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無職になって3週間

最近の私について、少しだけ書こうかなと思う。

今日で、無職になって3週間が経つ。始めの1週間は、社会の波に乗り遅れたことへの焦りと不安で、気がどうにかなりそうだった。

でも、4月も下旬に差し掛かろうとしている今、こうなるって分かっててこうしているよね、今の私はって思うようになった。そしてどんな雇用形態であれ、社会人として勤労義務を果たしている周りを見ると、「新卒で働いていないのは普通じゃないんだ」と強く感じる。その是非は置いておいたとしても。

何なら、「そもそも私は今、どうして働いていないのか?」と言う、初歩の初歩に立ち返ることも、しばしば。

でもそれで焦るとか、その感覚も薄れてきた。

それはなんか、違うなって。だって、自分で決めたことじゃん?って思う。それに、今働かないでも、私が生活できているのは、親の収入に甘えているからって言う自覚は、ちゃんとある。ありまくり。すねかじりなんだよなあ。

自立したいとは、思っている。ただその思いに反して、行動が伴っていないことも認める。

別に私自身、働く形態に拘りはないし、かと言って、周りから拘ることを求められてもいないから、幾分かは気が楽なのかもしれない、と思う。

それにどんな形であれ、日本に国籍があるからには、勤労義務を果たさないといけないんだ。ただそれだけのこと。その割に、年金免除申請に先週、行ってきたけれど。言っていることとやっていることが矛盾している気がするんだけど、今は置いておくとする。

私が思う普通なんて、たかだかごくわずか、私が見えている視野だけの話なんだろうからさ。もっと視野を広く持つことが大切なんだよなって。

ああ、本当に笑える。無職の若造が、これは一体誰目線で、誰に何をほざいているんだろうかと。



先日もボランティア先で、初対面にもかかわらず、人生における先輩にあたる人から、「まず就職して生活基盤を立てないとなんじゃないの?」と言う、仰る通りのことを言われて。

私は言い返す言葉もなかった。最早、言い返せないことに対して、悔しさも感じなかった。何なら「そうですよね~」と受け流した。自分の人生なのに、軽く流した。

あの人の言葉は、正論だと思う。

でも今の私には、それを真に受けてどうこうしよう、とする精神力が無い。考えたくない訳ではない、考えることを放棄しているわけでもない。

私はただ、「主観で物事を見ようとしていない」んだと思う。その証拠に、とっても俯瞰の目で物事を見ていると思う。何を見ても、そこにいる人の数だけ、人生があるんだよなと思ってしまう。

時間だけはあって、他の人のnoteを見るんだけれども、その人の苦しさとか、しんどさが書き綴られたものを見ても、「そういうこともあるよなあ」とか、「そっかあ、この人にとっては、今はそういう時期なんだろうなあ」とか。

言ってしまえば、少し、他人に対してドライに捉えているように思う。よく言えば、人は人、私は私、なんだよなって。その人は苦しい、しんどいと感じているんだな。それはそうなんだなって思う。

ただそのしんどさを、私が必要以上に受け取る必要は無くて。

最近になって、やっと少しずつ、自分と相手の感情の線引きが、できるようになってきているような気がする。



なんだかまとまりのないnoteになってしまったけれども、このような散文にお付き合いくださり、ありがとうございます。

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