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【#15】アラサー独身女子・血の池地獄からの浮上。からの、夜の社会勉強。


 本名・榊萌花(さかき もえか)31歳。スナックでアルバイトをすることを思いついた。そう思い立つまでの経緯は、これまで話してきた通りだ。人生の曲がり角なんていうものではない。崖からの転落といっていいかもしれない。どん底に落ち込んだ「失恋」がきっかけだ。失恋を経験した時、一瞬捻くれたのではないかと思った。「恋は盲目」なんて、なんだか浮ついた言葉に腹が立つ。自分を取り戻した時には、イラついた自分にちょっぴり呆れた萌花だったが。「失恋は」と言えば、「血の池地獄」だ。萌花は、できればもうこの池には落ちたくはないと願った。だが、夜の世界に片足を踏み入れたことがきっかけで、無事、「血の池地獄」から浮上した。呼吸は重い上、心の傷がとめどなく血を流し浸すこの世界は、真っ暗闇にどんどんと広がっていくように思えたが、きっかけさえあれば、驚くほど簡単に視線をずらすことができるのだ。血の池地獄の世界の隣には、必ず違う世界が広がっている。視線をずらすことができない呪いのようなものなのだが、その呪いが解けたなら、意外なほどに、心の痛みは消え去るのだ。萌花もその呪いが解け、血の池地獄から浮上し、心が落ち着いた感じ?ふと、落ち着いた。そう、それは心の傷がかさぶたになろうとしている最中。久しぶりの平穏とも言えた。

UnsplashのDevin Hが撮影した写真

 視線をずらすと、また別の世界が広がっていた。わかった気になったわけではない。でも、ほんのちょっぴり見ただけかもしれないが、夜の世界は、金と欲にまみれた危険な世界だと感じていた。
「血の池地獄で泣き続けているなんてダメ、この傷を癒すには・・・」と、萌花は、傷の痛みをお金に換えることにしたのだ。OLアラサー女子のスナックアルバイトがスタートした。そして、この危険な世界は、萌花の人生経験を豊かにした。萌花自身、スナックでのアルバイトをポジティブに捉え、社会勉強になっていると、そんな風に心のどこかで感じていた。
 とてもリアルな現実だ。学校では教えてくれない、男女のリアル。ドラマや映画で見るのとは違い、経験は、この先、人生を生きる上で、きっと何かの役にたつだろう、そう自然と思えた。女として生きていく上で。
 世の中には、恋や結婚への理想や願望を抱く男女(萌花もその一人だったが)の他、夜の世界に生きる女性たちとの不倫や、ワンナイトラブのチャンスを企む男たち、恋愛や結婚を諦めて、ただ欲求だけを満たそうとする男たち、ギャンブルが大好きな男女、ついつい無理してお金を出してしまう無駄遣いな男たち。そんな姿を見て、男性に辟易する女性たち。映画や小説の中の登場人物は、脚色され美しく汚いが、リアルは、金と欲に癖のある生き方をしている、中には見れたもんじゃない男女の関係もあった。
 ”愛”といえば、純粋で、美しく、疑う余地のないゆるがないものだと信じている側面がある。そう捉えれば聞こえはいいが、深く掘り続けると、全く違う一面が現れる。”愛”を求める気持ちそのものが、”欲”なのだ。金がないから満たされない、それはそうだろう。ただ、借金をしてでも欲を満たす者もいるのだ。金が満たされれば、幸せなのか。社会的地位が高いことや、成功を収めているからこそお金持ちであることで、全ての欲は満たされると思いがちになる。だが思ったより、そうではないのだ。人である以上、何かしらの欲があり、満たされないことを憂いている。欲は、満たせば、また、次の欲が生まれ、そのレベルが上がってゆく。そして、金への執着に偏ることで、大切な何かが欠損することもある。

Unsplashのfikry anshorが撮影した写真

 満たせない欲へのもどかしさのうっ憤を晴らす一つの方法として、手っ取り早いのが酒だ。酒は、一時的に脳内をハッピーに麻痺させる薬だ。だがこの薬には副作用がある。感情が、大きく左右されることだ。ハッピーに振り子が振れるならば、素面の時に比べると、素晴らしい高揚感を味わうことができるだろう。問題なのは、逆に振り子が振れる時だ。物悲しさや、孤独を大きく味わうことになる。心が冷えて耐えられないとき、人のぬくもりが恋しくなる。


