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『小説ですわよ』第3話

※↑の続きです。

「すっかり寒くなりましたな。こたつを引っ張り出すのが大変で」
「うちの猫がいなくなってしまって」
 ご近所同士の老人が公園ですれ違い、噛み合わない会話を交わす。
 イチコと舞はベンチに腰掛け、その風景をボケーっと見ていた。
「うまうま……闇金ウマウマくん」
 くだらないシャレを言い、イチコは2個目のジャムパンを貪る。食べかすがボロボロこぼれ、それを目当てに数羽のハトが群がってきた。返送者を轢いたときの頼もしい姿とは、まるで別人だ。
 それを横目に、舞は熱を帯びた缶コーヒーをすする。スマホを取り出してみるが、特に通知はない。時刻は10時30分。
「今って、15分の休憩なんですよね」
「モチャ、モチャ……そだよ」
「お昼前に、そんな食べて大丈夫なんですか」
「モチャ……菓子パンはモチャ、モチャ……別腹だからね」
 イチコがイチゴジャムがべったりついた口を開き、幸せそうに目を細めて答える。足元のハトたちは、ジャムをよけてパンくずだけをついばむ。

 舞はイチコの人物像を測りかねていた。風変わりであることは違いない。この仕事に就いた理由や、探偵社に入る前のことなど聞きたいことは山ほどあったが、それはやめておいた。
 相手を知れば知るほど、勝手に期待して、本質を知ったとき勝手に失望する。相手を嫌う虚しさも、嫌われる悲しみも、深入りしなければ傷は浅くてすむ。舞はこれまでの経験から、すべての人間を“道ですれ違う人”と同じものとして考えようと決めていた。
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  動物と近所の山田さんに餌を与えないでください。
  (公園の看板より)
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 おこぼれをたいらげ、ハトたちは次の餌を求めて低空飛行で飛び去った。イチコはそれを見送って立ち上がり、公衆トイレを指す。
「一緒にどう?」
「中学生じゃないんですから」
「ハハーッ!」
 イチコの帰りを待つあいだ、舞は灰色がかった空を見上げる。なんてことのない冬の曇天。ハトの鳴き声と、遠くで車の走る音だけが聞こえてくる。返送者なんて物騒な存在がいて、それが消えたことなど、この世界は知らないのだろう。穏やかな時間だけが流れていく。ここで、ふと疑問が浮かぶ。
 返送者たちは二度と帰ってこないんだろうか? この世界は平和になったが、異世界で暴れてないだろうか? 私たちの仕事は厄介者をよそに押しつけているだけなのでは?

 イチコが戻ったのでベンチから立ち、ハイエースへと戻りながら疑問をぶつけてみた。
「キミは疑問に思うタイミングが、他の人とは違って後からなんだね」
「なんか、すみません」
「むしろ褒めてるんだよ。普通の人は目の前で起こる事象を、ただありのまま飲みこむことなどできない。頭に解消できない疑問がどんどん浮かんで、身動きがとれなくなってしまう。キミはまず動くことができる。すごいよ」 
 続けてイチコは「疑問への答えだけど……」とペンライトを取り出した。「絶対とは言い切れないけど、簡単には戻ってこられないと思うよ」
 ペンライトの光がハイエースに当たる。すると青い発光をともない、奇妙な円形の模様が車のフロント部分に浮かび上がってきた。
「魔法陣。返送者を異世界に封印する魔法がこめられてる。触れることで力を発揮するんだ」
「だから、このハイエースで轢く必要があるんですね」
「うん。その行為についての是非だけど……」
 イチコはキーレスで車のドアロックを解除した。ふたりで車内に乗り込み、シートベルトをカチッと締めたところで、イチコが舞を観る。
「返送者は、元々死んで異世界で転生するはずだった者たちだ。彼らがいるべきは、ここじゃない。互いのために、轢くのが最善だと思う」
「……ありがとうございます。これで心置きなく仕事ができます」
 イチコは言葉の代わりに微笑んで、舞の感謝に応えた。
「そういえば、さっき多目的トイレを開けてみたんけど、グルメ芸人は入ってなかったよ」
「鍵が開いてるんだから、入ってるわけないでしょ。いたとして、せいぜい都内ですよ」
「確かに! ハハーッ、ハッ!」
「それにもう復帰してるんだから、やめてあげましょうよ」
「ほーい」
 舞は困った。“道ですれ違う人”と同じだと決めたのに、イチコとの会話を楽しんでしまっていた。緩みそうになる口元を、真一文字に結び直す。

