても「こうじゃないんだよなあぁぁぁ」って、自分で書いている文章に納得できないことが多い。


それの原因ってたぶん「ふわっと」しているからだろうな。

自分が理解していない/できていないことは、表現できないし、ひとに伝えられない。

理解するためには、アウトプットして整理する。


アウトプットがドへたくそなもげらは一体どうしたらいいんでしょうねえ。
一生理解できないことばかりだし、一生伝えられる文章は書けないんだろうか。絶望しかないやん。そんなことはないか。


今日はそんなことをだらだら書いていたら900文字超えた。この900文字にはなんの意味があるんだろう。これをアウトプットと呼んでいいのかな。どうかな。


読んでいただき、ありがとうございます。

2023.05.21 もげら

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