22歳 大卒無職、親の扶養に入れてくれることへの感謝と罪悪感

私まじで何をやっているんだろう。

ふと冷静になる。うつって不安障害ってなんだ。うつでも働いている人っているよな。じゃあ私はどうして無職してるんだ。そりゃ疲れやすい、感情の波とその振り幅が大きいのはある。でもじゃあそれがなんだって言うんだ。

生きるために休む。

それって怠けなのか。社会的に信用なくて、許されないことなのかな。そう思う人もいるのかもしれない。学生でもないのに親の扶養入って、実家暮らし、ご飯もお風呂も寝床もあって、自室あって冷房ついてて、家にWiFiあって、生きる上で経済的に困ったことはない。感謝はしてる。

そんな人間は社会を甘くみているのかもしれない。分からない。その部分は間違いなくあると思う。いやあるのかな、嫌だな。働いて、自分で自分のこと養えている人達すごいなって心底思ってるのは本当。



父親は言う。

家族がいるから働ける
家族のために働くのが親の役割だ

と。どうしてそこまでしてくれるんだろう。子どもとは言え他人の私に。親の扶養義務ってもう成人した私にないよな。捨てた方がいいんじゃないか、捨てられるべきなんじゃないかとすら思う最近。私は、死んだ方がいいんじゃないか。でも死んでも生きても金かかる。

もうそれ以上考えたくない。

だけど今はそんなこと言ってくれる父親も、十年ちょっと前までは、少なくとも私にはそんな言葉掛けてくれる人じゃなかった。幼少期の頃なんて遊んだ記憶が無いし、遊びの約束をすっぽかされて、家で寝てたこともあったし。一人寂しくおままごとしてた幼稚園児の私、笑。

母親に対して当たりが強くて、よく言論かましてた。酒が入ると人格が変わる人だった。何話しても全否定かましてくる人だった。

だから高校生の頃?くらいまでは、話すの怖かったし近付くのも怖かった。あとは思春期的なやつの嫌悪感が甚だしく激しかった。

だけど大学生の数年前、お互いいい意味で変わった。それまでに、十年来感じてきた葛藤を口に出しあって、二人での対話を何度も重ねた。私は父親の前で沢山泣いた。言葉が詰まったことも何度もあった。それでもやっとまともに口を聞けるようになって、お互い言いたいことが言い合えるようになった。

うん、これでよかったと思う。今は家族関係、概ね平穏だから。心は不穏かましてるけど。

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