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今日のさよならをとなえて散歩に出かけた

そのつもりはなかったが、今日川上弘美のエッセイ集「ゆっくりさよならをとなえる」を読み終わった。7ヶ月の息子が早く昼寝から目指し、彼は書斎の床でハイハイしながら私は川上の孤独に深く浸った。けれどいざ読み終わるとなぜか寂しくはない。
息子が本棚の一番下の棚で休む本を取り出そうとする。あっ、ちょっとそれはやめなと、言いいかけて、その言葉を口の中で消滅させる。まだ赤ちゃんだからその本を棚に戻して違うもので遊ぼうね、の言い方でもいい。
夕方(といっても午後四時だったが完全に夕方ムードに突入した私だった)、妻が眠りに入ろうとしている間、息子と散歩に出かける。近所の神社に行くのである。太陽の光はあまりにも柿色で空気を甘く感じる。ただそれは日光だけの技ではなく、実際にある柿の木が実っているのもあるだろう。今考えると、もしかして柿から何らかの光を放っているのかもしれない、大好きな金木犀の香りばかりではなくて。
引っ越してから時々行く神社なのだが、とりわけ夕方になってから行くと良し。鳥居と鳥居の間である道を歩いていると、木漏れ日にうっとりしてしまう。息子は抱っこ紐からその光景も見ていることに気づく。特に竹林の方へ行くと、うっとりする顔が可愛くなって、うっとりの連鎖ができる。帰り道に柿の木の存在に気づく。銀杏の匂いより、やはり好きである。
こうして息子と一緒に散歩に出かけると、育児の大変さをすっかり忘れることができて、もうちょっとこのままでいてもいいからね、と家に着く少し前に呟きたくなる。でもその気持ちを息子と共に抱くことにする。夜ご飯は、しょっぱくなかった炊き込みご飯と甘すぎた枝豆の卵焼き(来日してから初めて作ったが流石に難しい)。

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