出戻り恐怖症の黒い感情
ロサンゼルスで理想に近い職種に就いてはいるが、満足はしていない。ときおり日本企業からオファーのようなものをもらうこともあるが、小原には日本へ「出戻る」ことに対する抵抗があり...。
*192号(2018/01/29配信)のメールマガジンに掲載したコラムを、最新229号(2018/11/28投稿予定)の関連コラムのトピックに合わせ、noteに初掲載しました。
就職や転職は、誰でも、どんな状況でも難しい判断を要するものだ。
私はいま、ハリウッドで固定給を頂戴しながら希望職種に近い仕事に打ち込むことができているので、日本企業からの転職者としては運がいい方だと思う。でも、いつまでも安穏としていられないし、次のステップのことを常に案じている。もっともっと、持っている力を活かせるような仕事をしたい。
時折、オファーのようなものをいただくことがあって、そんなときは心が躍る。検討していただけるだけでも、ありがたい。まだ、いまのポジションから転職するに至るまでの交渉にたどり着いたことはないのだけれど。
アメリカにとどまる理由
私がアメリカにとどまっている理由は、ひとつではない。
もともと帰国子女だったから環境が合うのだとか、妻とアメリカで会ったからだとか、生まれた娘を自分よりもネイティブなバイリンガルにしてあげたいからだとか、アメリカで作られる映画に心惹かれているからだとか。
ほかにも、大小いくつもの要素が積もり積もって、いままでロサンゼルスで暮らす選択肢を選び続けてきた。まだ追い出されていないだけ、と言えるくらい、とどまるのが難しい国でもある。住んでいたいからと言って住み続けていられるわけでもないので、運が後押ししてくれていることが大前提だ。
もちろん、日本に一生帰りたくないわけではない。アメリカの市民権を取りたいと思ったことも、まだない。でも「日本へ出戻りたい」という思いに心が転じるには、まだまだ根拠が足りない。
私をよく知る方なら、ここまで読んで「ああ、また小原のアノ話か」とお思いになるだろう。お酒が入るとめんどくさくなる、あれだ。
日本企業への黒い感情
私には黒い感情が少なからずあって、それが場合によっては行動規範の大半を占有してしまう。それは、私が日本での社会人経験を通して感じてきたことを土台にしていて、私の「日本で働くこと」に対する印象を決定づけている。
不思議なことに、それらは「就職」や「退職」や「転職」にまつわる経験に集約される。要は、就職活動をしたり転職話があるたびに、「出戻り候補の日本人」としての苦い思いを経験していることが影響している。
もう時効だと思うので、今回、それらのうちいくつかを拾い上げて分解してみることにした。
退職時の思い出
自分を育ててくれた企業を辞めるときから、それははじまっていた。
願書を出していたアメリカの映画大学院の入試に合格したため、ロサンゼルスへ移住することにしたときのことだ。
私の上司をはじめとした諸先輩方はとにかく部下思いな方々ばかりだったが、中には私の決断を理解してもらうのに随分、紆余曲折を経なければならなかった方もいた。直属の上司は、その1人だった。
当時、提出した退職願は「役員が忙しいので上に告げるタイミングを見計らって処理する」とされ、受理そのものが数週間保留扱いになった。その間、退職願は上司の引き出しにしまわれていたそうで、私は私自身の進退について口外を控えるよう告げられた。
新番組の担当プロデューサーの割り振りが決まったとき、私の退職の意向は上層部に伝わっていなかった。結局、あとになって退職が公になったため、先輩プロデューサーが着任早々、部下を失う形になった。「早く言ってくれればよかったのに」と言われ、奥歯に何か詰まったような思いをした。
「甘えた考え」
同業の知人・友人・先輩たちは、私の大学院卒業後の進路を気にかけてくださっていた。「退職ではなく休職扱いを検討してはどうか」と勧められたことは、とてもありがたいことだった。
「AFIなんて学校、聞いたことがない」とは社内外でかけられていた言葉で、お約束だった。何を隠そう、私も留学先の候補を調べはじめてから知った学校なのだから、日本での知名度の低さは、もはやご愛嬌。
ただ「聞いたことがない学校だし、卒業後の就職率など知れたものではない。だから君のために言っておく。保険をかけておくためにも、社に休職扱いを上申しなさい」と続くと、返答しにくかった。
忠言はありがたく頂戴しつつ、丁重にお断りさせていただいた。
ところがある日、ある役員の呼び出しを受けたとき「君は休職扱いなどという甘えた考えを持っているそうだが、潔く辞めたらどうかね。新しいスタートを切るなら退路を絶って出て行くのがケジメというものだ」と、なぜかとうとうと説教を受けることになった。自分が休職待遇を希望したことになっていたので、驚いた。
