見出し画像

Paris 22

 驚き振り返る。するとその中年のパリジャンは、中型の二輪に跨ったまま、混雑した交差点の路肩で悠然とウィードを吹かし始めていた。リラックスした様子で遠くを眺める彼の視界には、数メートル先の警官の姿はおそらく入っていない。

 眼前で始まった映画のワンシーンのような光景に、私は興奮を覚えていた。アムスでも滅多にお目にかかることのできない光景だ。草の香りと出くわすことなど欧州では珍しくない。しかし警官とのセットは稀だ。ましてやこんな出会い頭、なかなかないだろう。彼が火を点けたのはまだ数秒前だ。

 人の波に流されて私は進行方向に向き直った。警官たちは、すでに交差点の半ばまで差し掛かっていた。信号はとっくに変わっていた。

 胃が締め付けられるようなあの嫌な空気が、すれ違いざまに伝わった。先ほどまで雑談をしていた警官たちは明らかに仕事の目をしていた。その視線は香りの出所を探している。後方の車道を流れている排気音の中に、新たな低音の響きがひとつ増えた。振り向くと、中年パリジャンの背中が遠ざかり、小さくなって街角の向こうに消えていった。

 警官たちはカフェの前に留まって何事かを話し合っているようだった。周りの幾人かが質問に応じている。巻き込まれては面倒なので、二度とそちらを振り返ることなくその場を去ることにした。雑踏の中に溶け込みきると、そこは再びいつものパリに戻っていた。

 メトロの駅へと向かう道すがらに、目にしたばかりの光景が再生ボタンを押したように頭の中でフラッシュバックしていた。それはパリの街角で上演された洒落た短い逃避行劇のようだった。確かに、逃避行とパリはヌーヴェル・ヴァーグの時代から切っても切り離せないものだったなーー。巨匠の見た20世紀パリのエスプリが未だに残っているのだとしたら、私はそれを少しだけ垣間見たのだろうか。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?