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「範囲」
子らと離れ
ひとりきりの時間を過ごすと
使命を失って余ったわたしの注意力たちが
ちいさな彼らの影をさがしている
今はいないはずの両脇の彼らを守るように
通行人や車にいちいち反応を繰り返し
過分な注意力に包まれながら
ひとり美容院を目指す
いつのまにか広がっていた
わたしの範囲を
容易に縮められず
ひとり分以上の世界を通り過ぎていく
ショベルカーを見てはつい立ち止まり
横断歩道では左右ばかり確認して
歩調はゆっくりなまま
足元に咲く花の色を数えて
ひとり分以上の範囲を漂わせながら
わたしはひとりきりで
目的地はまだ遠い
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いつもの仕草が知らないうちに染み付いていて、道ゆくショベルカーやゴミ収集車を見ては「あっ」と思って立ち止まり、前後の通行人の気配に大きく身体を避け、道端の花の色を「あか」「しろ」とひとつひとつ認識して……。子どもと歩くとき、思った以上に無意識に注意力を発揮していたんだなと1人になってみて驚かされる。
そうして鍛えられた注意力は私の世界の範囲を広げてくれたけれど、子どもたちがいつかショベルカーを見つけて喜ぶ年齢ではなくなってしまってもいつまでもひとりで道ゆく重機を眺めてしまうのかなと思ったり、まだ喜んで反応してくれる今のうちに一緒に足を止めてあげようと改めて思ったり反省したり。拡張された私の範囲も子どもとともに成長してくれるんだろうか。
アメリカインディアンの子育て四訓という有名な教えで「乳児はしっかり肌を離すな。幼児は肌を離せ手を離すな。少年は手を離せ目を離すな。青年は目を離せ心を離すな」というものがあるけれど、私の範囲もこんな感じで子どもと共に成長を遂げていただきたい。生まれたての赤ちゃんの頃はずっと抱っこかベビーカーで密着しているのであまり意識はしていなかったけれど、だんだん歩き出して、手も離れるようになってきて、気をつけたい箇所がどんどん増えていった。
安全面に一番配慮しつつ子どもと外出を楽しめるようにいかに注意力を稼働させていたか。逆を言えばそれまで自分がいかにぼんやり道を歩いていたのか。ぼんやりすぎてよく田んぼに突っ込んでいた自分の娘時代のことを思うと我ながらよく頑張っていると思いたい。
小学生になれば子どもだけで通学したりするんだよなあとランドセルの子どもを見てはその子たちの周囲の安全を確認し、どうしても拡張されていく範囲が過保護になりすぎないようにアメリカインディアンの教えを胸に刻みながらもやっぱり今日もショベルカーを探して歩いている。
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