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誰かの靴を履いてみること

やっと読めた。ブレイディみかこさん「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読了した。

と言うのも、高校生の頃、体育の授業でのこと。最初の5分、いつも先生の近況報告から始まった。その中で度々、この本を私達に薦めていた先生。

そしてその出来事を、数年経った今でもはっきりと覚えている私。

体育は苦手だったものの、その先生のことは苦手ではなかった。だからか、私は結構、その先生の話を聞くことが好きだった。

だから、先日図書館で、黄色い表紙のこの本を見つけた時、あの時の出来事を思い出しては、私は迷わず手に取った。

当時は、なぜこの本の話ばかり?と懐疑的でいた。でも今振り返れば、なんだか先生がこの本を薦めた理由が、少しだけ分かったような気がした。

読み終えた後で、そんなことを思った。

ここからは、読中「ぼく」と「母ちゃん」の会話の中で、印象に残った言葉達の紹介を幾つか。

「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃあない方が楽よ」

 ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」p.74

「楽ばっかりしてると、無知になるから」

 ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」p.75

「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

 ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」p.75

多様性と言う言葉は、耳にタコができるほど見聞きする。この言葉を使っておけばとりあえずいいか、みたいな現代の風潮、私はどうにも苦手に感じる。でもなんだか、母ちゃんの言葉に、改めてハッとさせられた。

多様性はないほうが楽で、あると喧嘩や衝突が絶えなくて、面倒くさい。でも自分が知らないことを、もしかしたら知ることで、減らせるかもしれない。

なんだかそう考えれば、多様性って案外、悪いものばかりではないのかも。私はそんな風に、この言葉を受け取った。

自分で誰かの靴を履いてみること、(中略)他人の立場に立ってみるという意味だ。

 ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」p.92

私は特に、誰かの靴を履いてみること、と言う表現が、なんだかとても気に入った。なぜだか、心にストンと、入ってきた。

この世の中は、理解し難い事物で溢れかえっている。ただ裏を返せば、それだけ、誰かの靴を履いてみる経験が自分にできる。そういうことでもあるのかなと思った。

この一週間は、本を読み耽っていた。なんと幸せな時間の使い方をしたんだろうと、改めて自分でも思う。

読んでくださってありがとうございます。

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