【短編小説】満月よ照らせ 1
「それで、けっきょくベルリンに行ったの?」
友也が景気よく1本目の赤ワインを空にしたところで、そろそろ本題を切り出す頃あいと判断して私は尋ねた。
これ以上酔うとこの人は下世話なネタしか話さなくなるし、同じ内容を何度も繰り返すようになるだろう。目当ての話を聞きだすには、食後のアルコールで程よく上機嫌になっている今がベストだ。
彼はグラスの底に残ったワインをひと口で飲み干すと、それからしばらくトナカイとツリーの柄が配された真っ赤なテーブルクロスに目線を落として黙り込んでしまった。
店内には私たちの他に客がいないので、友也が黙ってしまうとあたりは静まり返る。
店主のいる厨房からわずかに漏れるNHKの短波放送と、カウンターに座った奥さんが裸の割りばしを箸袋に挿す紙擦れの音だけが、そこで聞こえるすべてだった。
友也が遠い記憶をたどって話の筋を整理しているあいだに、私は2本目のワインを注文した。そして空の瓶を下げてもらうついでに、二人分のグラスに氷をたっぷり入れて持ってきてほしいと頼んだ。お腹が膨れた満足感と暖房で火照った体には、氷で薄めた冷たい赤ワインがよく合う。そういつか友也が教えてくれたのだ。
彼が話し始めるのを待ちながら、私はミックスナッツの器の底にたまったピーナッツの欠片をひとつずつつまみ上げてせっせと口へはこんだ。そして他にすることもないので、脂でくすんだ花柄の壁紙を眺めていた。
それにしても、年の瀬の近い稼ぎ時にこれだけ人がいないとなると、この店もそう長くはもたないだろう。
10年ほど前、国道沿いに美味しくて安くておまけに衛生的なチェーン店がいくつもできて、車で乗り付けることのできない駅前の飲食店は軒並み潰れてしまった。それでもこのレストランが何とか店を閉めずにやってこれたのは、ひとえに店の主人がこの小さな雑居ビルの所有者でもあったからだ。
ところが、一昨年の冬に生前贈与の体裁で息子夫婦に土地の所有権が渡ると、ろくに利益を出さない土地を遊ばせておくことを良く思っていなかった息子は、建物の全面的な改装とテナントの刷新に乗り出した。
息子はまず両親の経営する古ぼけたレストランにセントラル・ヒーティングを導入した。冬になると底冷えする窓際のカウンター席と厨房で長時間を過ごす、両親の苦労を思ってのことだったという。はじめのうち店主夫妻は冬場の仕事が楽になったと喜んでいたが、息子が内装全般のリフォームを提案すると、意外にもその要求を断固として拒否した。
親子の話し合いは拗れ、最終的にはお互いをののしり合う仲になってしまった。錆びれたレストランがいつまでも居座るビルに新しいテナントが入るはずもなく、息子は改装の計画自体を断念せざるを得なくなった。かくして店主は錆びれたレストランと脂だらけの壁紙を守り抜いた。
これはみんな友也から聞いた話だ。だからこの話が実話なのか、あるいはどこまでが事実でどこからが作り話なのか、私にはわからない。正直なところ、話の大半は彼の空想なのではないかと思っている。だいたい店主夫妻が今の仕事にそこまでの愛着を持っているとは思えなかった。彼らの不愛想な働きぶりは仕事というより、犬の散歩や庭のトマトへの水やりのような、日常の反復動作の延長のように見えた。
しかし友也は何かにつけてこの店に私を連れてきた。たしかにここなら人目を気にせず氷で割った冷たい赤ワインが飲めるし、時間を気にせず話したいだけ話すことができる。私たちにとってはそれが何より重要なことだったから、多少店内が汚くても、つけ合わせのレタスが痛んでいても、大したこととは思わなかった。彼の話がまるきりの嘘で、実は店主のアルツハイマー病の進行が経営縮小の主な理由だと聞かされても、さして驚きはしないだろう。
奥さんが氷の入ったグラスをテーブルに置き、赤ワインを二人分注いでくれた。友也はそれを美味そうにひと口飲む。グラスの中で氷がからりと音を立てた。
「冬のベルリンは本当に寂しいところだ」
そうして彼は唐突に話し始める。
☆☆☆
ミュンヘンからベルリンにやって来て最初に感じたのはそのことだった。もちろん冬の市街地なんてどこへ行ったって寂しげなものだけど、四角いブロックをいくつも並べただけの恐ろしく殺風景な団地と、ゴシック風味の過剰な装飾が彫り込まれた威圧的な教会建築なんかが入り組むベルリンには、どこかしら神経症的な陰鬱さが漂っていた。クリスマスの電飾がちりばめられた華やかな露店が灰色の街に多少の色味を与えていたとしても、その程度で心が晴れるような寂しさではなかった。
もっとも、街がことさら陰鬱に見えたのは俺が精神的にかなり追い詰められていたせいかもしれない。そのとき俺は病み上がりでふらふらだったし、金もなかった。おまけに世界中の人々から裏切られたような最低な気分だったから、目に映るすべてが厭わしかった。ミュンヘンからベルリンまで直通の鉄道を使ったのも、冗長な道のりをバイパスして、日常から一刻も早く遠ざかるためだった。
当時はとにかく何もかもが嫌になっていた。学生同士の仲良しごっこも、彼らの作品も、ファッションも、全部がありきたりで画一的なものに見えた。彼らは週末になると互いのアトリエを行き来して作品を褒め合い、彼らにしかわからない言語で将来を語り合った。古着を重ね着したり安物のダウンジャケットを羽織ったりして暖房のない貧相なアトリエで蛹か繭を装っていれば、中途半端な洒落っ気と借り物の思想性は見過ごされると思っているみたいだった。俺のドイツ語の知識では会話のすべてが理解できたわけじゃないから、彼らが本当のところ何を話していたのかはわからない。しかし俺は自分の作品が笑われているように思えて仕方なかった。
今にして思えば子供じみた自尊心と、内輪で楽しそうにしてるやつらへの嫉妬心が世界を歪んで見せていただけのことだったとわかる。まあ、若いというのはそういうことなんだろう。多かれ少なかれ誰もが、自分の居場所はここじゃないと息巻きながら、他人から理解されないことに怯えているんだ。
しかしこれは一般論だ。みんなにあてはまる教訓は誰のことも救わない。そうだろ?