「じゃあ、出発しよう」
「次の標的は、どんな人ですか?」
「あ、次は探偵社の事務所に行くよ。ハンコは持ってきた?」
「はい、履歴書も」
「オッケー。事務所で必要な手続きをしてもらって、それで正式に契約成立になるから。あとは社長たちと顔合わせしたら、午前はおしまい」
 ピンピンカートン探偵社の社長や社員……どんな人たちなのだろうか。こういう仕事をしているのだから、普通とは違うのだろう。だが、どんな人物であろうと、“道ですれ違う人”だ。舞は何度も念じた。

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 まさおの母、皿に盛りつけたJリーグカレーを運んできて、
母「まさお、今日は久々のJリーグカレーよ」
まさお「わーい、いただきます」
 食べると、まさおの身体が大きくなり始め、
まさお「!?」
母「まさお?」
父「まさお!」
 まさお、ラモス瑠偉にモーフィング変形。
 カレーをあっというまに食べ終え、皿を母に渡し、
まさお「おかわり!」
 ――ラモス瑠偉がボレーシュートを蹴る映像。
ナレーション「カラダを作る栄養素入り。Jリーグカレー、復活!」

(復刻版JリーグカレーのCM台本より)
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つづく

 裏筋駅前の大通りから外れ、飲食店や小さな雑居ビルが並ぶ路地に探偵社の事務所はあった。
「見えてきた、ほらそこ」
 とイチコが指さしたが、言われずとも舞は事務所だとわかった。3階建て箱型、ショッキングピンクの建物が、白や灰色のビルの中に立っているのだから。しかもご丁寧に、でかでかと横書きで『ピンピンカートン探偵社』の看板を掲げている。
(でも、このあたりに、こんな建物あったっけ?)
 舞はよくこの周辺で、家族や数少ない友人とランチをするのだが、こんなバカみたいな建物があれば記憶に残っているはずだ。
「事務所って、最近建てられたんですか?」
「ううん。かなり前だよ」
「そうでしたか、う~ん」
 どこか引っかかるが、考えても仕方ないので舞は忘れることにした。

 事務所は1階が駐車場スペースで、外階段から2・3階へ続いていた。
 ハイエースを停めて降り、イチコが舞を先導する。
「ようこそ。楳図かずおの自宅です」
「あれはもっと刺激的な見た目ですよ。ウォーリーを探せみたいな」
 2階へ上がり、ステンドグラスが施された木製のドアに、イチコが手をかける。ここが事務所なら3階は……舞は外階段を見上げる。
「あ、3階は物置だから」
 その冷たく突き放すように感じた言葉は、暗に「入るな」と意味していることを舞は察した。まあ、こんな仕事だし他人に見せたくないモノだってあるのだろう。

 イチコがドアを開ける。ベルが鳴り、20帖ほどの空間が広がっていた。シャンデリアの光が、室内を薄暗いオレンジに照らしている。壁際の棚はアンティーク雑貨が、反対側の壁には古びた書籍でびっしりの本棚が並ぶ。家具はダークカラーの木製家具で統一されていた。正面奥には社長室、左奥は WCのプレートが埋め込まれたドアがある。左奥にはキッチン。中へ一歩踏み入ると、木の床がミシッと鳴る。
(中は、まともだ!)
 最低な外観に比べ、事務所内はドラマのセットのようだ。かすかにコーヒーの香りが漂ってきて、舞はちょっと楽しくなった。

「じいや、ただいま~」
「じいや?」
 棚の死角から、人影が滑るように躍り出てきて、深々と一礼する。
「おかえりなさいませ、イチコ様」
 しゃがれた声の主が頭を上げる。灰色がかった白髪と口髭に、燕尾服を見に纏ったの老紳士が柔らかい笑みを向けてくる。メガネがオレンジの光を淡く反射した。
「そちらのレディが、新しく入られた方ですかな?」
「そ、水原さん」
「ど、どうも、水原 舞です」
「当探偵社で事務を務めます、モーリー岸田と申します。以後お見知りおきを」
 岸田は改めて深々と頭を下げた。舞も反射的に同じく一礼する。会社を辞めてからは、自分に非がないとき以外は他者に頭を下げるものかと決めていたが、岸田にはその誓いを反故にし、心を柔らかくする何かがあった。

