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20年ぶりの歯医者記録 〜4本目〜

  いよいよ20年ぶりの歯の治療が始まる。
  私は恐怖のあまり震えが止まらなかった。
  その様は、無力なげっ歯類の如く。あまりのいたたまれなさに、助手が私の目元にタオルをかけ、視界を奪う。
「まず、麻酔をしていきます」
などと言われ、私は恐ろしさのあまり、コンテンポラリーダンスのような不可思議な動きを全身で表してしまった。
20年ぶりの麻酔だ。生まれて初めて麻酔をした記憶が蘇る。
細長い針が歯茎に進入してくる感じ。そして、すぐに薬剤がじんわりと広がり、氷を押し付けたかのような、霜がおりたかのようなこの感覚…。

「何もかもみな懐かしい…」

なんて、宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長が地球を目にしたような心…には一切なれなかった。

「うぃぃぃぃいいい気持ち悪い!じわじわする!ほんと麻酔嫌い!!痛いし、もう!ほんとやめてよ!何なの??」
と、超立腹である。
ちっとも懐かしい気持ちになんてならない。

「愚かな地球人め、最後に勝つのはこの私だ!」
と、担当医にデスラーばりのセリフをかましたくなる。
 今にも暴れ出しそうだと察したのか、 
「麻酔が効くまで、口内の掃除をしますね〜」
と助手が私の口を開いて、歯石取りを始めた。
 この歯石取りの、特に下の前歯の間を先細りの器具で無理やりガリガリされるのが恐ろしくて堪らない。
いささか歯茎にザクっとするのも、嫌で嫌でしょうがない。
 気分は化石だ。
「そんなに骨の部分をピックでガリガリしないでくれる?」
という感じになる。
  歯石取りだけで、ものすごい体力を使った気がするが、本番はこれから。
  姿を消していた主治医が現れ
「では、これから始めていきますね」
と、宣告。
  聞き間違いだと思ったが、口を開かされ、器具をごそごそされたので、どうやら間違いではないらしい。
  私は無我夢中で口を開いた。
  しかし、この全身全霊の開口が、いまいち良くないらしい。
  それは何故かというと、治療をしたい箇所が奥歯である為である。
  治療するには器具を入れるスペースが無論必要だ。
  しかしながら奥歯にはそのスペースが極めて少ない。
  そんな中、口を全開に開いてしまうと、頬が縦に伸びてよけいスペースがなくなってしまうのだ。
  つまり、私はこれから治療が終るまで口を噛んだ状態と口を開けた状態の中間、それも絶妙な開閉をして
器具が入るスペースを作らなくてはならなくなってしまったのである。
「はい。開けて」「もちょっと噛んで」「も少し開けて」
と、主治医は好き放題言う。
  私は一生懸命指示に従い、口を開けたり閉めたりした。
大変忙しかった。一緒に治療してる感が実に強かった。
  主治医は施術中、しきりに
「ふぅ…」
とため息をこぼす。
「あーあ。この患者の頬を裂いたら、簡単に治療できるのになー」
なんて感情を少なからず抱いていたに違いない。
 あらかた治療が終るとかぶせられたタオルを取られ、まぶしさを感じた。
「20年振りの治療がいきなりこんなんですみません」
実に申し訳なさそうに、主治医が言う。
「いえ、こちらこそ…。やりづらい部分を虫歯にしてすみません」
  アラウンドサーティーの私は、心に秘めた怒りを一切口に出さず、労いの言葉をかけた。
我ながら、大人になったもんである。
  互いの恐縮合戦により、治療室がお通夜のようになってしまった。
 「じゃあ、次回の分を受付で予約してくださいね」
 と言われ、しんみりとしていた私の心は途端、絶望に変わった。
  そうだ。まだ奥歯の虫歯は続くし、親知らずに至っては未だ無傷だ…。
「死んだかと思ったかね。 虫歯は死なんよ。 この親知らずもな」
   青い顔をして、金髪の親知らずが、ワイングラスを片手にそんなことを言っている気がした。

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変なグラスを片手に高笑いするデスラー

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