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仲間

こんばんは。
今日はバレンタインデーでしたね。

夫とはもう12年の付き合いになりますが、
今年初めてチョコを作りませんでした。笑

いえ、厳密に言うと、先日子どもと一緒にパパのために作ろうと無印で可愛らしいキットを買ったのですが、

出来上がった瞬間子どもたちがほぼ全部食べてしまい
一瞬でなくなってしまったのです。

夫はその姿を見て満足していましたが、それで終わらせるわけにもいかず
夫の大好きなクラフトビールを大量にプレゼント。

そうしたらむしろ例年より喜ばれました!
めでたしめでたし。

さて、今日は気持ちを少し若返らせて
私の全青春を捧げた吹奏楽について書こうと思います。


トランペット

私は小学校4年生の時にブラスバンドに入部しトランペットを始めました。

数ある楽器の中からトランペットを選んだのは
3歳上の兄も入れ違いでしたがブラスバンド部でトランペットだったからというとても単純な理由です。

当時の私はいつも兄にくっついて兄の真似をしていました。
ただし、怒られるようなことは子どもなりにちゃんと学んで
私は親を怒らせまいと気をつけていました。笑

話がそれましたが、これが私とトランペットの出会いです。
やりたくてやっていると言うよりかは兄の真似をすることが当たり前だったので
私は4年生になったらトランペットをやるもんだとずっと思っていました。

小学校

私の住む地域はなぜか吹奏楽がとても盛んです。
近隣の中学校や高校では全国大会出場常連校がたくさんあります。

小学校もその影響でか、お遊びのような部ではなく講師の先生も毎月来ていてしっかりと基礎から練習した覚えがあります。

それでもその頃は強豪校が多い地域に住んでいるという意識や認識はなく、
部活だからサボらず行くし、行けば練習をする、と言う感じで
特別な思いなどなく「やるべきことをやる」で毎日を過ごしていました。

自覚したのはまだまだ先ですが
私は絶対音感まではいきませんが耳はかなりいい方で、
楽譜を見ながら一度音源を聞けばそのあとは楽譜を見ずに大体吹ける、というのがありました。
3歳からピアノも習っていたので楽譜に対する抵抗はありませんでした。

小学生の頃でも、誰か違うパートの子が間違えていたらすぐに気づいていましたが特に間違いを指摘するなどはせず。
今思うと他人事のように思っていたかもしれません。笑

6年生ではなぜか部長に選ばれました。
部長になったからと言って部活の始まりと終わりの挨拶をするようになったくらいで特に心境の変化などはありませんでした。

…こうして書いてみると、幼い頃の私は自分の意志がないように感じますね。笑

引退するお別れコンサートでは当時仲の良かったホルンパートのお友達と二人で演奏しましたが、トランペットとホルンの二重奏の楽譜が部室になかったのでブラスバンド用のスコアを見ながら私が編曲をしました。
顧問の先生にすごく驚かれたのを覚えています。

中学生

ここで意志のないトランペッター生活が一変します。

部活説明会の時の吹奏楽部に圧倒されました。

まず人数が異常に多い。2.3年生だけで80人弱いたと思います。
そして演奏のクオリティに鳥肌が立ってドキドキしたのを覚えています。

また入れ違いの兄が、中学ではバスケ部だったので私もバスケ部に入るつもりでいましたが、部活説明会の演奏で吹奏楽一択になりました。

もしかしたら、これが私の初めての意志かもしれません…笑

私の通っていた中学校もいわゆる吹奏楽強豪校でした。

部活はめちゃくちゃ厳しかったです。兵隊のようでした。

小学生の頃のように流れに乗ってなんとなくやっているという中途半端な気持ちではついて行けません。

返事ひとつでも怒られることはザラにありました。

どのイベントの選曲は全て顧問と講師。
しっかり確立された上下関係。
頻繁にくる講師の方々。
顧問に渡された曲をひたすら練習。
今だから笑えるけど、わんさかいるヒステリックな先輩たち。笑

朝渡された楽譜たちに小節番号を書き込んだり、
他のパートの楽譜を見せてもらって和音を把握したり、
普段の学校生活の休み時間は譜読みに追われていました。

だけど生活態度などもヒステリックパイセンに報告しなければならないので授業中に私語や寝るなどは前代未聞。気を抜けません。

学校には部活のために行っているようなものでした。

そんなこんなで中学校ではトランペットに青春を捧げていたらあっという間に3年生。

私は部長候補に選ばれました。

が、

当時同じクラスだったクラリネットパートの子が
「○○さん(私の旧姓)は普段の生活態度が良くないので部長に相応しくありません」
と部員全員の前で暴露して、顧問に怒られ、当時の引退寸前の部長に怒られ、パートリーダーに怒られ、部長の座は一瞬で消え、副部長となりました。笑

お主のことは忘れないぞ、黒谷。(あ、名前言っちゃった。)

副部長として自覚して、普段の後輩の学校生活の報告をされる立場になり、もちろん学校に携帯なんて持っていかず(持って行ってた)、制服をしっかり着こなし(スカート短くしてた)、授業はちゃんと聞いていま(せんで)した。

