通い慣れた古本屋に勝るオアシスは無いという話

こんばんは、ささみチキンです。
今日は夕方に近所の古本屋に行ってきました。まだ17時前なのにあたりが随分と暗くて、月並みですが冬の到来を感じました。ここのところ調子が優れず家に篭りっきりだったので季節の変わるはやさに驚くばかりでした。

今日は本を5冊とドビュッシーの枯葉のCDを1つ買いました。合計金額はだいたい2600円くらいで、学生の財布にこの上なく優しい……
その古本屋さんは落ち着いた学生街の大通りにあって、店内には古本特有のほんのり甘い植物的な匂いが漂っていてとても穏やかです。珍しい本があったり、お客さんの年齢層が高くて静かなところも大好きなお店です。

上手く表現できないんですが、古本屋の中って"人としての価値を求められない安堵感"みたいなものがあると思うんですよね。ただ古本があって、それを好きな人が居て。店内に居る間は"必要とされる自分"にならなくても良いんだって思える。人間的価値も効率も社会人としての振る舞いや責任も要らない、穏やかな空間。これも一種の避難所なのかもしれない。

生きてるだけで意味や価値を求められるのって、上手く対処できれば自分の成長の糧にできるけど実際はそんなに器用で強い人って少ないんじゃないかな。常に焦っているような感覚になってしまう。もっと心を緩めて自分に優しくすることが広く認められる優しい世界になってほしい。「その場所に留まり続けるためには全力で走り続けないといけない」なんてことは無いんじゃないかな、なんて。

ということで、今日もお疲れ様でした。明日もまた、なんにもない素敵な一日になりますように。お相手はささみチキンでした。ではまた


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