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こんな時代にごめんけど、やっぱりオタクが苦手。

こんな時代に本当に申し訳ないんだけど、僕はいわゆるオタクと言われる人たちに苦手意識がある。オタクと言ってもいろんなオタクがいるよね。だから「オタク」という言葉で括るのは良くないのかもしれないけど、少なくとも「自分オタクです」と言われたことのある人は総じて苦手だった。

ここから彼らの苦手だった話をするんだけど、僕はネット上で誰かを攻撃するつもりがない。攻撃するなら面と向かってやりたいよね。だから僕がこのnoteでオタクを攻撃するつもりはないってことは理解してほしい。つまり、これ以降のオタクっていう言葉は世の中の一般的なオタクじゃなくて僕が今まで出会ってきたオタクのことだと思ってほしいのだ。彼らにしか当てはまらない特徴もあるだろうし。嫌な気持ちにならない自信がない人はブラウザバック推奨だ。それじゃあ、話そう。

なんで苦手なのか一度考えたことがある。まあ、シンプルに話が合わないってのはあるよね。興味が噛み合わないっていうか、普段触れてるものが違うんだろう。それ自体はよくあることで、別にいい。でも、僕の知らない話をずーっとされてると嫌な気持ちになる。あのね、すごい好きなのはわかるの。それはわかるんだけど、熱ばっかり先行して話がついてきてないっていうか、「伝える」よりも「言う」って感じになってる。楽しくなっちゃってるの。それが成立するのって相手も詳しい時だけで、もし僕とそう言う感じで喋りたいならちゃんと先に僕がわかるように説明しないといけないと思うんだ。それがないから僕は「そーなんだ」としか言えない。そうすると僕も冷めちゃって、冷めてる時にテンション高い人に絡まれてる感じになる。苦痛だ。

あと、僕がオタクに苦手意識を持つようになった理由を語る上で外せないのが中学時代の思い出だ。僕は田舎育ちで、20数人の固定されたクラスメイトとずーっと小中学校時代を過ごした。人の入れ替わりはない。そうすると、みんな男女ともに仲良いんだけど一緒に遊ぶメンバーは基本的に固定される。例えば昼休みの過ごし方は大体3つに分かれていた。いっつも外か体育館で遊んでる奴ら、教室で遊んでる奴ら、1人で本を読んでる人たちに分類される。この分類は大体固定されていて、それで何年も生きてきた。そんな中小学生の僕はこの3つを行ったり来たりしていた。ある時期は外で一緒にサッカーしたり、ある時期は教室で友達と工作したり、ある時期はすぐに図書館に行って本を読んでたり。だけど、その中でも僕が一番仲が良かったのは教室で遊んでる奴らだった。男子も女子もいて、落ち着いた感じが楽しかった。

その教室で遊んでた奴らが中学になるとみんな変わっていった。アニメとかゲームとかに触れるようになって、オタクになっていった。それで、話が合うように僕もオタクになろうとした。友達にお薦めされたアニメを見て(ラブライブとまどマギとプラメモを見た)、ゲームは買ってもらえなかったけど友達の家に行ってやった。小さい頃からゲームはあまり買ってもらえなかったから友達の家でやるゲームは下手くそだったけど、楽しかった。Wiiのスマブラとかやってたと思う。今でもゲームは好きで時々ポチポチやってる。でもやっぱり自分の家でできないからそこまでハマらなかった。あと、アニメにもそんなにハマらなかった。友達が好きなものだから僕も好きになりたかったんだけど、なんだかどうしても好きになれなかった。それで小学生の頃仲良かった奴らとあんまり話が合わなくなっていった。それがすごい寂しかった。別にそれで友達じゃなくなるわけでもないし、毎日顔を合わせるんだけど、僕の知らない話で友達が盛り上がってて自分は入っていけないのがすっごい寂しかった。それをよく覚えている。

そんな感じで、僕はオタクに苦手意識を持つようになってしまった。でも、それってすごい言いにくい。てか言わなくていい。だから、このnoteで初めて言葉にした。スッキリするね。たまにはこういうnoteもいいかもしれない。

最後に総括。
オタクになりたい人生だった。


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