…黒谷の言う通り、学校生活は立派なものではありませんでしたが、部活にはものすごく一生懸命打ち込んでいました。

上手くなりたい一心で、伝統の全国大会出場を受け継ぎたく毎日トランペットのことばかり考えていました。

だけど実は副部長になってすぐ、3年生になる直前、同期で同じ部の仲間が亡くなるということがあり、精神的ショックとストレスで突発性難聴になってしまいました。

友達の急死と耳が聞こえない恐怖。

吹奏楽部はしばらく活動休止となり、私も難聴により学校に行ける状態ではなかったので自宅で休養していました。

私の難聴は2週間くらいで良くなってきて部活が活動再開する1ヶ月後には完治していました。

活動再開する頃はもう3月中旬。
新入生を迎い入れる準備なんて全くできていません。

だけどここは踏ん張りどきでした。

前に立つものがシャキッとしなきゃダメだと部長と一緒に部の立て直しに全力で取り組みました。

部員の中には彼と幼馴染の子もいたり、元カノがいたり、家が隣という子もいたり…数少ない男子部員だったので男子はまだ活気が戻らず。

だけど、徐々に
「空にいるあいつに音を届けよう」と部員全員一致団結し
なんとか無事に新入生30名以上迎え入れ、コンクールも結果を残しました。


高校

めちゃくちゃ練習に取り組んだ中学生。
兵隊のように先輩と顧問の指示に従い、
先輩になったら後輩を兵隊のように扱いましたが

高校は真逆でした。

朝練なし。
選曲は全部自分たち。
上下関係皆無。
パート練はおしゃべりタイム。
週1完全休み。

だけど中学よりも何倍も楽しかったのです。

何が楽しかったか、終盤にきて本日の主題なのですが、
高校の部活では全部生徒が創り上げていたのです。

むしろ顧問は生徒の意見を聞いてそれをやらせてくれるスタイル。

生徒がやりたいと言ったイベントを開催し、
生徒が訪問演奏先を決めて顧問に依頼をしてもらい、
生徒が全ての選曲と演出を決めて、
練習メニューも生徒が決めていました。

顧問と先輩のいうことを聞いていた中学後輩時代。
後輩に指示をしてその通りにさせていた中学先輩時代。

なのに高校では先輩後輩関係なく、みんなで円になって意見を言い合っていました。

人数が中学の頃の4分の1くらいしかいなかったのもあり、
部活に行けば全員と挨拶をして全員と会話ができるくらいでした。

中学校では夏のコンクールが一番大切なイベントでしたが
高校では定期演奏会が一大イベントでした。

顧問や先輩方は「音楽で点数争いをするもんじゃない」と言っていました。

本当にその通りですね。

音楽は音を楽しむはずなのに、結果だけを求めていました。

中学生の頃はそれはそれで全力に打ち込んでいて、充実して楽しくて
今思うとキラキラしていた日々でしたが、
高校生の頃はまるで洗脳が解けたように、自分たちで創り上げる音楽が楽しくて仕方がありませんでした。

正直、レベルは低い方で、人数も少ないのでコンクールでも特にいい結果は残せていません。

だけど演奏会や訪問演奏の機会がとにかく多くて、
自分たちで決めた場所に赴き、自分たちで組んだプログラムで演奏をして拍手をもらう。

これはもう快感でしかなかったです。

中学のコンクールで「ゴールド金賞」と言われるよりも
訪問先の演奏の拍手の方が気持ちが良かったように感じます。

現在

中学と高校の部活の経験から、
中学では上下関係とひたすら努力をすることを身につけ、人前に立つことを経験させてもらい、命の大切さ、仲間と団結することの大切さを学びました。

高校ではまずは自分が楽しんで、人に楽しんでもらえることを考え、自分たちで創り上げる難しさや楽しさを知りつつも、ちゃんと形になるように考えてそれに向けて努力する、そんなことを学べたように感じます。

あんなに打ち込んだトランペット。
あの時の経験は果たして身になっているのでしょうか…。笑


一つだけ言えるのは、
辛い時も、悲しい時も、頑張れたのは仲間がいたから。
楽しい時も、笑ってる時も、常に誰かが近くにいたから。

今私はデザインやライティングの勉強をしていますが
一人でできるであろう勉強でさえも仲間に支えてもらいながら進めています。

私にとって仲間という存在はとても大きいようです。


最後に

最後まで読んでくださりありがとうございました。
今回は私の思い出話になってしまいました。


私は思っていたよりも意志のない小学生だったことに気がつきました。笑
当時は無自覚でしたが、中学生の私は兵隊のようでした。
後輩にも優しかったとは言えません。
高校では音楽を心から楽しんでいました。
創り出す楽しさを知りました。

仲間の存在は今も昔も大きく、私には必要です。

当時私を支えてくれた仲間も
今私を支えてくれている仲間も

みんな本当にありがとう。


※ただし、黒谷は除く。

Moena


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