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谷崎潤一郎「文章読本」

今回は文豪の文章読本を読んでみました。昭和9年(1934年)に書かれたとのことなので約90年前の作品です。当然良い文章に求められるものも全く違っていたんだろうと思いつつ読みましたが、結果的にはそこまで違っていないなという印象です。この時代から「最近では外来語がたくさん入ってきたり、口語体が主流になり言葉が変わってきている」という認識が谷崎にもあって、いつの時代も言葉は変わるんだなと思いました。

まず本文と関係ないところで凄いなと思ったのが、谷崎潤一郎という人の博識ぶりです。当時から古典だったはずの太平記や源氏物語はもちろん、漢詩や英文まで理解し、その頃は現代小説であった志賀直哉や森鴎外の文章なども分析しています。これだけのものを自ら理解し、何かを言えるようになるというのはかなりの読書家・勉強家であり、当時一級の知識人であったと思われます。

本書はどういう文章が良い文章なのかについて、谷崎がその豊富な知識を使って説明したものです。90年前の作品ですのでさすがに文体はやや古く、知らない(読めない)漢字も多いのですが、そこを除くと、当時から今と同じような目線で良い文章というものを分析していたことに気づかされます。

谷崎は、文章というものは、まず簡潔に書きなさいと言っています。当時から文章がどんどん口語体になって行ったようですが、口語体になってかえっていらない単語や説明などをゴテゴテと付け加えることが多くなり、それによって悪文が増えていると嘆いています。

谷崎が考える良い文章とは、書かなくてもわかることはあえて書かず、流れるような文体を意識し、目や音(音読・黙読)から来る印象も加味して書かれた文章のことを指すようです。その中で特に母国語の日本語は自由に扱えるのだから、あまり文法にこだわらず、シンプルに書けるようになる方が得策であると主張しています。例えば、西洋言語を習うと文章に主語を付けるが、日本語ではそこまで厳密に主語を付ける習慣がない。それでも充分に伝わる文章になるのであれば、主語にこだわる必要はないのだ、というのが彼の意見です。

他にも日本語は元来、ボキャブラリーに乏しく感覚的な言語なので、それを活かして含蓄のある文章を目指した方が良いということも言っています。私の例になりますが、例えば「いとおかし」という言葉は英語にすると、beautifulなのか、amazingなのか、何なのか明らかにする必要がありますし、中国文化(漢字)では「美」なのか「喜」なのかなど、意味を当てはめなければなりません。しかし、日本語では全部「いとおかし」で収まってしまう。むしろ、「いとおかし」でとどめておく方が日本語らしい、というのが彼の考えです。

その他、文体の分類や適切な単語の選択、句読点の使い方、など谷崎の視点で良い文章の要素が語られて行きますが、それぞれの説明は現代にも活きるだろう示唆を含んでいます。加えて、谷崎は文章に対する感性を磨きなさいとも主張しています。それには良い文章を読むだけでは十分でなく、書くことでさらに磨かれるので、仮に物書きにならない人も、感性を磨くためにはまず書いて経験を積むことを勧めています。そして、感性というものは必ずしも各人各様のものではなく、鍛錬を積めば誰でも同じようなある高みへ収斂されていくとも述べています。

谷崎は最後に一番強調したかったであろう、文章には含蓄が必要であると論じで本編を終えています。この最後の段落は谷崎のまとめにあたる部分で、そこまでの全ての分析はこの最終段落に繋がっていると理解してよいでしょう。

関心のある方はぜひ手に取って自身でご確認ください。

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