おばあちゃんのナポリタン
お腹が空いて冷蔵庫を開けると、余った焼きそばと、ピーマンと玉ねぎとベーコン。
焼きそばに付いているソースの味付けは、大抵どんな具材でもおいしくしてくれると信じているので、「ナポリタンみたいだな」と思いながらも、パスタではなく焼きそばを作ることにした。
中途半端に野菜を残したくなくて、残っていた玉ねぎ半分と、ピーマン2つを全部切った。けれども、その量がひとり分でないことは明白だった。
ひとり暮らしの時はよくこうやって大量の具を入れて、失敗していたっけなぁ。
料理は引き算が大切なのだ。
そんなこんなで出来上がった焼きそばは、極太麺だったこともあり、やっぱりナポリタンみたいだった。
そしてふと、小学生の頃におばあちゃんが作ってくれたナポリタンの味を思い出した。
豪快で男前で、プライドが高くてハイカラで、それなのに内弁慶な所が可愛らしいおばあちゃん。
おばあちゃんの性格をそのまま再現したようなナポリタンだった。
具材はたっぷり。ケチャップもたっぷり。甘みが強くて、玉ねぎはシャキシャキしていて、あつあつのナポリタンをハフハフしながら食べたのを今でも覚えている。
おばあちゃんの作るご飯はとにかく量が多かった。どんぶりに山盛りに盛られたポテトサラダを、「遠慮せず食べなね」と言われて、子供ながらに無理してばくばく食べたのは、少し苦い記憶。
けれども、おばあちゃんが作ったナポリタンは本当においしかった。
そんなおばあちゃんも、年々足腰が弱くなり、いろんなことを忘れてしまうようになった。台所にも、もうしばらく立っていないそうだ。
あの日食べたあのナポリタンをもう食べることができないのだと思うと、胸の奥がきゅーっと締め付けられる。
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今月号の「暮しの手帖」で、料理家の高山なおみさんが書いたエッセイ「母を送る」を読んでいたら、目頭が熱くなって、ポロポロと流れる涙を抑えられなかった。
「母を送る」には、高山さんがお母さんを看取るまでの出来事が綴られている。
高山さんのお母さんが入院してからの毎日の中で、昨日まで出来ていたことが突然できなくなったり、どんどん出来ないことが増えていったり、食事も流動食しか受け付けなくなってしまったりといった日々の出来事がありありと記されている。
お母さんが具合が悪くなってから、高山さんはキッパリと仕事をしないと決め、神戸から頻繁に静岡の病院に通い、兄弟と協力してお母さんを見守る。
覚悟を持って命の終わりを見届ける姿はとてもリアルで美しかった。
他人事ではなくいつか自分にも訪れる出来事。
年々できないことが増えていくおばあちゃんの姿を、そのエッセイに重ねてしまった。
遠くに住んでいるからすぐに会うことはできないし、帰ってもおばあちゃんに会いに行かないことも増えてきた。
高山さんのエッセイを読んでいたら急におばあちゃんに会いたくなって、母にLINEした。
母からは「おばあちゃん、とても元気だよ」と返信がきて、気持ちが少し和らいだ。
むかしのおばあちゃんも大好きだったけど、少しボケて角がとれ、シワが増えた今のおばあちゃんはより一層かわいらしい。
今週末、地元に帰る予定があったので、おばあちゃんとお茶する約束を取り付けた。
おばあちゃんは食べることが大好きで、家にはいつもお菓子やパンやいろんなものが大量に常備されている。
あのナポリタンはもう食べられなかったとしても、おいしいものを、おいしいねと言いながら一緒に食べようと思う。
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