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幼なじみが結婚する(1)

26歳の冬。幼なじみに会った。彼女の名前は椿。よく晴れた日曜日の午後、駅前の待ち合わせ場所に、彼女は浮かない表情でやってきた。いつもなら「よっ!」とか「お待たせ!」などといった軽快な挨拶をしてくるはずなのに。一体何かあったのだろうか。

疑問に思いながらもなんとなく聞けない空気のまま、目的の店に辿り着く。上着を脱ぎ、店員に注文を終えたところで、椿は少し俯きながら、遠慮がちに口を開いた。

「実はさ、報告しなきゃいけないことがあるんだよね。私ーー」


彼女との出会い

ーー椿とは17年前、小学3年生の冬に出会った。初めて住む街。転入したばかりの小学校。緊張しながら足を踏み入れた教室。担任が指差す空っぽの机。その斜め後ろの席に、彼女は座っていた。細身で少し色黒の女の子。姿勢が良くて、真面目そう。それが彼女の第一印象だった。


当時、親の転勤で全国を転々としていたわたしは、少し尖っていた。ひねくれていた、という表現が正しいかもしれない。行く先々で異なる環境に慣れるのに必死だったし、新しい交友関係を築き直すのも面倒だった。どうして親の都合で子どもが振り回されなければならないのかと、何度不満を抱いたことか。


とはいえ、わたし自身、友達を蔑ろにしていたわけではない。転校してからも、旧友に手紙を書いて送った。大人になっても会いたかったし、遠くに行ったからといって忘れられたくなかった。最初は返事が来るたびに、嬉しくて舞い上がっていた。でも、学校の話を聞けば聞くほど、文通を続ければ続けるほど、わたしは”そこ”にいないことを強く感じて、辛くなった。自分だけが過去に縋り付いているように思えて、虚しくなった。次第に、郵便受けを見る回数が減っていき、いつしか手紙は来なくなったーー。


ーー仲良くなっても、時が経てば疎遠になる。それなのに、人と上手く付き合い続ける意味はあるのか。それならば、最初から誰とも深い関係を作らなければ良いのだと、思い込むようになった。

しかし、椿との出会いから、その考えは少しずつ変わっていった。なぜなら、彼女はどんなときもわたしの隣にいてくれたからだ。きっかけは転校初日、彼女が学校案内をしてくれたことだったような気がする。それからずっと、思い出の中で、わたしと椿はいつも一緒だった。


学校では、授業で同じグループになり、休み時間は同じ遊びをして過ごした。体育の時間に、プールから教室まで移動しながら、バスタオルの中の水着をどこまで脱げるか競ったり、新聞係になってネタ集めのために校内を走り回ったり、向かい側の教室で戯れる上級生の会話にアテレコしたりして面白がった。


放課後は、駄菓子屋でお菓子を買い、近所の公園に自転車で出かけた。文房具屋で見つけたのを機に始まった交換日記には、2人で考えたお笑いのネタや、ちょっとした妄想話、4コママンガを綴った。時には好きな人の名前をわざわざ塗りつぶして、クイズにしながら遊んだこともあった。交換日記は数年間途切れることなく送り合った。小学校を卒業するまでに、7冊を超えていたのではないだろうか。


今思い返せば、本当に、本当におかしなことをたくさんしていた。毎日何かが起きて、一緒に笑っていた。椿は笑いのツボに入ると、大きな目が細くなるほどの笑顔を作り、両手を叩きながら仰反る癖がある。その姿を見るたびに、わたしは《やった!ここまで笑わせられた!》と嬉しくなったものである。


精一杯の提案

椿は、本当に優しかった。いつもわたしの思い付きに付き合ってくれた。何をやっても許してくるだろう。そんな甘えから、わたしは何度も彼女を傷付けることをしてしまった。


家に遊びに行って、引き出しにあった秘密の手紙を勝手に読もうとしたとき、一緒にやろうと誘って買いに行った彼女のたまごっちを奪って、初期設定をしてしまったとき、好きな人にバレンタインのチョコを渡す勇気がなくて、代わりに家まで持っていってもらったときーー。椿は何も言わなかった。ただ、少し俯いて、困った表情をしていた。わたしはその様子に気付いていた。気付いていたのに何も言わないからと、最後まで見て見ぬ振りをし続けた。


こんなに長い時間、傍にいた友達に対して、わたしはどこまでも自分勝手だった。年齢の割に様々な土地に住んで、たくさんの人と触れ合って、誰よりも色々なことを知っていると達観していた。相手の気持ちを想像することはできても、自分の感情を堪えてまで人を思いやる、優しさが足りなかったのだ。


中学3年生の冬、進路選択が迫っていたある日、椿は突然、こう呟いた。

「ねえ、喧嘩しない?」

一瞬、頭の中が真っ白になった。意味がわからなかった。真正面から喧嘩しようと言われたことは、今も昔もこの1回だけである。ただ、椿が何をしたいのかは、なんとなく理解できた気がした。わたしが数年間、彼女にしてきた数々の行動に対して、積もる思いがあったのだろう。喧嘩を売ることが、椿なりの精一杯の提案であるに違いなかった。


それぞれの道へ

結局、椿とは喧嘩をしなかった。別の些細な出来事により、本当に揉めてしまったのである。きっとこんなことになるとは互いに思っていなかったし、望んでもいなかった。距離を置いて一週間。元の関係に戻りたいと心の中では思いながらも、不器用で頑固なわたしから謝ることはできなかった。最終的に仲直りをしたのだが、そのきっかけをくれたのもまた、彼女だった。

それから、わたしたちは別々の高校へ進学した。たまに近況をメールで伝え合ったり、年に一度友達を交えて遊びに行くくらいの付き合いはあったものの、二人きりで顔を合わせることはなかったと思う。正直この頃のことは記憶が曖昧で、はっきりとは覚えていない。学年が上がるにつれ、椿との連絡頻度は減り、疎遠になっていった。

「喧嘩しない?」と言った椿の本当の気持ちを知ることがないまま、わたしは地方の大学に進学を決めた。18歳。大人への一歩。やっと自分の選択で人生を切り開いていける。これまで色々な環境で生きてこれたのだから、どこに行ってもきっと頑張れる。そして、この土地に戻る日はきっと来ない。彼女にも今後会うことはないだろう。そう思っていたーー。

ーー(2)に続く。


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