見出し画像

夏のおわりから冬のはじまりまで

気がつくと、冬の入り口に立っている。

過ぎ去ってしまった季節と、少しだけ切り取っていた一片を。

9月9日
日が落ちるのが早くなった。月が細い。
お昼につけたトンカの香水の残り香が掠めて。
木造平家から外に出てきた風呂上がりらしきおじいさんの煙草の煙が流れてきて、木材市場を通ると木の匂いがして、古いアパートからシャワーの音が聞こえた。全部が晩夏。


10月6日
金木犀が咲いているのをやっと見つけたけれど香ってはこない。
昼間はジリジリと暑いけれど、夕暮れからはなんだか寂しくなる10月の初め。
少しの冷気と薄切りにした林檎だとか葡萄の一粒だとかを口にしたい。
どこからか煮物の良い匂いがする。


11月5日
朝が冷たくなってきて、気がつくと通勤路の左から右へ日陰が移動している。
季節が移って、私の道も左から右へ。
ビジネスホテルの前を通った時のカレーの匂い。
冷えた空気の中の朝カレーの匂いはとても美味しそうだって、初めて知った。
今年の冬はカレーの匂いで始まるみたい。



気がつくと11月も、終わってしまいそう。
夜があっという間に私に追いついて、きっともうすぐにマフラーや手袋をしなくちゃいけなくなる。
寒いのも暗いのも好きじゃない。
それでも、夜が早くなると見えて来るものもある。


信号機一個分の距離にある看板のないお店。
いつ開いているのかな、と長い間気になっていたその店の扉を開けたのは10月末のこと。
酒屋のおじさんが営むそのワインバーは、灯が点って赤い薔薇が一輪飾られている、そういう日に開いている。
まるでお話の中にありそうな、そんなお店の主人も常連さんも、私の日常の延長にいるような人たちで、その親しみやすさは期待していた非日常とは違っていた。
だからこそ、日常は彩られていく。
きっとそう。
だってあんなに謎めいていて、開いているのかさえ分かっていなかったお店の灯りを見つけるのがとても上手になったのだから。



苦手な冬は続く。まだ入り口。
朝は冷たくて、昼間の光線は白くて何だか近い。
それから夜が早くて長くて、向こうに見えるマンションの、カーテンを閉めていない部屋からクリスマスツリーが見えている。
それからきっと、あっという間に春が芽吹くでしょう。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?