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アウトプットに憧れて

こんばんは、もげらです。

noteを読んだり、調べ物をしたり。
そうして気になったことを書き留めて。
ぐるぐる考えたことを書き出して。
それはどこかに公開するでもない、手書きのノートに。

インプットして、アウトプットして——、と思ったけれど、気付いた。

これはアウトプットのようでアウトプットじゃないのでは??

公開するしない、ではなくて。
書き留めた、書き出した、で終わっている。
それはアウトプットなんだろうか?

もちろん書き出すことだけでも大事ではあると思うけれど。



本やnoteを読んで「なんかいいな」とかピピッときた分を書き留める、
考えていることを書き出して、また考えて書き出して、
そのあと、『どうしてそう思った?』『で、どうする?』が私には足りていない気がする。


たとえば映画を見て『さいこ〜〜!』と思ったとして。
それをそのまま『さいこ〜〜!』ってTwitterやnoteに投稿する。
それも立派なアウトプットだし、ただただそう思った、だけでも良いと思う。

Twitter的な表現をすると『頭悪い感想(褒め言葉)』というか。率直で良い。そのほうが伝わることもある。
『ああ……好き……』みたいな語彙力2のたったひとつのツイートのほうが思いが込められるような気だってする。なんで好きか、なんて書いてなかったとしても好きが伝わる。



私は福山雅治さんのライブに行ったときなんかは『さいこ〜〜!』で充分やろ、と思っている。どこがどう最高だと思ったか、とかごちゃごちゃと並べるよりも『最高なものは最高やろ』って。どこがどう、とかじゃなくて、全部ひっくるめて最高やん、って。
同じように『さいこ〜〜!』って言ってる人が居れば、うんうん、そうやんな、最高の一言でいいよね、と思う。

一方、あれがこうだったからとても良くて——、とか事細かに書いているレポートだって好きだ。ツイートひとつ満杯にギュッって詰め込んで書いているのも好き。
なんなら自分だってそんな素晴らしいレポート(ツイート)が書けるなら書きたい。

そう、『どうしてそう思ったのか?』や『だからどうする?』が書かれている文章には"憧れ"があるのだ。
そういう文には説得力も伴っているような気がする。

"憧れ"にあって自分にないものが『どうしてそう思ったのか?』『だからどうする?』だ。ちなみに『要約』もスーパー苦手。自分にないものだから憧れる。

そういう自分ができない『アウトプット』に憧れているから、自分のアウトプットはアウトプットじゃないのでは?  と思ったみたい。



ここまで書いてみたものの、終着点を見失ったので終わり。
やっぱりアウトプットへたくそだな〜って実感したnoteでした。
それでも今日も書きました、まる!


読んでいただきありがとうございます。

2022.12.04  もげら

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