(学生時代のフラストレーションの吐露がこの話の主題ではないとわかっていたから、私は友也の問いかけには応えず、無言で話の続きを促すことにした。きっと実際には誰も彼の作品を笑っていたわけではないのだろう。自分で認めているように彼自身思い込みの強い性格だし、留学して一年足らずではネイティブ同士の会話を正確に聴き取れるはずもない。おそらく学生たちは周りに馴染もうとしない外国人にどう接していいかわからず、とりあえず彼のぼさぼさの髪の毛と人一倍負けず嫌いな性格を遠巻きに面白がっていただけのことなのだ)
とにかく俺は夕方近くにベルリンに着いた。お袋から知らされた黒後冴絵の家の住所には、アルトバウ風の古風な4階建てのアパートが建っていた。どうしてアルトバウ「風」なのかといえば、それが90年代にリノベーションされた小綺麗な建物ではなくて、戦後の復興期に壊れた外壁を間に合わせの資材と建築技法とで修繕した奇妙なお屋敷だったからだ。
こう言うと歴史の縮図みたいで気の滅入るアパートだと思うかもしれないが、バロック様式の仰々しい外壁がところどころ剥がれて煉瓦の基礎が剥き出しになっていたり、素人仕込みの簡素な窓枠なんかがはめ込まれている様子が妙に可愛らしくて、俺は一目でそこが気に入ったよ。
一階の小さなパン屋さんに入って黒後冴絵の部屋はどこか尋ねると、目つきの鋭い中年の店主に「お前もアーティストなのか」と逆に質問された。俺は面倒な気配を感じてひとまず学生ですとだけ答えることにした。すると店主はそれ以上は何も聞かず、親切に裏手の階段から四階に上がるように教えてくれた。笑顔こそ見せなかったが、彼のドイツ語は見た目の印象と違って穏やかで聴き取りやすく、好感が持てた。俺はお礼を兼ねてブレッツェルを二つ買って、ひとつは店内で食べることにした。焼きたてではなかったけど、朝からほとんど何も食べていなかったのでとても美味しく感じたのを覚えてる。店内の香ばしい小麦粉の匂いは俺の気持ちをいくらか落ち着けてくれた。
(友也はここで一度話を区切り、窓の方に視線を向けた。つられて外の様子を見ようとしたが、結露した大粒の水滴がガラスを覆っていてぼんやりとしかうかがえない。商店街のネオンと駅前の街灯が、水滴をカラフルなビーズのように光らせている。いつものことだけれど、彼の話は前置きが長い。本題の合間にいくつものエピソードが挿入されるので、途中で何の話を聞いていたのかさえ分からなくなることがある。そうかといって聞き流していると、一見本筋と無関係なエピソードが後になって重要な意味をもつことがあるので油断できない。彼のそうした話術はある種の才能かもしれないが、それは熱心な聴き手がいてこそ発揮される特殊能力だった。いつの間にかラジオは止まっていて、店主と奥さんは厨房に下がって店仕舞いを始めている。私は冷たいワインをひと口飲み、彼が再び話し始めるのを待った)
呼鈴を押すと、ややあって足音が聞えた。足音はドアの前で止まり、しばらく沈黙が続いた。俺は覗き穴から見られているものと思って日本語で簡単に挨拶をした。
「こんにちは。黒後冴絵さんのお宅でしょうか? 私は古株友也と言います。あなたの友人の古株愛は私の母です。突然お尋ねして申し訳ありません。もしよろしければ少しお話をさせていただけませんか?」
「話をさせてほしい」なんて曖昧なことを言ったのは、自分でも何のためにここまで来たのかよくわからなかったからだ。事前のアポもなく家に押し掛けるのだから、せめて不審がられないまともな理由を考えておけばよかったんだが、あいにくそのことに思い当たったのはこの時が初めてだった。俺は黒後冴絵を訪ねて行ってお袋の名前を出せば、とりえず家には入れてくれるだろうと気楽に構えていたんだ。それでいて世の中に対してシリアスに絶望しているつもりだったのだから、まったく自分のバカさ加減に笑えてくるよ。
またしばらく沈黙が流れた。部屋を間違えたかと不安になったころ、ようやくドアロックが外される音がして、扉が開いた。
2へ続く
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