◇誰かの正解は〝あなたの正解〟じゃない。#315
この世界には正解も不正解もない。
だから、どんな答えも正解で不正解になるし
その時々によって正解だったことが不正解になり
不正解だったことが正解になる。
昨日の正解が今日は不正解になっているかもしれないし
今日の不正解が明日の正解になっているかもしれない。
自分の状況や環境、立場
世の中の流れ、ルール、状態によっても変わってくる。
それに多数決で正解・不正解が
決まってしまうこともある。
だからこそ
この世界に正解も不正解もないのだ。
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正解も不正解もないといっても
必ずどちらかを選ばなくてはいけない時がある。
たとえば、
朝ごはんにパンを食べようかお米を食べようか
今日着る服はパンツにしようかスカートにしようか。
もしパンを食べて
「やっぱりお米にすればよかった…」となれば
その選択は不正解になるし
パンツを履いて
「今日はパンツでよかった!」となれば
その選択は正解。
どちらにせよ何かを選ばなくてはいけないのが人生である。
そこでパンにするかお米にするかを
永遠に悩んでいたら
いつまでたってもご飯を食べることが出来ないし
パンツにするかスカートにするかを
決めなきゃすっぽんぽんで過ごすことになってしまう。
何かを選ぶ行為からは決して逃げることは出来ないが
何が正解なのか?は自分自身で選ぶことが出来る。
そこに他者の「正解」と合わせることは
なんら必要ない。
よくインフルエンサーの人がこう言っているから正しい!とか
有名人が〇〇と言っていたから正しい!とか
他人の正解をあたかも自分の正解のように言っている人がいるが
果たしてそれは本当に正解なのだろうか?
たとえばこの世界には成功法則というのが必ずある。
法則はあったとしても成功の仕方は人それぞれ違う。
だから
AさんはAさんのやり方で成功した=Aさんの正解
BさんはAさんのやり方ではうまくいかなかったけど
Bさんのやり方でやったら成功した=Bさんの正解
というように
同じやり方をやってもうまくいかないこともあるし
その人の性格や素質に合ったやり方をやるから
うまくいくこともあるため
誰かの正解が必ずしも自分の正解になるわけではないのだ。
つまり、誰かの正解は自分の正解ではない。
自分の正解は自分で決めるものなのだ。
〇〇さんが言っていたから正解!ではなくて
〇〇さんが言っていた方法を
自分の目で見て、手と足と頭を使って確かめて
そこで感じたことやそこで生まれたものが
本当の正解である。
誰かを教祖様として崇めつづけると
自分の中の答えがなくなり
自分の考えや意見が失われていく。
もしその人がいなくなったらどうする?
今まで正解を教えてくれていた人が
目の前から消えたらどうする?
誰かを教祖として崇め
それを答えにしている人は
きっと〝正解〟が分からず
自分の意見や考えさえも
誰かのものを自分のものとしていたから
その人がいなくながいなくなったら
不安になるし恐怖に襲われるだろう。
だからこそ
自分の頭で考えることも
自分の頭と手と足を使って試すことも
自分の目で見て確かめることも
本当に大事である。
そこで生まれた「正解」があなたにとっての本当の正解だ。
誰かの「正解」は決してあなたの正解ではない。
あなたの中から生まれたものが本当の「正解」。
いい加減、目を覚まそう。
幻想から抜け出そう。依存するのを辞めよう。
ちゃんと自分の「正解」を見つけていこう。
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