「お腹すいた。Jリーグカレー、ある?」
「ございますが、少々お待ちください。水原様の手続きがございますので」
「ちぇ~っ」
「では水原様、そちらへお掛けになってください」
 岸田に促され、舞は木製のイスに腰掛けた。座板と背もたれのクッションはやや硬かったが、それが昔ながらの喫茶店を思わせてくれ、心地いい。

 岸田は棚からファイルを取り出し、舞とテーブルを挟んだ正面に座って、探偵社の仕事の説明や、契約書の確認、捺印などの工程を、流れるように進めてくれた。舞は岸田に、亡くなった優しい祖父を重ねて心安らいだ。だがやがて、この老紳士は誰にでも穏やかな対応をするプロフェッショナルなのだろうと我に返り、岸田も“道ですれ違う人”と定義した。
 (手続きのあいだ、イチコはスマホでゲームに熱中していた。ガチャが全く当たらず、詐欺だと喚いていた。奇しくもそのゲームは、舞の前職の会社の新作であった。このゲームはリリース1年後にサービス終了することとなり、それが新たな返送者事件を引き起こすこととなる)

 ひと通りの手続きが終わり、岸田が社長室のドアをノックする。
「お嬢様、新しいアルバイトの方がいらっしゃいました」
「あらそう? オナニーをしようかと思っていたのに」
 少し上ずったような高い女の声が聞こえ、やや間があって社長室のドアが開く。胸元のあいた黒いドレスに、毛皮のコートを羽織った猫顔の美人が姿を現す。年齢は手の微妙なシワからして30代半ばくらいだろうか。
「貴方が? ピンピンカートン探偵社の社長、上羅綾子かみら あやこよ」
「水原 舞です、本日からお世話になります!」
「ふぅん……」
 綾子は黒いヒールをカツカツと慣らしながら舞に近づいてくる。そして髪を後頭部で束ねるピンクの簪かんざしを人差し指で弾き、物色するような目つきで舞を見る。
「かなりの才能があるわね」
「は、はあ、ありがとうございます」
「危険と裏返しだけど」
 声をひそめ、舞の耳元で綾子が囁いた。吐息のくすぐったさも感じたが、それ以上に不気味なものを感じ、舞の背筋が震え上がった。前職の上司に入社早々「悪くないけど、まだまだなってないね」と言われたときのキモさとは別格の、底知れぬ薄気味悪さだった。一切光を反射しない、真っ黒いカラーコンタクトのような綾子の瞳が、恐怖に拍車をかける。だが、おかげで綾子のことは、すぐに“道ですれ違う人”と定義することができた。
「ねえ、イチコ」
「うーっす、あねさん」
「チンピラみたいな呼び方はやめなさいと何度でも言ってるでしょう! それより、あなた。また契約前に新人を仕事に出したわね。朝一で事務所に連れてこいと言ったのに!」
「そっちのほうが、お互いにとっていいでしょ。不向きなら逃げるし、そうでないなら水原さんみたいに、ひと仕事こなして事務所まで来てくれる」
「貴方ねえ……!」
「誰もかれも、姐さんに巻きこむつもりはないから」
「私だって、貴方の道連れを作らせるつもりはないわよ」
「……」
「……」
 意味は分からないが、不穏なやりとりに空気が固まる。舞はどちらかというとイチコをかばいたかったが、余計な発言をすると、こちらに矛先が向きそうな予感がして押し黙った。その硬直を破るように、岸田が手を叩いて乾いた音を立てた。
「少々早いですが、昼食にいたしましょう!」
「Jリーグカレー、Jリーグカレー!」
「ええっ、また? それより岸田、私はカツレツがいいわ」
「ご安心ください。昨夜、マルエツで半額のトンカツを人数分調達しております」
「Jリーグカツカレー!? Jリーグカツカレー!!」
「しょうがないわね……」
 舞が会話に混ざれず困惑していると、イチコが瞳をキラキラ輝かせる。
「舞さんもお昼一緒に食べよう! Jリーグカレー!」
「……はい」
 この空気で、それ以外の選択肢はなかった。