「あの、はじめから退職願を出したのですが」と申し上げたときの、双方に漂った「この打ち合わせはなんのためにあるんだ」感は、いまも忘れられない。
当分はアメリカで
数年後、その退職元への挨拶に伺った折、別の役員に「君が戻ってきたいと言うのなら、席は見つけてあげられるよ」と仰っていただいたことがあった。
寛大なお言葉に感動する一方、「もともと辞めるつもりだった人に、不正確で不透明な情報伝達で不要な追い討ちをかけておいて...」と思ったのは無理もないことだ、と言わせて欲しい。
同社とお付き合いのある方のご紹介で、フリーランス扱いの通訳業を任せて下さった折、あのとき私を追い出した方が同席したこともあった。そのとき、交渉相手に「彼はウチで看板番組を持たせてあげたから、アメリカでもタイトルの力で食い扶持があるんですよ」と言って私を紹介することが何度もあった。
否定する気はない。こんな小者の自分にお仕事を振っていただけるだけで、御の字だ。その一方で、「戻らせていただく」可能性を考えるだけで過呼吸になりかける自分がいる。
お声がけくださった役員の方には深く感謝しつつも、「当分はアメリカで働いてみたいのです」とお伝えして固辞した。それから、仕事もなく貯金を食いつぶす日々が1年以上も続いた。
志望動機
足掛け数年、早送りする。
大手映像企画会社への採用を、というオファーを持ちかけていただいたことがあった。そのときは、実際にお話を振ってくださった方と、採用の人事担当者と、そして同社重役の方との間の認識の違いに驚かされた。
一時帰国の際、いただいた件について詳しくお話を伺うことになって同社のオフィスを訪ねたら、その場で初めてお会いした担当役員の方には開口一番「で、君はなぜウチに入りたいのかね」と尋ねられた。
需要と供給のすり合わせをするつもりだった私は、いつのまにか私が無条件に採用を希望している立場に置かれていた。もちろん、下調べした上での自身の活かし方は、可能な限りアピールさせていただいた。検討していただけるだけでありがたいことに変わりはない。けれど内心、戸惑った。
ところで、この面会の前、人事担当者は私が持参した自前の履歴書を受け取りつつも「こちら弊社規定のエントリーシートですので」と、私に専用フォームの提出を課した。フォームには、大きなスペースに「志望動機」を書き込むことになっていた。何を要求されているかを知る前だったので、志望理由を要求されても…と不思議に思った。
この当時も無職で収入のあてはなかったけれど、諸処の個人的な事情も鑑みて、お誘いは辞退させていただくことになった。
このときの経験だけが辞退の理由では決してないのだけれど、多少の影響を受けていないと言うと、嘘とは言えない自分がいる。
2つの共通項
この辺りで締めくくる。
ここ数年の間、一般論として「オファー」のようなものを受けるにあたって経験したことも多々あるし、話題には事欠かないのが正直なところではある。ウンザリしているに違いないが、続きは別の機会に、またお付き合い願いたい。
「こんな細かいことをグチってなんになるのか」とお思いになる方は、きっと多いと思う。
確かに、記憶を辿りはじめると、些末な事件ばかりだ。
でも、これらは、私個人の心に刻まれてしまっている。いずれも、自身を律するほどのキャリアもトラックレコードもない時期の話だということにも留意されたい。立場が弱いときにこそ、受けた親切にも、仕打ちにも、強い影響を受けるものだ。いまも決して大成しているわけではないので、このようなことはこれからも続くだろうと想像する。それだけに、私の警戒心は強い。
はっきりさせておこう。共通項は、常に2点ある。
すなわち「自尊心の矮小化」と「発信元のすり替え」だ。これは個人か、あるいは組織によるものかを問わない。
前者は大抵、「あなたのためを思って」を建て前にして、個人の意志と行動力への自尊心を削ぎ落とす効果を持つ。後者は当事者の意志を尊重しているようでいて、その実は進言者のそれへと自発的にすり替えさせようと画策する行為だ。
いずれも、「やりがい搾取」の出発点とも言える心理操作だ。
この類いの言動に敏感な私は、そんな自分自身の黒い感情から逃れるために、日本に「出戻る」ことから距離を置くことばかり考えているのだと思う。
(文責:小原 康平)
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初出
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Ministry of Film - ゼロからのスタジオシステム
第192号 2018/01/29(毎週月曜日配信。祝日を除く)
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