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Paris

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2019年8月の記事一覧

Paris 25

 ラマダンの夜の神秘的な空気に感化されて、ついにこの男も気が触れてしまったかーー。新しい遊びを発見した幼い子どものように楽しそうな瞳が、暗闇でギラリと光ると、純粋さを変形するまで煮詰めたかのような狂気をそこに感じた。しかし同時にそれは何の変哲もない見慣れた瞳でもあった。そうか、この男は現代のヒッピーであった。奇抜な行動は今に始まった話ではないではないか。  ところで、私は肝試しが嫌いではないが、得意でもなかった。たとえ廃墟にたどり着いたとしても、入口を少し入ったあたりで、そ

Paris 24

 旅先の宿で酒を呷れば、自然と散歩に出たくなるものだ。歓楽街ではネオンの光線に非日常の刺激を求め、温泉街では風光明媚な里の奥の小さな街の夜の顔を、一目、いや二目拝もうと路地を縫う。ではガブリエル・ペリでは? 何ひとつ思いつかなかった。数々の旅を経てきたが、こんな旅先もなかなかないだろう。  煙草を吸うために裏口へと出た。真っ暗闇の静けさに、所々で街灯がポツリポツリと灯っている。友人とヨナスと顔を見合わせた。酒に酔った男が三人集まればたいていの夜は楽しめるものだろう。しかしそ

Paris 23

 数々のレストランが立ち並ぶ街の一角、賑わうカフェのテラスでアペリティフを啜りながらその晩を過ごす店を考えては迷う夕暮れは、遠い花の都まで長い時間をかけてたどり着いた私たちが受けることのできる恩恵のうちのひとつだろう。しかしその晩の私たちは、やや趣の異なる楽しみを選ぶことにした。郊外の寂れた地方都市のような雰囲気をまとったガブリエル・ペリの街にメトロで戻ると、数本のワインを買って宿へと帰り、ジャケットからラフなパーカーに着替えた。  夕食の時間のリビングは賑わっていた。そこ

Paris 22

 驚き振り返る。するとその中年のパリジャンは、中型の二輪に跨ったまま、混雑した交差点の路肩で悠然とウィードを吹かし始めていた。リラックスした様子で遠くを眺める彼の視界には、数メートル先の警官の姿はおそらく入っていない。  眼前で始まった映画のワンシーンのような光景に、私は興奮を覚えていた。アムスでも滅多にお目にかかることのできない光景だ。草の香りと出くわすことなど欧州では珍しくない。しかし警官とのセットは稀だ。ましてやこんな出会い頭、なかなかないだろう。彼が火を点けたのはま

Paris 21

 奥のバー・スペースで、選りすぐりのワインとシェーブルチーズをいただきながら2時間ほど話をした。彼女が日本の仕事を辞してからパリの老舗で働くに至った経緯や、昔と現在のパリの話、その他、話は尽きない。グラスを傾け始めてすぐに、利発でエネルギッシュな方だ、と思った。途中でフランス人の紳士がふらりと訪れると、流暢なフランス語で世間話をしたりもしていた。それは洗練された世間話だった。もう5月なので話題にはバカンスの過ごし方が上がっていた。  どの辺りに泊まっているのか、と尋ねられて