 岸田がJリーグカレーなるレトルトカレーを湯煎し、スーパーの半額トンカツをレンジで温め、それらを合わせたJリーグカツカレーが昼食として提供された。イチコは米粒とカレールーをまき散らしながら食べ、綾子はブツブツ文句を言いながらも「おいしい」と楽しみ、岸田はつつましく他の誰よりも先に食べ終えないようペース配分し、舞は淡々と食べた。
 最速でたいらげたイチコが「おかわり」と催促するが、今日の分のJリーグカレーはもうないと岸田が申し訳なく眉尻を下げた。白米と”Jリーグふりかけ”はあるらしく、イチコはそれをウキウキで食べ散らかした。岸田が少しでも場を上品にしようと、互いの自己紹介タイムを設けたが。特に新しい情報もなく、逆に白けた。ただ、面白かったのはイチコが綾子について付け足した情報だった。
「姐さんは占い師が本業で、探偵社は税金対策で始めたんだ。あと第2の細木数子になりたくて、テレビ局へ売り込みにいったけど『そういう胡散臭いのは今時ちょっと……』って断られちゃったんだって」
 舞は、綾子がテレビで『地獄に落ちるわよ』などと喚いている姿を想像し、イチコと顔を見合わせて吹き出しし、米粒が気管へ入りそうになった。だが綾子が鬼のような形相でこちらを睨んできたので、口笛を吹いてごまかした。

 食後、舞は岸田が運んできたコーヒーをすする。
「おいしい……どんな豆を使ってるんですか?」
「あ、安物のインスタントでございます」
「……」
 舞はコーヒーよりも恥ずかしさで身体が火照った。
 時刻は13時30分。休憩が終わり、イチコがキーレスのキーリングを指先でくるくる回して、
「姐さん、午後は返送者の仕事はないよね」
「今のところは」
「ポジティブ野郎の件は?」
「“軍団”が調べてる。わかり次第、動いてもらうわ」
「ほほーい。じゃ、行ってきま~す」
「行ってらっしゃいませ、イチコ様」
 岸田の一礼に見送られ、イチコはさっさと事務所を出て行く。舞は綾子に尋ねた。
「返送者を轢く仕事だけじゃないんですか?」
「ええ。人探し、浮気調査、逃げたペット探し……この世界では一般的な探偵の仕事のほうが多いわ。今日の午後は2件入ってる。詳しくはイチコに聞いてちょうだい」
「わかりました」
 舞も事務所を出ようとしたところで、綾子に呼び止められた。
「あなたの才能は、イチコと源が似ている。だからこそ危ない。イチコと同じようになってはだめよ」
「え~っと……はい。別に誰かと同じ道を歩むつもりはないし、できないと思うんで」
「面白いわねぇ、あなた」
 綾子が口元に笑みをたたえる。意図はわからない。真剣ではあるようだった。だが舞は深追いしようとも思わなかった。全員”道ですれ違う人”なのだから。
 と、しびれを切らしたのだろう、イチコがハイエースのクラクションを鳴らしながら叫ぶ。
「水原さ~ん! 行くよ~! 食後のウンチしてるのかな?」
「すぐに行きます!」
「イチコ、デカい声で下品なことを言うのやめなさい!」
 苦笑しながら舞が事務所のドアを開けると、岸田が頭を下げた。
「行ってらっしゃいませ、マイ様」
「あの……水原様でお願いします」
「申し訳ございません。水原様、行ってらっしゃいませ」
 岸田は寂しそうな顔をしたので、舞は心苦しかったが見ないことにした。“すれ違う人”と思ったほうが、みんな幸せなのだから。

 舞は階段を急いで駆け下り、エンジンのかかったハイエースに乗りこむ。
「午後もよろしこ」
「よろしくお願いします」
「居眠り運転してたら、ぶん殴ってね」
「怖いこと言わないでくださいよ」
 サイドブレーキのロックを解除し、ハイエースが走り出す。 

つづく。