 女性がほしい。そう思っている男性が、酒を飲む。そこに着飾って、艶やかで、美しい女性がいることは、振り子が大きく振れハッピーを感じる。孤独を埋める上で必要なのかもしれない。聖子ママのスナックは正に、そういう場所なのだ。
 萌花が源氏名:凛華として、聖子ママの店で働き始め、しばらくしてのことだ。黒縁の眼鏡をかけ、茶色い革靴が上質感を漂わせるように光った、スーツの似合うお客様がいらっしゃった。呼び名は、横ちゃん。ラフなスタイルでいらっしゃるお客様が多い中、ネイビーに、細い白いストライプが入ったスーツをビシッと決めて、来店されると、スナックで働く女性たちの目が輝くだけでなく、男性のお客様もちらり、注目する。その瞳には、嫉妬が宿っている。横ちゃんの登場は、空気が一瞬キレイになるようにも感じられた。
 聖子ママは横ちゃんの隣に座り、凛華を自分の隣の席につかせた。凛華、ママ、横ちゃん、そして、隣には、ミズキに座らせた。
ミズキは、一児のシングルマザーだった。
「横ちゃ~ん、いらっしゃいました~!」
「ママ、少しご無沙汰したね~。まぁた、キレイになっちゃって~。」
「あら、嬉しい。そうでしょ。毎日磨いてるもん」
キャピキャピした雰囲気で話が弾む。
「横ちゃん、いらっしゃいませ。ほんと、ご無沙汰でしたねー。ミズキ、待ってたんですよーーー!!」
「ミズキちゃん、ありがとう!ちょっと仕事が忙しくて、僕も遊ぶの久しぶりなんだよ」
「横ちゃん、今日は貴重な時間ねー!楽しもうっねー!そう!紹介するわね!最近アルバイトで入ってくれてる凛華ちゃん、かわいいでしょ~。よろしくお願いね!」
「凛華ちゃんか、はじめまして。僕、横ちゃんって呼ばれてます」
「ふふ!はい、凛華です、初めまして。横ちゃん、よろしくおねがいします!ほんっとに、こんなにスーツがお似合いになる方、久しぶりにお会いしました。とっても素敵ですね。」と落ち着いて話してみた。
 横ちゃんは、不動産関係のお仕事をしている。不動産や、金融関係の方は、スーツがオシャレで派手な印象を受ける方が多い。”大きな金が動く”、”成功している”という証を纏っているようだった。財布に余裕があるのだろう、横ちゃんは、ボトルを入れようと言い出した。
「凛華ちゃんにアルバイト入社祝いと、素敵なママへボトルを入れるよ。ママ、いい?」
「もちろん!凛華ちゃん、よかったわね!」
「ありがとうございます。」
「凛華ちゃんは何が好きなの?」
凛華はにっこりと笑った。ママもそんな凛華をみて、同じように微笑んだ。
「はい、私は・・・」
「凛華ちゃん、遠慮しなくていいのよ、ね、横ちゃん」
「うん、何?シャンパンでも入れる?」
「はい、大好きなんです。」
「いいね!ママ、頼むよ」
「ありがとうございます。じゃ、準備するわね!」
凛華は、少し戸惑いながら、はにかみながら言った。
「横ちゃんと、ママのスムーズな会話に、お呼ばれしてしまいました。お誕生日とか、クリスマスでもないのに、初対面で、、、なんだか、すみません」
「何言ってるの!凛華ちゃん、珍しいね!いいんだよ。美味しく飲もう!」
「いいなー凛華ちゃん。なんだかお得ね!」
ミズキがヤキモチ気味に言った。横ちゃんが、ミズキの頭をなでながら、「さ、ミズキも一緒に飲もうよ、またミズキにもご馳走するから!」
横ちゃんモテモテである。
 仕事に息抜きではあるのだが、話を聞いていると、横ちゃんはとんでもないギャンブル依存症である。

UnsplashのKayshaが撮影した写真

海外まで飛行機で一っ飛び、賭博をしに週末に出かける。コレがなんとも快感でたまらないというではないか。凛華の中で、またもや社会勉強だ。横ちゃんの羽振りの良さに、疑心暗鬼だったが、期待外れか、期待通りか、結論ただの”ギャンブラー”であった。
 見た目ではわからない。血の池地獄にはまらないように、自分を大切に守らなくっちゃと、凛華は、柔らかな笑顔で、美味しくシャンパンを飲みほした。

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